前回に引き続き、木更津方面の史跡行脚の記録を書こうと思ったのですが、
今回は別の話題で。
先日、日野市の大昌寺で佐藤彦五郎120回忌が行われました。
佐藤彦五郎は幕末期の日野宿の名主で、新選組土方歳三の従兄であり、義兄
でもあります。新選組を陰で支えた人物として知られています。維新後は
初代南多摩郡長を務めるなど、多摩の名士として活躍しました。
ご子孫の方が、「佐藤彦五郎新選組資料館」を運営していらっしゃいますが、
ワタクシも何度か資料館にお邪魔して、貴重な史料を拝見させていただいたり、
お話を聞かせていただいたことも。
その縁あって、今回の120回忌にもお声掛けいただき、当日の法要に出席
させていただきました。

まぁ、歴史上の方ですから、参列者も平服で。
本当は昨年が120回忌だったのですが、コロナ禍もあり今年に伸ばしたそうです。
ちなみに大昌寺は浄土宗。芝増上寺の末寺にあたります。
写真だと分からないと思いますが、本道の屋根に三つ葉葵の紋が入っています。
法要は厳かに行なわれ、ワタクシもご焼香をさせていただきました。

本堂で法要を済ませた後は、墓前にもお参り。
歳三さんのお姉さん(彦五郎の妻)のぶさんも、ここに眠っています。
この後、午後から日野市の市民会館にて講演会があるというので、そちらにも
出席してきました。

講演は彦五郎ご子孫で資料館の佐藤福子館長、歴史タレントの小栗さくらさん、
そして幕末ファンにはお馴染み伊東成郎先生の御三方。
佐藤館長は「土方歳三取り違い写真について」のお話。
幕末当時、土佐藩に土方久元という藩士がいて、この人は新政府でも要職を
務めた人なんですが、歳三さんの写真に久元さんの名前をつけてしまった写真が
明治時代にお土産として売られていたらしくて、その実物を発見したというお話。
小栗さんは自著について話されてました。
で、メインイベントが伊東成郎先生。
この方のお話は何回か拝聴したことがあるんですが、ホントに面白い。
まぁ、新選組にまつわるマニアックな話が中心なんですが、それぞれのエピソード
についてのご自身の解釈がわかりやすいし、けっこうオチをつけたりもするので、
話が飽きないんですよね。
ワタクシも人前で話すことが多いので、参考にさせていただいてますが、なかなか
先生の域には行けないですね。
今回もかなりの分量の、新選組に関するエピソードをご用意されていたのですが、
ワタクシが最も引かれたのは、新選組と歌舞伎についてのエピソードでした。
先月、歌舞伎座で手塚治虫原作漫画の歌舞伎「新選組」が上演されたことは
このブログでもご紹介させていただきました。

新選組の歌舞伎舞台化は、今回以前にもあったのか?
気になる所ですが、それについては、ワタクシにこのような記憶があります。
それは平成19年(2007)4月に、中村信二郎丈が2代目として叔父の名跡
中村錦之助を襲名する襲名披露公演が行われたときのこと。
(初代錦之助は映画界に転出し、その後萬屋錦之介と名前を改める。)
当時の歌舞伎座は建て替える前であり、2階のロビーがギャラリーになっていて、
毎月そのときの公演所縁の衣装、小道具、写真などが展示されていました。
この時は「亡き初代錦之助を偲ぶ」と題して、歌舞伎役者だった頃のヨロキンさん
(萬屋錦之介)の歌舞伎座舞台写真が飾られていたのです。
アッと思ったのは、その中に新選組隊士を演じるヨロキンさんの舞台写真があった
こと。写真はモノクロだったと思うのですが、ヨロキンさんの他、数人の役者
さんたちが隊士に扮し、話し合いをしているシーンのようでした。
「歌舞伎で新選組をやったことがあるんだ」
と初めて知り、帰宅してから、どんな舞台だったんだろうと調べてみましたが、コレ
が一向にわからない。
どんな歌舞伎関連の本を当たっても、出てこない。タイトルもわからない。
やがて、ネットでそれらしい情報に行きつきました。
それは「明治零年」という演目で、昭和28年(1953)11月に歌舞伎座夜の部で
上演。歌舞伎公演データベースによれば、主役は川村隼人で17代中村勘三郎
(現勘九郎・七之助の祖父)、近藤勇が8代目松本幸四郎(初代白鸚。現幸四郎の
祖父)、永倉新八が3代目市川段四郎(現猿之助・中車の祖父)と、確かに新選組
中心の芝居のようです。
ストーリーは不明ですが、「大坂城書院」「武州日野宿」「甲州柏尾山の戦」「笹子
の落陽」という場面があることから、鳥羽・伏見の戦いから甲陽鎮撫隊あたりまで
と推察できます。
原作は高橋丈雄という小説家。「明治零年」はこの年の文部大臣賞受賞作との
こと。この先生、よほどの新選組ファンだったのでしょうか?主演(であろう)が監察
の近藤隼雄の別名・川村隼人ですからねぇ。
それはともかく。
その中でヨロキンさんは、なんと島田魁を演じた、となっているのです。
「しまだかい~~~??」
と、ちょっとキャスティングに違和感を感じました。
当時ヨロキンさんは女形を中心とした役者でした。この芝居でも立役とはいえ白塗りで
出ていたハズ。一方、島田魁といえば新選組イチの巨漢として知られた人物。
どうにもミスキャストとしか思えません。

歌舞伎から映画に転出したばかりの頃の萬屋錦之介。
こんな島田魁、とても新八っつぁんを塀の上に引き上げられそうにないのですが・・・。
さて、この歌舞伎の一件で成郎先生。歌舞伎座や松竹以外のルートから、この公演
の情報を持ってきてくれたのです。
それは、この昭和28年の公演を、佐藤彦五郎の孫の佐藤仁氏が観劇に歌舞伎座を
訪れ、楽屋で新選組隊士を演じた役者さんたちと談笑したというエピソードでした。
佐藤仁氏がこのときの様子を手記にまとめていらっしゃるようで、今回の講演で成郎氏
が紹介してくれました。
注目したのは、ヨロキンさんこと中村錦之助さんが演じていたのは島田魁ではなく、
中島登と、仁氏は書かれているようなのです。
これは驚きました。松竹の公式発表と観劇した人の記録が違っているのですから!
しかし、島田魁ではなく中島登であれば、女形だったヨロキンさんの配役としては返って
納得がいきます。昭和28年当時、二人の人相、体格がどの程度流布していたかわか
りませんが、中島は「戦友姿絵」を残すなど、芸術家っぽい一面があり、女形の若い
役者が演じるようなイメージはあります。

島田魁

中島登
講演後、不躾ながらも成郎先生に、ヨロキンさんが演じたのはどちらが本当なのか
を聞いてみました。先生はハッキリと「中島です」と仰いました。
佐藤仁氏の手記にそう明記されていることに、間違いはないようです。
一方で歌舞伎データベースは「島田魁=中村錦之助(初代)」と、これまたハッキリ
明記されてるし・・・。ん~~、どっちなんだ?
これはもう、当時の台本でも見るしかなさそうですねぇ。
松竹大谷図書館でも行ってみれば、わかるかな?

この頃のヨロキンさんだと、島田魁もまぁアリかな・・・と。
それにしても顔色悪そう。当時の時代劇メイクは、みんな病人みたいですねw
「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」


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