太政官札、使えってば

明治新政府が新しい国づくりとしてやらなければならないことは、いろいろ
あったのですが、真っ先に手をつけなければいけないことに「お金」の問題が
ありました。
戊辰戦争で莫大な経費が嵩んだ上、まだ藩が存続していましたから全国から
政府に税収があるというワケにはいかない・・・ということで政府の財政は逼迫して
いました。
さらに、旧幕時代から通貨不足を回避するために、幕府はその都度改鋳を行い
ましたが、貨幣の品質を落としていったため慢性的なインフレになっていました。
そこへ幕末期、大量の金が海外へ流出していったので、通貨不足はさらに加速
していたのです。
また、当時の国内には幕府が発行した金・銀・銭貨の他に、各藩内で通用する
藩札があるなど、貨幣事情も複雑でした。

そこで政府は通貨と経済をコントロールする政策に打って出ます。
会計方で福井藩士の由利公正の建言を入れ、太政官札という紙幣の発行
を行ったのです。
紙幣であれば材料に実際の金・銀を使う必要はありません。当時の欧米ではすでに
紙幣が使われており、また由利は藩札発行により福井藩の財政を立て直した実績
もありました。そこでGO!となったのでしょう。
慶応4年(1868)閏4月に布告され、5月に発行されました。
ちなみにこの時点で発行された太政官札(金札)は「10両・5両・1両・1分・1朱」
で、まだ旧幕時代の貨幣単位を使っていました。

「辰閏4月
一 金札を作られた上は、列藩は石高に応じ1万石ごとに1万両を拝借することを
  仰せつけられたので、その筋へ願いでるべきこと。
一 返納するときは必ずその金札を以て、毎年暮れにその金高より1割を差し出し、
  次の辰年まで13ヶ年をかけて上納を済ますこと。
一 列藩が拝借した金札は富国の基礎のために使われる趣意を奉り、これを以て
  産業を起こし国益を引き起こすようにするべきこと。その藩ごとの役場において
  みだりに使い込むことは決してならぬこと。
一 京都、摂津及び近江で商売をするため借金を願いたい者は、金札役所へ願い
  出るべし。金高は取り扱う産物高に応じて貸渡しになる。
一 諸国府県を始め、諸侯の領地内での農業・産業のために借金を申し出るときは、
  その身元が厚いか薄いかを見た上で、金高を貨し渡し産業が成り立つように
  遣わすこと。もっとも返納は年々相当する元利を支払うこと。
  但し、遠く離れた村や片田舎といえども金札は京や摂津の商売の様子を見て
  取り計らうようにいたすべし。
一 拝借高のうち上納の札は会計官において決めること。
  但し、正月より7月までに拝借の分はその暮れに1割の上納、7月より12月まで
  の拝借分は5分割上納いたすべきこと。」


当初は京都や大坂などの関西地区で使われたようです。
ところが、世の中そううまくは行かないモノですわな。
紙幣は国に信用がバッチリあるからこそ通用するものです。ところが現状はまだ
戊辰戦争の最中。まだ二転三転する可能性だってゼロではなかったわけで、各藩も
自分の所の兵力を「国の軍」ではなく、「藩の軍」として持っていた状況です。
つまり、明治新政府にまだ信用がなかったのです。
額面100両の太政官札を正金に換えようとしても、40両にしかならないというような
状態でした。
加えて庶民には紙幣というものがイマイチわからない。馴染みがない。
政府が思い描いたようには流通してくれないワケです。

その状況を打開するため、政府は次のような廻状を村々に出しました。

「皇国一円に金札が通用するようにと仰せられた上は、当辰年(明治元年)の租税の
金納分と諸々の上納品は東京では金札で納めるべきこと。
右のとおりに御布告があったので、その意を得てこの廻状を刻付けをもって順に送り、
最後の村より返却すべきこと。
   辰12月15日  東京韮山県   」


租税は太政官札で払いなさいって言うんですね。
こうなりゃ、否が応でも使わなければなりません。
さらに同じく12月、杢左衛門さんたち韮山県下多摩地域の村々の6ヶ村の名主たちに、
以下のことが言い渡されました。

「(韮山県役所の)高木鏈平殿から申し渡されたことは、皇国一円富国の基礎として
お考えなされ、金札御製造となったことについて、その方たちへ金札の使用を命令され、
金札の貸し付けをすることになったので、請書を差し出すよう仰せ渡された。それぞれ
の数は左の通り。
一 1朱札 4000枚 250両
一 1分札 7200枚 1800両
一 1両札 200枚  200両
一 5両札 50枚  250両
一 10両札 40枚  400両
 金札合計2900両  」


政府から韮山県を通して、多摩の豪農クラスの民間人に2900両の太政官札を貸し
付けるから、なんか有効利用せぇ!というんですねぇ。
で、各々どのように分配されたかといいますと・・・。

「一 金札500両  砂川村(立川市)名主  村野源五右衛門
 一 金札500両  福生村(福生市)名主  田村重兵衛
 一 金札550両  新町村(青梅市)名主  吉野文右衛門
 一 金札550両  友田村(青梅市)名主  細谷五郎右衛門
 一 金札300両  田無村(田無市)名主  下田半兵衛
 一 金札500両  蔵敷村(東大和市)名主  内野杢左衛門  」


使えって渡されましたけど、未だ価値の不安定な太政官札。
どうします、杢左衛門さん?

メガ8
うそ、うそ。

先日の6月29日の午後・・・もう夕方に近い時間でしたが、多摩地区はものスゴイ
豪雨に見舞われたのですが、皆さまのお近くはいかがでしたか?
なんかね、東大和市では1時間の雨量が40mmもあったそうですよ。
ワタクシちょうど車に乗って帰ってきたところだったんですが、駐車場から出ること
ができず、30分ほどボーッと車中から滝のような雨を見ておりました。

なにせ道路が川みたいでね。ちょっと坂になってるのか、ヘンなものが流れてくる
んですよ、上流方面から。
道路から敷地に車が乗り上げるときに、段差を解消するブロックみたいのがある
じゃないですか。アレって最近はコンクリじゃなくて樹脂みたいな軽い材質ででき
てるでしょ。
それのコーナー部分の三角形をしたのが、雨水に押し流されて流れてんの。
小さいからプカプカ状態なのね。
雨がやんで水は引いたんですが、三角の乗り上げブロックは我が家の前の道路に
置き去りのまま。
で、二日が経って。
・・・まだ家の前にあります。ジャマだから端っこに置いてあるけど。
保護者の方、早く引き取りに来てくりょうッ!


「このボタンは人間の脳ミソをトコロテンにする機械だよ、和登サン」


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コメント一覧

#766
こんにちは。

まぁ、通貨というのは「信用」なんだということが、こういう事態になるとまざまざと表面に出て来るいい例ですね。

あの手の「段差解消ブロック」って、最近は自転車が誤って乗り上げたりすると危険なものだからと禁止する自治体が出てきているんで、樹脂製になったのはそのせいかも知れませんねぇ。まさか何処かに行ってしまうとは持ち主も思ってなかったでしょうし、そのまま気付かれないかも…。
#767 明治改革
こういうマトメをみると、いかに明治政府の改革が早急なものだったかが
よくわかりますね。昨日まで使ってた金をやめて、
まだ信用の無い新しい金を使え!なんて、無理もいいとこなのに、
これでちゃんと国が回っていったのだから不思議なものです。
むしろ明治初期の農村部の適応の速さや柔軟さこそ、
特筆に価するものなのかもしれません。(あるいは名主層の聡明さ?)

メガ博士の通貨に、某漫画の「ペリカ」を連想させられたのは多分、
私ばかりではありますまい。

それから甲州弁のブログ内での使用、個人的に大変嬉しいです。
もっと、どんどん使ってくりょう!
#768 アベノミクスの原点
由利公正という人はいったいどこからどうやってこのような発想を得たのでしょうか?

ケインズにも匹敵するような経済政策を導入するとは、現代なら間違いなくノーベル賞でしょう。
#769 kanageohis1964さま
仰る通りですね。不換紙幣の場合、発行する国の信用が全てですから。中で
当時の日本はまだ内戦が続いていましたし、藩という小国家のような存在もあった
中で、思い切った策であったと云えるでしょうね。

段差解消ブロックですが、なるほど最近材質が変わって来た理由がわかりました。
ある程度軽いと、ゴミが溜まって掃除をするときには動かしやすくて便利では
あるんですけどね。まぁ、製造元もゲリラ豪雨で道路が川になることは想定して
ないでしょうからねぇ・・・。
#770 甚左衛門さま
最初の太政官札は貨幣より債権に近かった、とも云いますからね。
政府も実のところは国民のためというより、戊申戦争でかかった多額の経費を
なんとかしたかったというところじゃないでしょうか。

仰るように、新政府はかなり早急に国家のシステムを変更していますが、村々が
その波に飲み込まれないように、一つ一つ対応していることに驚かされます。
名主は政治家だったんだなぁ、と改めて思います。

ワタクシ、昭和のテレビっ子世代ですから、すぐテレビの影響を受けてしまいます。
これからも、こぴっと使わせていただくじゃん!
#771 新太さま
ありがとうございます。
ワタクシも詳しくはないのですが、由利は福井に視察に来ていた横井小楠に師事
して財政学を学んだようです。小楠って人はホントにスゴイ人ですね。
由利は松平春嶽に見込まれて藩の財政を立て直すんですが、その政策の一つに
長崎に蔵屋敷を建てて、専売化した生糸をオランダに売ることをしたようです。
こうしたときに欧州の経済事情なども入手していたんじゃないでしょうか?

新太さんのページ読ませていただきました。
佐賀にはまだ行ったことがないのですが、幕末では一番の科学技術力を持った
ところ。一度行ってみたい場所です。高伝寺すごく良さそう!
#773 赤字財政の一時しのぎ
 不換紙幣を目の前にした杢左衛門は、農民特有の感でピーンと来たと思います。
 「こりゃーまずいぞ・・・」「掴まされたら終わり」「実物の方が良い」
 ところが相談する相手が居ない。口の重い杢左衛門さんの後裔から聞いた話ですが、この時役だったのが江戸の定宿の主で、一種の相場の情報屋を兼ねていたようです。「ともかく奔走した」ようで、その後が知りたいのですが、黙して語らずでした。本当に残念です。
 野火止用水
#774 野火止用水さま
貴重な話をありがとうございます。
やはり、当時の村民にしてみれば、新政府の不換紙幣を渡されたところで
不安だったでしょうね。
しかし、「定宿の主」というのは気になります。公事宿のような存在でしょうか。
当時はそのような場所に情報が集まったのかもしれませんね。
「黙して語らず」から、何か特別なルートの存在を感じますね。
#775 滅茶苦茶
以前、太政官札発行の目的は「戦費調達」と思っていたので、
関連書を読んで「産業振興」と知った時には意外に感じました。
でも、結局はあちこちで戦費調達に充てられてしまったようですね。

その上、戊辰戦争が続いている状況下で新政府の信用度が低い、
信用取引や手形決済に馴染みがない人々は紙幣を敬遠、
諸藩はまだ藩札の発行を続けている等々、いろいろな理由で
太政官札は値崩れを起こし、三岡八郎(由利公正)は辞職することに。

では、貨幣なら安心かというと…
新政府が旧貨幣を粗製濫造し、旧幕時代より劣悪なものが大量に出回ったことから
贋金が横行、このため各地に一揆・打ち壊し発生、貿易にも支障を来たし外交問題に発展。
さらに銀目廃止による上方の騒動など、一言では表せない経済混乱が続いたとか。
#776 東屋梢風さま
以前に当ブログで、戊辰戦争が終わってないのに新政府が戦勝祝いとして、酒を
庶民にふるまった記事を書きました。
そうまでして新政府が国政の主導権を握り、信用度をアピールしたかったんだ
ということが、この一件を見るとさらにわかりやすいですね。

仰るように太政官札は各地で騒動を巻き起こすわけですが、一方の庶民の側が
どうこの流れに対応していったのかが、面白いところだと思います。

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