「里正日誌」も文久編が終わりまして、すでに元治、慶応、明治初年頃も見終わって
おります。さて、今後このブログの展開をどうしようかな、と考えているところです。
というわけで、今回はワンポイント継投記事です。

先月、歌舞伎座に行ってまいりました。
お目当ては夜の部、通し狂言の
「駄右衛門花御所異聞」であります。
市川海老蔵が大盗賊の日本駄右衛門に扮して、お家騒動を利用して暗躍し、大詰め
では秘術を使って死者をよみがえらせ大望を果たそうとする、痛快娯楽時代劇です。
このお芝居がワイドショーなどでも度々取り上げられ話題となっていたのは、海老蔵の
ご長男
堀越勸玄くんが出演し、歌舞伎史上最年少の4歳で宙乗りを務めるということに
ありました。
みなさんもご存知の通り、海老蔵の妻・小林麻央さんが闘病の末に亡くなられましたが、
勸玄くんの宙乗りはまだ闘病されていた麻央さんを勇気づけるために企画されたのは
想像に難くない所であります。
しかし、現実は悲しいものとなってしまいました。
その中で海老蔵と勸玄くんがどのように乗り切ってお芝居を魅せてくれるのか。
一歌舞伎ファンとして、どうしても見届けたいと思いました。
さて、もちろん身内を励ましたいからといって、子供に宙乗りをさせられるのは歌舞伎
役者といっても市川宗家だからできること。確かにそうではありましょう。
ある意味、わがままが通った結果とも言えます。
しかしですよ、みなさん。歌舞伎座の宙乗りってどのくらいの高さに上がるのかご存じ
でしょうか?

見えにくいでしょうが、矢印のところにワイヤーが花道に沿って張ってあり、そこを
吊るされて客席の方向に飛ぶがごとく移動してゆくのです。
ワタクシが高所恐怖症のせいだからでしょうか・・・尋常な心持ちでは務まらないと
思います。ほぼ同じ高さの3階席から真下を見下ろすと、頭がクラクラしますからね。
海老蔵のブログには「今日はカンカンがやりたくないと言っている、困った」などと
書き込みがあったそうですが、わかるよ!
勸玄くんが登場するのは2幕目の第3場。
駄右衛門の悪だくみを阻止しようと、家臣が秋葉大権現(海老蔵・二役)に祈念する
と、そのつかいの白狐として登場します。
「かんげんびゃっこ!」
とセリフを言いますので、勸玄くん用に用意された役であることは間違いありません。
そして秋葉大権現に抱かれて空高く舞い上がり、駄右衛門をやっつけに行くので
ありました。
勸玄くんの登場シーンはこれだけですが、劇場内割れんばかりの拍手喝采。
特に歌舞伎座はジジババが多いですからね、麻央さんとのストーリーもあって涙を
誘った場面でありました。
しかし、勸玄くん。「かわいいー」とか「がんばれー」の声援を受けると、海老蔵に抱か
れながらチラッとその方に顔を向け手を振っては(ホントはやっちゃいけないんだろう
けど)さらに拍手をもらうあたり、将来のスター役者への下地はすでにできているよう
に感じます。
その背中に背負う歌舞伎役者の責任は果てしなく大きいけれど、がんばれ勸玄くん。
こんなポスターだと、写楽の「大谷鬼次の江戸兵衛」と混同してしまいますが・・・

コレね。別人です。
日本駄右衛門は、江戸時代半ばに実在した大盗賊の頭・日本左衛門こと
浜島庄兵衛をモデルにしています。
庄兵衛は尾張藩士の子として生まれるも、盗賊の道に入り東海地方を中心に
押し込みを働き、手下は200人もいたという大悪党です。
幕末に河竹黙阿弥が「白波五人男」を書いたときに、その五人男のリーダー
として庄兵衛をモデルにした日本駄右衛門をあて、このキャラクターが大ヒットします。
当時、大泥棒といえば鼠小僧次郎吉か日本駄右衛門か、と云われたくらいです。
現代に継承される日本駄右衛門のイメージは、この五人男の駄右衛門がそのまま
残っているといっていいでしょう。
しかし、黙阿弥が「白波五人男」を書く以前、すでに演劇界では日本駄右衛門が誕生
しておりました。
宝暦10年(1761)に、大坂で駄右衛門を主人公にした「秋葉権現廻船語」という話が
作られ(作者・竹田治蔵)、大ヒットしているのです。
今回の「駄右衛門花御所異聞」は、現在上演されることのなくなったそのお芝居を再構築
して、復活狂言の新作として作られたもののようです。
新作だけあって、娯楽性に富んだ演出がそこかしこに散りばめられています。
前半部分はお家騒動や家臣の忠義を、オーソドックスな演出で。
大詰では駄右衛門があやつるゾンビ武者と、権現のつかいの烏天狗が大バトルを演じ
ますが、ここではアクション俳優を使ってアクロバチックな演出も取り入れ、スーパー歌舞伎
に近い雰囲気が感じられました。
こういう、古典を題材としながら新しい演出と解釈を加えていくというのが、海老蔵の
目指す現代の歌舞伎なんでしょうね。
ワタクシは、歌舞伎も古典を守りつつも、どんどん新作を作っていくべきと考えます。
伝統や技術の継承にのみこだわっていけば、歌舞伎はどんどん古典化していってしまい
ます。
それは生きた演劇ではない。
元々、江戸時代の歌舞伎は実際に起きた心中事件、お家騒動、仇討ちなどのセンセー
シャナルな出来事を舞台化したものが多くありました。それは当時の世相や今を切り
取ったものであり、そこに魅力を感じた民衆に支えられて歌舞伎は大きくなっていったの
です。
技術的な伝統の継承にプラスして、新しいものを作るという精神が、今後歌舞伎が生きた
演劇として続いていくには絶対に必要だと思っております。
そんな期待も込めて。
ガンバレ、海老蔵、勸玄くん!


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