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函館・・・むしろ箱館史跡廻り

9月に入り、平日に休みが取れたので2泊で北海道は函館に行って参り
ました。
当ブログをご存知の方なら、「管理人が函館に行くなら戊辰戦争の史跡
廻りだな!」とお思いでしょう。まさにそうなのですが、今回は両親やら
妹、甥を連れての家族旅行でしたので、あまりワガママは言いません。
マニアックな史跡はやめておきましたが、定番の史跡・名所はある程度
押さえて参りました。

函館といえば・・・と、ココでは敢えて「箱館」と言いましょう。
箱館に着いて真っ先に向かったのは、やはり五稜郭です。

函館1

五稜郭の敷地内に入っても、大きすぎて公園にいるようにしか感じないの
ですが、お隣の五稜郭タワーに登ると、ようやく全景がわかります。
中央にあるのが復元された函館奉行所です。

この五稜郭を設計したのは、伊予大洲藩出身の蘭学者・武田斐三郎という人。
一般にはあまり知名度の無い方かもしれませんが、さすが五稜郭ではその
功績を讃えた碑やら説明文、銅像などが置かれております。

函館2

斐三郎(あやざぶろう)さん、通称・あややは大坂で緒方洪庵に、江戸で伊東玄朴
や佐久間象山といった人に就いて学び、さらに英仏の築城術などを学んで幕臣
に推挙されました。
五稜郭は幕末当時、最新式の洋式城郭で、あややが学んだ築城術の技術が
導入されています。このほか、箱館戦争で新選組が最後まで戦った弁天台場の
築造もあややが行っています。

このあややの記念碑が東京にもあることをご存知でしょうか?

武田竹塘先生紀功碑

芝東照宮(増上寺の隣り)参道に建っている、「武田竹塘先生紀功碑」です。
教授となり、維新後は兵部省に出仕したあややの功績を讃えた石碑です。
ちなみに「竹塘(ちくとう)」は号、題額は有栖川宮熾仁親王、撰文は幕府奥医師
を勤め、維新後は陸軍軍医監になった石川桜所が行っています。
五稜郭を見たあと、芝に行かれた方は、コチラのあやや史跡にも訪れてみては
いかがでしょう。

函館a
「はっ、スミマセン!」 五稜郭タワー1階にある武田斐三郎像

あ、像といえば!
五稜郭タワーに展示してあるのが、2体の土方歳三像ですね!

函館3
函館4

上の立像は1階のらせん階段横、下の坐像は展望室にあります。
箱館ということで、やはり洋装なんですね。
ちなみにコチラが歳さんの出生地、日野は高幡不動にある土方像。

土方歳三1

それと、土方歳三資料館の庭先にある半身像。

土方歳三2

これで、土方歳三像はコンプリートでしょうか?
まだどこかにありましたら教えてください。
土方家の記録では、明治初期ですが石田散薬を東大和にも販売に来た
記載があるので、若き日の歳さんが東大和にやってきた可能性はあるわけ
です。東大和でも天然理心流を学んでいた家はありましたしね。
荷物を背負って竹刀を抱えた「薬売り・土方歳三像」を作って市役所前
とかに置いたら、みんな見に来てくれるかな?怒られる?

土方歳三といえば、土方歳三最期之地碑はハズせません。

函館6

明治2年(1869)5月11日、弁天台場に孤立した新選組の元に馬で向かった
土方歳三は、一本木関門で敵の銃弾によって絶命しました。
若松公園の敷地内に、一本木関門の複製と碑が建てられています。
この辺りは、五稜郭から箱館山へと行く半島部分の一番細くなっている部分。
一本木関門は、実際には若松公園から西(函館駅方面)に200mほど行った
所にありました。
この碑は昭和33年に若松小学校同窓会、父母・先生の会によって建てられたよう
ですが、北海道には歳さん個人のお墓がありませんので、この碑は歳さん参りを
する人から墓碑の代りとして献花が絶えないのだそうです。

それから、五稜郭と一本木関門の中間点に千代ヶ岡台場という台場が、当時あり
ました。現在は運動公園になっていますが、その近くに中島三郎助最後之地碑
あります。

函館5

中島三郎助も、一般にはあまり知られていない人物かもしれません。
この方は浦賀奉行所の役人で、ペリーが浦賀に来たときに真っ先に対応した
人なのです。そして幕末の動乱期を経て、戊辰戦争では旧幕軍に息子2人と身を
投じ、箱館までやって来たというわけ。まさに、
「は~るばる来たぜ、は~こだて~、息子と食べたい鮭茶漬け~」
元祖・サブちゃんであります。
蝦夷共和国では、サブちゃんは箱館奉行並という要職に就いていましたが、新政府
軍の猛攻が始まり、いよいよ敗色が濃厚となると、上層部に降伏を説きながら自らは
徹底抗戦を貫き、5月16日(五稜郭開城2日前)に息子2人とともに戦死しました。
よく幕末はいつからいつまでを指す時代か、ということを言われます。ワタクシもそう
ですが、、ペリー来航から箱館戦争終結までを幕末と考える方が多いと思います。
そうなると、サブちゃんこと中島三郎助は幕末の最初と最後に立ち会った人物と
いえるのです。

初日はこんなところで・・・。
宿泊は、函館の街と函館空港の間にある湯の川温泉に宿をとりました。

で、夜は函館山の夜景を見に。

函館7

ロープウェイで山頂に登ったのは19;30頃。
もうTシャツ1枚では少し肌寒い感じでしたね。
左側の湾内を見て、「あの辺りに蟠竜が・・・」とか想像してました。


「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



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[ 2019/09/08 ] 史跡へゴー | TB(0) | CM(2)