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庚申塔のはなし

先月のことになりますが、東大和市内の生涯学習サークル「おとなの社会科」にて
「庚申塔への誘い~江戸時代における庚申塔の変遷を中心として~」という講座が
あったので、聴講してまいりました。

なんたって、ワタクシも庚申塔ファンだからね。
史跡歩きや地方に旅行など行ったときに、庚申塔や馬頭観音像を見ると必ず写真を
撮って「萌え~」ってなっています。
キモイですか?すみません・・・。
庚申塔の意味や石造物に彫られている絵などについて、基本的な約束事は知って
いるつもりですが、専門に研究されている方の話を聞くことはまだなかったので、良い
機会だと思いました。

講演をしていただいたのは「世田谷古文書の会」の田丸宏先生。
全国の庚申塔を見て歩いている方だそうです。

庚申塔(庚申供養塔)をよく知らない方や、猫さんにもわかりやすくお話しますと、
庚申塔とはこういうモノになります。

人間の体の中には三尸(さんし)という虫が住んでいます。こいつは宿主の行動を
常にチェックしています。十干十二支の庚申の日に、三尸は宿主の体を抜け出して
天に昇ります。そして天帝に宿主の悪事を告げ口するのです。
「いらっしゃーーい!こんな悪いことしてまっせッ!オヨヨ!」(さんしだけにね)
この三尸からの報告で、人は死んだ後に地獄か天国か行先が決まってしまうので、
悪事をバラされたら大変です。
ところが、三尸は人が眠っているときに体から出ていくのですが、起きているときは
出て行くことができないのです。いいこと聞いたね!
そこで庚申の日の夜は、村中の人々が1ヶ所に集まって寝ずの集会を開きます。
これを庚申待ちといい、60日に1度の村のイベントとなりました。
この庚申待ちを3年、18回続けた証として作られたのが庚申塔、というワケです。

さて、ここからは田丸先生から聞いたワタクシ的に初耳学。

庚申塔には正面に「青面六臂金剛像」という神様を彫る決まりがあるのですが、
これは江戸時代初期に、庚申信仰を広めようとした天台宗の僧侶(山伏らしい)
が、そのイメージキャラクターとして担ぎ上げたものらしいです。
ただ、元々の青面金剛様は腕が4本、つまり四臂だったのですが、なぜか庚申塔に
刻まれる青面金剛はほとんどが六臂となっています。
確かに、絵に描かれた同時代の青面金剛は四臂です。なぜでしょうね?

ワタクシは庚申塔といえばこの青面金剛が刻まれた石造物か、あるいは江戸後期
から明治に作られた文字塔しか知らないのですが、元和から正徳という庚申塔初期
には既存の阿弥陀如来像や地蔵菩薩像に「庚申供養のために建てました」という
意味の添え書きを刻んだ石塔もあるそうです。

庚申塔には三猿がつきものです。中には猿だけを刻んだ庚申塔もあるくらい。
三猿は「見ざる、言わざる、聞かざる」で有名ですがこの語源についても教えていた
だきました。
論語の一節に「子曰非禮勿視、非禮勿聴、非禮勿言、非禮勿動」があり、誰かがこの
中の「勿動」を外し、「勿視(みるなかれ)」を「み猿(みざる)」と読み替えて三猿に
あてはめたというのです。誰がこんなことを思いついたのか分かりませんが、昔から
シャレ好きな日本人はいたのですね。
三猿といえば日光東照宮が有名ですが、東照宮に三猿が彫られたのは寛永13年
(1636)、初めて庚申塔に三猿が登場したのは万治2年(1659)だそうです。

庚申塔と三猿の結びつきも実は謎だそうで、三尸の「三」と庚申の「申」の結びつき
が有力説です。田丸先生によれば初期の庚申塔の中に日吉神社との関連を示す
ものがいくつか見られるそうで、日吉神社の神使である猿との縁も考えられるとか。

東照宮も日吉神社も天台宗と密接な関わりがあるので、庚申信仰を天台宗僧侶が
広めたときに、同時に考え出したということのようです。

さて、ここで東大和市に残る庚申塔をいくつかご紹介しましょう。

庚申塔 芋窪
これは芋窪の庚申塔で、延宝8年(1680)の年号がある市内で一番古い
庚申塔です。現在、芋窪の個人宅地内に置かれていますが、元々は多摩湖
の中にあった石川という地域にありました。

庚申塔 雲性寺
雲性寺門前に置かれている庚申塔。享保16年(1731)建立。
元々は新青梅街道と旧青梅街道が交差する場所に塚があり、そこに建てられて
いました。現在は道路拡張のため塚もなくなり「奈良橋庚申塚」の名称だけが
残っています。

庚申塔 蔵敷庚申塚
蔵敷の第九小学校の前にはまだ庚申塚が保存されており、そこに建てられ
ている庚申塔です。明和元年(1764)建立。
田丸先生によると、東大和市内の庚申塔は笠つきの角柱が多いとのこと。
当時の村人はお金をかけて作ったんですね。

では最後に、今までワタクシが見た庚申塔の中で一番の変わりダネの庚申塔を
ご紹介します。

庚申塔 筑土八幡神社
東京都新宿区にある筑土八幡神社境内の庚申塔です。
2匹の猿が桃の実を取っている様子を刻んだもので、これだけ見たら全く
庚申塔には見えないのですが、上部に日月が彫られており、これも庚申塔の
約束事であるので庚申塔であるのは間違いないようです。
2匹の猿はオスとメスで、一説にはおじいさんとおばあさんが桃を食べて
若返ったという、桃太郎異説物語をモチーフにしているのだとか。
意味はともあれ、全国的にも珍しい庚申塔だと思います。

田丸先生によれば庚申塔は
①99%の塔にいつ建てられたのかを示す年、誰が建てたのかを示す村名
  などが彫られている。
②地域に偏らず、全国に万遍なくある程度の数が残されている。
③多くの市町村で悉皆調査を実施した調査報告書が存在する。
ということで、まち歩きコレクションには最適なのだとか。

うん、わかる!!

皆さんも地元の庚申塔に、ちょっと足を止めてみてはいかがでしょう?


「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



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[ 2020/08/18 ] 番外編 | TB(0) | CM(4)