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幕末の銃砲展② 幕府の輸入銃を考えてみる

では、他にもこんな元込め銃をご紹介。

カットラー銃
これはカットラー銃
トリガーが二つあります。珍しいでしょ。ワタクシも実物は初めて見ました。
前方のトリガーを引くと銃身が折れて、弾丸を装填できるようになってます。
薬莢は金属製。金属製の薬莢は湿気に強い、装填が楽、銃尾からガス漏れがないので
威力と射程がグンバツ!など、いいこと尽くめ。
で、このカットラー銃。伊庭八郎が銃を持っている写真があるんですが、その銃と同じ
タイプのモノだそうです。

レミントン銃 スペンサー銃
上段はレミントン銃
撃鉄を上げると、銃身尾部のフタが開いて、弾丸が装填できます。
時期的にはスナイドル銃と同じ頃の銃でしょうか。

下段はスペンサー銃
会津戦争で山本八重がブッ放してた銃です。
騎兵用に開発された銃で、銃床の中に弾倉があって7発の弾丸を込められます。
弾丸はスプリングで押し出されてくるので、連発が効くというワケです。
ところが、この写真のスペンサー銃は肝心の銃床がなぜか切られちゃってます。
解説文によると、この銃は明治以降にも猟銃として使用されていたらしいのですが、
持ち主が「おら、火縄銃の方が使いやすいだ」ってんで、銃床を短くしてしまったのだ
そうです。ちょっと、もったいないリサイクル。

和製元込め銃
これも珍品じゃないでしょうか。和製元込め銃だそうです。
こんなのを日本で作ってたんですね。日野市所蔵とのことですので、幕府が作った銃
でしょうか?仕組みはカットラー銃と同じです。
形が西洋銃とは明らかに違って火縄銃的なのが、興味深いですね。
先ほどの猟師の話にあるように、当時の日本人は火縄銃タイプの銃の方が馴染み
やすかったのでしょうか。
ところで、この銃、元込め式ではあるのですが、銃身にライフルが刻んでありません。
だから威力、射程の性能はゲベール銃程度だったのでしょうね。

ワカクシも以前行った韮山の江川代官屋敷で確認しましたし、今回の企画展の学芸員
さんにも効きましたが、幕末時点で銃身にライフルを刻む技術は日本では完成でき
なかったようです。

あと、こんなのも。
ペッパーボックス銃
ペッパーボックス銃
拳銃の展示もあったのですが、一番の変わり種がコレでしょうね。
連発で撃てるようにって作ったらしいんですが、重くて命中精度に欠けるため、
リボルバー式との競争に負けたらしいです。
技術革新の過渡期には、短期間で消えて行ったものがよくありますが、空回り
の元気みたいなのが感じられて楽しいです。

展示品は銃や付属品だけではなく、紙史料もあったのですが、ワタクシが興味を
引かれたのはコレ。
歩兵練法
歩兵の調練用の教科書なんですが、右側の本はオランダ式の教本。左側はイギリス式
教本だそうです。
江川太郎左衛門は高島流西洋銃術を学んでいたので、ゲベール銃での戦闘を想定した
オランダ式の訓練法でした。すでに文久2年にはミニエー銃を想定したイギリス式調練法
が幕府に伝わっていましたが、江川支配下地域の農兵にはオランダ式の調練がそのまま
伝わっていたと思われます。
しかし、日野の農兵隊では名主佐藤彦五郎の子、源之助が横浜で新式銃を20挺購入して
きたという話が残っていますので、このような新しい訓練法を記した教本を独自に入手して
いたことがあったのかもしれません。

さて、ここでワタクシにはちょっとした疑問が出てきました。
当時のミニエー銃は英国製のエンフィールド銃が大半のようですけど、果たして幕府が購入
していた銃もそうなのだろうか?米国製のスプリングフィールド銃の方を幕府は購入して
いたのではないだろうか、ということです。
というのも、東大和市、武蔵村山市、西東京市には幕府が当時、湯島の鉄砲製作場に命じ
て作らせた「国産ミニエー銃」と思われる銃が現存しています。そして、そのモデルとなって
いるのは英国式エンフィールドではなく、1855年式米国製スプリングフィールド銃だから
なのです。

この1855年式スプリングフィールド銃は大きな特徴があって、雷管をメイナードテープ式
雷管という特殊な雷管を採用していることにあります。
DSCF0097a.jpg
コチラが東大和市に現存するミニエー(スプリングフィールド銃)。
DSCF0099a.jpg
巻紙式のテープ雷管を装着するため、銃身の横に大きな窪みがあります。

なぜ幕府が国産のライフル銃を作るときに、この米国製銃をモデルにしたかといえば、
1854年にペリーが幕府に献上した物品の中にライフル銃1挺が含まれていました。
幕府ではその銃を基に、改良を加えた複製を1挺作り、万延元年(1860)の遣米
使節団に持たせます。アメリカでは日本が簡単にライフル銃の複製を作ってみせた
ことに驚いたそうです。(1860年6月2日付ザ・タイムス紙)
幕府はこれで「よし、いけるゼ!」と思ったのでしょうね。国産ライフル銃の大量生産に
踏み切ったワケです。

ところが職人が手作業で1挺作るならともかく、大量の銃にライフルを刻むことは非常
に難しく、結局国内技術だけではライフル銃を作ることは不可能でした。
その結果がこの写真の銃です。
製作時期は文久元年(1861)11月から翌年正月頃と思われます。
見かけは米国製1855スプリングフィールドですが、中身は先込め滑腔銃。つまり性能
はゲベール銃と同じ。先ほどの国産元込め銃と一緒です。

そのため、幕府は銃身にライフルを刻む機械を米国から輸入しようと計画します。
しかし、最新技術の流出を嫌がる米国は簡単に機械の輸出を許可しません。
この間(文久~慶応年間)、幕府はライフル銃を海外からの輸入で賄わなければなら
なかったわけですが、アメリカのご機嫌を取るために米国製スプリングフィールドを購入
する方が自然に思えるのですよね。

結局、ライフル製造機械は、日本と米国の交渉中の誤解やら、攘夷計画による鎖港
問題などでとん挫したため輸入はできず、国産ライフル銃計画は泡と消えました。
それと、スプリングフィールド銃のテープ雷管ですが、テープが紙製ということで雨に
弱く、1861年からは通常の雷管式に変更されています。
なので、文久以降にスプリングフィールドが輸入されているとしたら、通常雷管式だ
ろうし、幕府が国産化を目指したのもソチラに変更になっていたでしょうね。

ということで、学芸員さんに当時幕府はエンフィールドとスプリングフィールドのどちら
を多く輸入し採用していたのかを聞いてみました。
結果は、わからないそうです。
んー、まぁそうだろうな。そんなこと細かすぎる話か。
全国のミニエー銃をお持ちの博物館さま。今一度、お宅の銃のライフルの溝の数、
確かめてみませんか?


今年一年間、当ブログにご訪問いただきありがとうございました。
みなさま、よい年をお迎えください



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幕末の銃砲展①

12月19日に神保町アカデミーの講座がありまして、それが年内最後の講座
でした。そこまでは、ちょい忙しかったものでブログもお休みしておりました。
で、その間ずっと気になっていましたのが日野市立新選組のふるさと歴史館で
開かれていた「戊辰戦争150年 幕末の銃砲展」でありました。

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展示終了のギリギリガールズになってしまいましたが、ようやく時間ができたので観に
行ってまいりました。

特別展は常設展との共通料金で200円。展示は2階です。
歴史館に足を運ばれた方はご存知かと思いますが、2階展示スペースはそれほど
広くはありません。
しかし、今回の展示資料の濃密さといったら!
特別展のタイトルに偽りナッシングの幕末銃砲類の多さ。同時代史料、そして解説板
など目をみはる内容です。
しかも、一部の資料を除いて写真撮影可という太っ腹。
ワタクシ、元祖カメラ小僧・篠山紀信が南沙織を撮るがごとく、ゲベールちゃんたちを
撮りまくってまいりました。ま、スマホですけど。

今まで本を読んでいても分からなかったことも、理解できたところがあったのが、何より
の収穫です。
というコトで、その一部をご紹介。

ゲベール銃 ミニエー銃
上段がゲベール銃。下段がミニエー銃です。
鳥羽・伏見の戦い辺りでは主力になった銃ですね。
ところでこのミニエー銃は「再生ミニエー」だそうです。ミニエー銃は南北戦争終結で
大量に余ってるところを「これ、日本にだったら売れんじゃね?」てことで高っかい
値をつけて外国は幕府や諸藩に売ったワケです。
藩によっては少しでも安い銃を買いたいってのもあったのでしょうね。壊れた銃を
買い取り、それを修理して使ったらしいんですね。それが再生ミニエー銃。
事故車をニコイチにするみたいなモンですな。

ところで、ミニエー銃というのは「先込め式ライフル銃」で、おフランスのミニエーさんが
発明した銃のこと。その後、各国の工場で同様の銃が作られるようになり、イギリスで
作られた銃はエンフィールド銃。アメリカで作られたのはスプリングフィールド銃と呼ばれ
ます。この名称は作られた造兵廠(ぞうへいしょう)から取られています。
これらの銃は銃身の中のライフル(螺旋)の数が違うくらいで、特殊なモノ以外は外見
では製作造兵廠の刻印がない限り、その違いはわからないそうです。
なので、研究者でもない限り、エンフィールドだろうがスプリングフィールドだろうが、
奥様方が日々の会話の中で話されるならミニエー銃とまとめて言っても構わないでしょう。
「あら、奥さまのミニエー、ちょっとステキ」「でしょ?英国製ですのよ。ホホホ・・・」

ミニエー弾
ミニエー銃の弾丸は椎の実弾とか、プリチェット弾とか表記されますが、呼び方を色々
言ってるだけで、全て同じモノだそうです。
先が細くなった砲弾型で、お尻の部分に窪みがあるのが特徴。銃の口径よりも小さく
作ってあり、銃口の先っちょから入れるのが簡単。弾丸のお尻には窪みがあって、そこ
にコルクで詰め物をしています。発射時のガス圧でそれが膨張し、銃身に密着して回転
しながら飛んでいくということですな。
写真の弾丸は頭の部分が平になってます。これは不良品ではなくて、こうすると射程距離
と貫通能力は劣るのですが、かえって弾丸が体内に残りダメージを多く与えるという
恐ッそろしいタイプです。「その弾丸、アカンやつやッ!」

スナイドル銃①
スナイドル銃②
写真が後ろの銃と重なって、分かり辛くてスミマセン。
元込め式のスナイドル銃です。アメリカ人のスナイダーさんが作ったので英語読みを
すればスナイダー銃になります。当時の日本は英語よりまだまだオランダ語の方が
馴染みがあったのでしょうかね。

ここで、学芸員さんから教えていただいた元込め銃の歴史について。

世界で最初に大量生産が可能な元込め銃として開発されたのは、プロイセンのチュント
ナーテ・ゲベーア銃。通称ドライゼ銃です。
ところがプロイセンはこのドライゼ銃を1836年に作ったもののなぜか極秘扱いにして、
ずっと黙っていたのだそうです。で、30年後に勃発した普墺戦争(プロイセンVSオース
トリア)で初使用。周りを「聞いてないよぉ!」と言わせました。
元込め銃になると弾丸も変わってきまして、それまで別々に装備した弾頭・火薬・雷管
を一つにまとめた「薬莢」を使用するようになります。

イッセー「ナポレオンが幕府に贈ったというシャスポー銃は・・・?」
学芸員「アレも元込め銃ですね。ただ、ドライゼもシャスポーも紙薬莢なんです。だから
     湿気に弱いのが弱点だったんです。排莢作業はいりませんが」
イッセー「スナイドルは金属薬莢でしたね(写真参照)」
学芸員「元込め銃が出てくると、それまでの先込め銃は全く不利になります。大量に
     余ったミニエー銃をなんとかしろと、軍が懸賞をかけまして。で、スナイダー
     という人がミニエーの改造型として発明したのがスナイドル銃です」
イッセー「なるほど!スナイドルの銃弾装填口は、ミニエーの形そのままですね」
学芸員「ミニエーを改造すればできたので、スナイドルはすぐに普及したんです。
     ドライゼやシャスポーはすでにボルトアクションだったんですけどね。で、
     1870年頃にシャスポーを金属薬莢式に改良しまして。これが初代の村田銃
     (日本陸軍最初の国産銃)に繋がっていくのです」
イッセー「ところで、よく映画やドラマで敵兵の残した弾を拾って、自分の銃に使ったり
      してますけど、弾丸の互換性はあったんですか?」
学芸員「ないですね!どの銃も作られた工場によって口径はバラバラなんですよ。
     そのうちに規格ができてきたと思うんですけど、戊辰頃はないですね」

この企画展担当のMさんという学芸員の方、とても親切に教えてくれまして。
どうも長々とお聞きしてスミマセンでした。
ありがとうございました。

長くなりましたので、以下次回。

※日野市立新選組のふるさと歴史館の「戊辰戦争150年 幕末の銃砲展」は
12月24日に終了しております。


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仙台にて

仙台市博物館を後にして、その日は作並温泉まで行き宿泊。
ゆっくり温泉につかり、牛タンを」食べて、友人たちと久しぶりに夜中まで
談笑・・・というと聞こえはいいけど、つまりは学生時代と変わらぬバカ話。

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泊まったホテルの部屋から見た景色。
ちょうど紅葉が始まった頃でした。

「車でちょっと走れば山形だよ。」
と言って、友人が連れていってくれたのが東根市にある関山大滝。

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夏になるともっと水量が多くなって、迫力もあるんだそうですが、これはこれでイイ感じ
だと思います。

再び宮城側に戻って、また滝見物。鳳鳴四十八滝。

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滝って、なんか知らんけどテンション上がるよね!
コチラの滝は不動の滝とも云われてるようで、その名のとおり側には不動像が祀られて
いました。記録するの忘れましたが、幕末の作だったと思います。

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この後、定義山西方寺というお寺へ。

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ここは去年も連れてきてもらったのですが、参道もにぎやかで参拝客も多く、
関東でいうなら規模はともかく成田山に雰囲気が近いでしょうか。
「取り敢えず一回は行っとこーぜ!」みたいな。
参道で売っているデカい油揚げが名物とかで、みんな食べてる。
これが旨いんだ!前回来たときに食べました。
今年は昼食のあとだったので食べませんでしたが、コレはまた機会があれば
いただきたい。

西方寺というのは、平安時代の平重盛の重臣だった平貞能という武将が、壇ノ浦の
戦いの後に落ち延びてきてこの地にたどり着き、安徳天皇と平家一門の冥福を
祈って阿弥陀如来を安置したのが始まりだとか。
後で調べてみると、「定義」というのは貞能(さだよし)が改名した名前だそうです。

IMG_1359a.jpg

これは鞘堂ですが、この中に阿弥陀堂が置かれております。
この鞘堂も、先ほどの写真の山門もけっこう時代があるように見えたのですが、昭和に
入ってからの建造ということで、ちょっと意外でした。

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鞘堂(六角堂)の中には自由に入れまして、阿弥陀堂も見ることができます。
以前はここが本堂だったのでしょうが、現在は少し離れた場所に近代的なビッグな
新本堂が建てられておりまして、ご本尊はそちらにお移りになっているようです。

六角堂の隣りには、こんな御社が。

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説明書きを読みますと、勝軍地蔵とあります。
その内容は、要約するとこんな感じ・・・。

「その昔、ある村人が戦に向かう途中、奇妙に光る石を見つけたんだそうじゃ。
不思議に思ってその石に無事帰れるように祈ったところ、村人は祈ったとおり
帰ることができたのじゃ。それでその石に勝軍地蔵と名前を付けて、ここに安置
したというわけじゃよ・・・」(語り・常田富士男のイメージで)

勝軍地蔵というと、徳川家康が関ヶ原の戦いの戦勝を祈願したという愛宕山の
勝軍地蔵が有名ですが、ふつう、甲冑を身につけ馬に跨っている姿で表され
ます。
ところがこの勝軍地蔵は、何も刻まれていない石の板。
まぁ、伝承の通りと言ってしまえばその通りなのですが、このような勝軍地蔵は
初めて見ました。
地元に伝わる伝承と、既存の勝軍地蔵が結びついたものなのかもしれない
ですね。

勝軍地蔵の裏に小高い場所がありまして、そこは天皇塚と呼ばれています。
安徳天皇の遺品を埋めて祀った所なのだそうです。

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遺品を埋めた塚の上に2本のケヤキを植えたところ、この木が成長するに連れて
つながりだしたことから連理の欅と呼ばれるようになり、縁結び・子育ての信仰を
集めるようになったのだとか。
ワタクシ、平安とか鎌倉あたりはよく知らないのですが、安徳天皇にまつわる史跡が
壇ノ浦から遠く離れたこの仙台にあるとは知りませんでした。

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五重塔も有りーの。
但し、昭和61年建立。
沢尻エリカさんと同い年←どーでもいい情報。


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仙台市博物館「戊辰戦争150年展」

しばらく記事を更新していない間に、アッという間に12月です。
師走です。
金八先生も「ボクは死にましぇん!!」と言いながら走る季節です(嘘)。

先月の上旬になりますが、仙台に行ってきました。
東北に住む大学時代の友人と会い、そして仙台市博物館で開催されている「戊辰戦争
150年展」の企画展を見るためでした。
ここ何年か、仙台には毎年のように遊びに行ってるのですが、ワタクシの住む東大和市
からですと、大宮駅を経由して新幹線はやぶさに乗れば2時間で仙台駅まで行けるので、
案外近いのですね。

仙台駅で友人に車で迎えに来てもらい、仙台市博物館に連れていってもらいました。

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コチラの企画展、7月から8月にかけて新潟県立歴史博物館、9月から10月にかけて
福島県立博物館で催されまして、10月下旬から仙台市博物館で開催されています。
10月までは仕事やら講座やらがあり忙しかったので、ようやく友人を巻き込んで見学
に行けたという次第です。

で、仙台の展示でも前期・後期と内容が若干変わるようなのです。
でもワタクシの都合が前期の期間中しかなかったことと、前期だけの展示となる「奥羽
越列藩同盟旗」をどうしても見たかったので、この時期に行ってきました。

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※チラシの真ん中にある、星印の旗ね

去年から幕末・明治維新150年ってことで、いろいろな場所で、それぞれの博物館などで
企画展が行われています。
我が東大和市でも9月から10月にかけて、やはり市内の郷土博物館で企画展が催されて
おりました。ワタクシの講座もその流れのようなモノです。
しかし、この新潟・福島・仙台で開催された企画展の先ず目を引くのは、明治維新ではなく、
「戊辰戦争150年」と銘打っているところです。
まぁ、その気持ちはわかります。
やらんでもいい戦争に突入せざるを得なかった東北・北陸の方々から見れば、150年前
の出来事は維新などというスマートな言葉ではなく、戦争の一言に尽きるでしょう。

ということで、今回の企画展は仙台では「最後の藩主 伊達慶邦の決断」とサブタイトルが
付けられているものの、仙台藩だけの史資料だけでなく、長岡、会津、二本松、庄内等の
列藩同盟に関わった諸藩の史資料が一同に並び(モチロン、新政府側も)、見応え十分、
いや十分過ぎるほどの内容量でした。

中でも一番感動したのは、複製ではあったけど松平容保公が死ぬまで身に付けていたと
云われる御宸翰ですね。自分は逆賊では決してない!という絶対の証であり、心の依り
どころだもんね・・・。泣けるわ。

別の意味で心を動かされたのは、ワタクシの大好きな細谷十太夫の衝撃隊(別名鴉組)
の軍装束があったこと。
いやね、彼らは全身真っ黒クロスケの服装でゲリラ戦を展開してたっていうから、地味な
隊服を想像していたのですが、これがスゴイの!陣羽織だと思うのだけど、黒地の背中に
赤い日の丸が描かれ、その中に1羽の八咫烏。裾には荒れ狂う波がしらと水しぶきが
豪快に描かれているという、まるで火消しの頭が見にまとうような派手な一品。
もちろん、これは隊長の細谷十太夫の羽織で、他の隊員がみんな着ていたワケではない
んだろうけど、さすが細谷さん。博奕打ちのようなアウトローを上手く手懐ける人だけあって、
やっぱりケレン味のある趣味をしていたんだなぁ、と嬉しく感じました。
アヴィレックスとかバズリクソンでこのデザインを背中にプリントしたフライトジャケットとか
発売されたら、間違いなく買うな!

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コチラは写真撮影オケの、幕末のおしゃれ番長・額兵隊のリバーシブル軍装。
150年前にこのセンスってシビれるわ~。
さすが、隊長・ドン小西「どんどん防虫!」 (嘘。ホントは隊長・星恂太郎)

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これもお約束ですね。新選組はやっぱりハズせないもの。
展示資料には隊長・山口二郎のときの「新選組名簿」、猪苗代に援軍を求める「土方歳三
書状」、「母成峠布陣図」、中島登の「袖章」「戦友姿絵」などなど。
現在行われている後期展示では、最近発見された「藤田五郎写真」も展示されているハズ。
(この時にはありませんでした。)

企画展は12月9日までなので、仙台周辺の方はぜったい行くべき!



で、ワタクシの幕末趣味に友人を付き合わせてしまったので、友人の趣味にもお付き合い
させていただきました。

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仙台文学館で開催されていた「ガラスの仮面展」。
ワタクシ、全然読んだことないのですが、世代的にはドンピシャの漫画ですよね。
そういや、演劇部の同期に、コレに影響されて入部してきたヤツがいたもの!
そんなせいか、会場内は同世代と思わしき方々がいっぱい。
ワタクシも友人のガイドでけっこう楽しめました。
・・・泥まんじゅう、じゃり、じゃり・・・。


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