まだまだ続くよ、仙台編。
やっぱりココは来なきゃ、でしょ。
ってことで
仙台城址にやってきました。

着いたのがもう夕方の時間で、
政宗騎馬像を撮ろうとしたら逆光で
こんな真っ黒くろすけに。
まぁ、これはこれでカッコイイか?
この政宗像の背後に本丸がありましたが、仙台城ってのは山城なので本丸まで
来るのにはけっこうな坂道を登ってこなきゃなりません。
戦国時代ならともかく、江戸時代に入ると「こんな坂道に毎日登っていられるかよ!」
ってんで、坂下の二の丸が殿さまの住居や、通常業務に使われたそうです。
本丸は特別な儀式や、来賓のあったときなどに使用されたんだとか。
現在は、車で一気に本丸横の駐車場まで上がってこれますけどね。
で、話は幕末ですよ。
慶応4年(1868)9月3日、奥羽越列藩同盟の軍議が仙台城で行われます。
お城のどこで軍議が開かれたのか、正確な場所はわからないらしいんですが、たぶん
本丸で間違いないんじゃないでしょうか。

本丸の跡にはこのように縄張りがしてあって、どこにどの部屋があったのかわかる
ようになっています。写真のちょうど正面が大広間ですね。
土方歳三や榎本武揚は、ここで列藩同盟諸藩の重臣たちと会談をしたのでしょうか?
席上、榎本は列藩同盟強化のために土方を総督に推薦します。
鳥羽・伏見から最前線で戦い続けている土方のキャリアにかなう者などいないので、一同
もこれに賛成。
ところが土方は総督を引き受けるにあたって、一つの条件を出します。
それは、各藩の重臣から一兵卒まで全ての戦闘員の命は自分の思いのままにさせて
欲しいという、
生殺与奪の権を与えよというものでした。
おそらく土方は、そこまで覚悟を決めないと戦に勝ち目はないよ、と言いたかったんじゃ
ないかと思います。
ただこれを聞いた諸藩重臣一同は、みんなブルっちゃう。
「それじゃ、ナンですか?土方総督の命令にNOって言ったら、殺されてもいいってこと
なんですか?」
「そんな強行が許されるのは藩主さまだけっス。そんな怖い考えについていけないっス」
キャーキャー言い出す重臣らに、土方は怒りとあきらめのあまり席を蹴って退席して
しまうのでした。
奥羽越列藩同盟の崩壊です。
もっとも、土方や榎本らが仙台入りする前に、列藩同盟のリーダーであるはずの仙台藩
からしてすでに、藩論が恭順に傾きつつあった状況だったのですがね。

本丸跡から城下を見下ろす。
たぶん、仙台駅の方向です。
歳さんやエノタケさんもこの景色を眺めながら「ダメだ、こりゃ!」ってつぶやいたのかな。
この日はこのあと、仙台市在住の
chihiroイグレシアスくんのご案内で、やたら美味くて
量の多い焼き鳥屋で演劇研究会のプチ同窓会。
知り合ってからもう30年が経ち、それぞれ別の道を歩いているというのに、〇ン年ぶりで
会ってもすぐ当時のままに戻れるというのは、ありがたい仲間たちです。
「イッセーくんさぁ、1年生のとき、6号館のホールで巨大な立て看板を一人で描かされて
たよね~、はははは・・・」(by
kitacoさん)
ははは、じゃねーよ。傍から聞いてたらイジメ受けてたみたいじゃないか。
ちがうよ。制作チーフのタカエ先輩の命令に逆らえなかっただけだよ。
生殺与奪の権を握られていたもので・・・。
さて。
翌日はひとりで、残りの史跡廻り。
前回ご紹介した榴ヶ岡天満宮もこの日に行ったのですが、その前に県庁のある方角に
散歩してみることに。

仙台駅からやや北西に位置する勾当台公園です。
写真の左側奥にある建物が宮城県庁。
この勾当台公園に、仙台藩の藩校
養賢堂がありました。
藩校 養賢堂跡の碑だけが、ひっそりと建ってます。
県議会庁舎入り口の脇にありますが、本当に目立たないので、探して行かれる方は
ご注意ください。
奥羽越列藩同盟の結成に奔走した
玉蟲左太夫は、養賢堂の指南頭取をしていました。
また、戊辰戦争時には仙台に集まってきた諸藩からの脱走兵の宿舎にも使われた
そうです。
現在の勾当台公園には
古図広場というタイル敷のスペースがあり、
安政3年(1856)に作られた「仙台城下大絵図」がその路面タイルに描かれています。


細かい文字とかは読み取れませんけどね。
勾当台公園を南に下って広瀬通りを西に歩きます。
歓楽街で有名な国分町通りを過ぎた辺りに、かつては
外人屋という屋敷がありました。
「外人」というのは現在の「外国人」という意味ではなく、「藩外の人」という意味です。つまり、
外人屋とは藩外からの来客を迎えた宿泊所のこと。

現在は何の痕跡もありません。
1階にTSUTAYAの入っているビルがその跡と推定されます。
もしも行ってみたい方は、「ホテルグランテラス仙台国分」を目印にしてください。
そのホテルの向かいが写真のビルです。
ここにも戊辰戦争当時は多くの人が集まったことでしょうね。
ところで前日、仙台城に行く前に瑞鳳殿にも行きました。
伊達家三代の霊廟があるところ。観光の名所ですから、まぁ行きますわな。

霊廟はとても感心いたしましたが、それよりもっと気になったのが、いたる所に貼られて
いたこの張り紙です。

この「お知らせ」が、20mくらいの間隔でベタベタ貼ってあるんですわ。
「こりゃ、よっぽどのコトだな・・・」と、そっちの方が気になって仕方ないス。
けど、瑞鳳殿ってすぐ裏は住宅地なんですよねぇ・・・。
全国でこの方たちの目撃や被害が相次いでおりますが、気を付けたいものです。
まぁ、山や森は本来彼らのモノなんだけどね。
この後、仙台を離れて向かった先は・・・


白石でした。
白石城を見て、片倉小十郎参りをして、温麺を食べてきました。
・・・けど、幕末にはカンケーないので以下省略。
あ、でもひと言。
白石の史跡廻りをするのなら、駅前のレンタサイクルが便利でした。
歳さんの仙台人に対する生殺与奪の権は、山南さん切腹のときに
すでに発動されていたのでしょうか・・・!?
ところで、今回の仙台市幕末史跡廻りでは
歳月堂出版の「ふぃーるど・わーく」というガイドブックを大いに参考にさせていただきました。
幕末の、特に新選組関連の史跡ガイドには、この「ふぃーるど・わーく」の
詳細さは他に例を見ないと思います。
嬉しいことに、公共交通機関の案内もついていますしね。
残念ながら「仙台編」はすでにSOLD OUTのようですが、「京都編」「山梨編」
あたりだと、まだ入手可能のようです。
歳月堂オンライン
(こちら、クリック!)

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