先週末に宮城県仙台市に行ってまいりました。
学生時代に共に演劇に明け暮れた友人が、今仙台と秋田に住んでいまして、
ちょっとプチ同窓会でもやりましょうか、ということで集まることに。
東北新幹線にはかなり久しぶりに乗りましたが、大宮駅から「はやぶさ」に乗って
1時間ちょいで仙台駅に到着。
昼前には仙台駅で迎えに来ていた友人らと合流です。
昼食後にワタクシのリクエストとして「仙台市幕末紀行」に出かけます。
日本史に、幕末に特に興味があるというワケでもない友人たちも付き合って
くれました。Cくん、車を出してくれてありがとう!
先ず向かったのは、若林区にある
保春院です。

ハイ、こちらが保春院の山門でございます。
・・・ウソです。
駐車場がお寺の裏側にありまして、そこからの入り口がココなんです。
ちなみに保春院の本堂は、ただ今改装真っ最中。工事のため覆いがかかっていま
したので写真には撮れませんでした。
「保春院」は伊達政宗の母親、義姫のことですね。
ここは政宗が母親が亡くなった後に、その供養のために建てたお寺です。といっても、
義姫の墓があるわけではありません。
こちらに来たのは、この方のお墓参りをするためです。


仙台藩士
玉蟲左太夫です。
名前だけ見ると、丸尾末広の漫画の登場人物みたいな名前ですね。「お前の目玉を
舐めさせておくれ・・・!」とか言いそうですが、全く違います。
彼は江戸の湯島聖堂の塾頭になるほどの秀才で、万延元年(1860)の日米修好通商
条約の批准書交換使節の一員として、アメリカに渡っています。
聞くところによると、なんでもかんでもメモしまくり、正確に記録に取る特技があったそうで、
そんな真面目な性格が外交随員として重宝されたんでしょうね。
戊辰戦争がはじまると、軍務局副頭取となって
奥羽越列藩同盟成立のため
に会津に走るなど活躍します。
ところが、肝心の仙台藩が新政府軍に恭順してしまったために捕まり、最後は獄中で
切腹を申し付けられるという非業の最期を遂げます。
写真の左側にあるちょっと黒っぽい墓石が左太夫本人のお墓です。
左太夫の友人が建てたようですが「玉虫拙斎之墓」と刻んであります。
続いて向かったのは青葉区の
清浄光院。

こちらのお寺に眠るのは、仙台藩が誇る最強洋式銃隊
額兵隊の隊長だった
星恂太郎です。

山門を潜ってすぐ左に顕彰碑があります。

お墓は本堂の脇にあります。
「星家之墓」とあって、側面に代々祀られた人の法名・没年・俗名が刻まれています。
恂太郎の名もあるのですが、薄くなっていてやっと判読できるかんじです。
恂太郎は仙台東照宮の神官の家に生まれます。そのせいかゴリゴリの攘夷で、仙台藩の
開国派を斬ろうとまでしますが、逆に説得され、その後は積極的に海外の知識を取り入れ
ます。そんなところは坂本龍馬に似てますね。
横浜で西洋戦術を学び、戊辰戦争がはじまると仙台に呼び戻され、洋式銃隊部隊
額兵隊の隊長に就任しました。
しかし、仙台藩が恭順に傾くと「そんなんやってられっかーッ」と、隊を率いて脱走。
旧幕府軍に合流し、蝦夷に上陸。土方歳三の指揮下に入って活躍します。
額兵隊はその実力もさることながら、別の部分で佐幕ファンから人気です。
その理由は西洋式の隊服。
通常は真っ赤な表側、戦闘時には裏返して黒色という、イギリス式リバーシブル制服を
採用していたからです。
この額兵隊のコスプレは、今でもイベント等で大人気。
まさしく、幕末のオシャレ番長です。by ドーーーーーン小西!
いつも史跡レポは長くなるので、今回は小分けにしてアップします。
仙台のマイナー史跡廻りに付き合ってくれたワタクシの友人たちのブログを
紹介します。
人生の役にはまったく立ちませんが、面白いので、ぜひどうぞ!
chihiroイグレシアスのぼんくら日記世界映画博
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