松本良順は長崎でポンペに西洋医術を学び将軍家茂の侍医となり、文久3年(1863)には
緒方洪庵の後任として西洋医学所頭取に就任しました。
新選組との付き合いは元治元年(1864)10月に江戸で近藤勇の面会を受けたときが最初
で、良順は近藤に西洋事情を説きました。
慶応元年(1865)京都の西本願寺にあった新選組の屯所を訪れると、病気の隊士が多かった
ので、浴室を作り衛生面に気を付けること、豚を飼いその肉を食べて栄養をとることなどの
アドバイスを送りました。すると、土方が早速実行に移したのを見て、多いに関心したといいます。
江戸時代はけっこう獣肉は食べられていたようですが、狩猟によって獲った動物は食べるけれど
飼育した動物は食べない、というような習慣があったようです。もっとも、彦根藩では牛肉の
味噌漬けが名産品だったということから、絶対的なルールではなかったのでしょうけどね。
豚は農作物の肥料を作るために飼育されている例があったようですが、南西諸島では食用に
飼われていたようです。安政の頃になると薩摩藩でも豚を飼って食用にしていたという記録が
ありますので、西日本では幕末にはそろそろ食べられつつあったのかもしれません。
てことで、歳さんはすでに豚肉は食用になるって知っていたのではないでしょうかね。
新しモノ好きなところがあるから、すぐに食べてみたかもしれません。

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