fc2ブログ
2016 04123456789101112131415161718192021222324252627282930312016 06

川越散策

先日、市内の歴史サークルの方々と埼玉県川越市の史跡散策をしてまいりました。
今回のブログはそのときの写真を中心にお届けいたします。

東大和市と川越市は何の関連もないようで、実は歴史的にはけっこう関係が深い
間柄です。
その一つが野火止用水
承応3年(1654)に玉川上水が完成すると、その総責任者だった松平信綱はご褒美
として、自分の領内(川越)まで分水を引く許可を得ます。分水口は現在の西武線
玉川上水駅の東側に設けられ、東大和市の南を通って北上するルートで作られました。
これが野火止用水です。
ただし、東大和市域には一滴も分水が許されなかった悲しい歴史があります。

もう一つは新河岸川舟運です。
新河岸川は川越から江戸に物資を運ぶために、信綱が整備しました。
東大和市内を清戸街道が通っていますが、この道は清瀬を経由して志木の引又で
新河岸川に至ります。狭山丘陵一帯から江戸へ運ばれる物資も、このルートで輸送
されたことでしょう。

てなワケで川越へ。
現在は西武線沿線という鉄道ルートでつながりのある東大和と川越です。
しかし、路線の事情で東大和から川越へは、遠回りとなる小平駅に出て乗り換えな
ければならないため、それほど利便性がいいわけではありません。

IMG_1437a.jpg 本川越駅


先ずは東方面に歩き、仙波東照宮に向かいます。

DSCF7390a.jpg

日光、久能山と並んで「三大東照宮」の一つに数えられるそうですが、その佇まいは至って
地味です。
徳川家康は元和2年(1616)に75歳で亡くなり、一旦は久能山に葬られますが、その遺言
により翌年日光に移葬されます。その道中、この場所で4日間遺体が留め置かれるのです。
というのも、ここに家康の側近だった天海僧正が住持を務めていた喜多院があったから。
4日間に及ぶ大法要を終えて家康の遺骸は日光に向かうのですが、天海僧正は家康への
感謝の気持ちを表わすために家康像を作り祀ります。これが東照宮の初めです。

IMG_1442a.jpg

本殿のある唐門の前です。
手前にある灯籠は明暦2年(1656)に川越藩主松平伊豆守信綱が寄進したもの。

唐門の中へは入れませんが・・・

IMG_1440a.jpg

柵の中にカメラを入れて、本殿を一枚。
中には岩佐又兵衛の描いた三十六歌仙の絵もあるんだそうな・・・。
見たーい。

DSCF7400a.jpg

灯籠は歴代の藩主が(全員ではありませんが)寄進しています。
これはその中の一つ。
柳沢美濃守吉保が寄進した灯籠です。
本殿の外側の地域にある拝殿の前にあります。

ところで、拝殿の前で写真を撮ったらこんな感じで・・・

DSCF7395a.jpg

めっちゃ、オーブが飛びまくってるんですが、コレ何なん?
東照大権現さまですか?
お話したいということであれば、当方はいつでもウェルカムです。
江戸話しましょう!

仙波東照宮を出て北側へ歩くと、喜多院です。

IMG_1444a.jpg

拝観料を払うと客殿や書院に入れます。
江戸城の紅葉山にあった御殿(家光誕生の間、春日局の間)を移築した、というのがソレ
です。少々薄暗い感じではありますが、重厚な趣のある部屋ですね。
江戸城の御殿建築物は、火災などもあって一切現存していません。
この二間だけが移築されていたので、かろうじて残っているだけです。
しかし、重機のない時代によくこれだけのものを移築できたものです。当時の喜多院が
持っていた力が想像できます。
残念ながら、写真撮影はNG。
けど、庭は撮影できましたので、一枚。

DSCF7407a.jpg

小堀遠州の庭だそうです。

IMG_1445a.jpg

喜多院の建造物では、この宝塔が一番カッコイイ形をしていると思います。

IMG_1448a.jpg

五百羅漢像・・・あなたの隣りの家のおっさんに似た顔もきっとある!

DSCF7415a.jpg

こちらが南光坊天海大僧正
金地院崇伝と共に家康の側近を務め、「黒衣の宰相」と呼ばれた僧侶。
108歳まで生きていたといいます。
笑い方は絶対に「ぐふふふ・・・」だったでしょうね。

喜多院の東側、天海僧正像と道路をはさんで建っているのが日枝神社

DSCF7413a.jpg

山王祭が行われることで有名な赤坂の日枝神社は、元々は江戸城の中にありましたが、
その日枝神社はこの川越の日枝神社を太田道灌が勧進したものと云われています。
少し離れた所から見ると、この神社が少し小高い場所にあるのがわかりますが、この
場所には元々古墳があったとのこと。

さて、喜多院や日枝神社からずーっと北へ向かいます。
すると、川越市役所前に出ますが、市役所の前に立っているのがコチラ。

DSCF7423a.jpg

太田道灌像であります。
川越城を築いたのがこの人(と、父親の道真)。
市役所がある場所は、かつての川越城の大手門の位置になります。
道灌といえば川越ばかりでなく東京都内、多摩一帯を含めた地域のスーパースター。
大手門跡にその像を作るのは当然です。
なんなら、お台場にあったガンダムくらいデカくたって文句はありません。

平安末期から南北朝時代にかけて、川越を支配していたのは「河越氏」であり、その
本拠地は現在の川越の西方、上戸にありました。
鎌倉時代に執権北条氏が傀儡として京都から親王将軍を迎えますが、その護衛と
して下ってきたのが上杉氏。その上杉氏が室町時代に入ると関東の覇権を古河公方
の足利氏と争うようになります。
この頃、上杉氏は一族がいくつかの家に分かれますが、その一つ扇谷上杉氏の家裁
を務めていたのが太田道灌です。
河越(上戸)は山内上杉氏が陣を置いていましたが、道灌は新たに川越城を築きます。
川越城と江戸城を対立する古河公方からの防衛ラインとしていたわけですね。
これ以降、川越の中心は上戸の河越から現在の川越に移っていきました。

戦国時代に入ると関東は後北条氏が支配するところとなり、川越城は小田原城の支城と
なります。そして江戸時代には、藩主が老中を務めるような、幕府にとって重要な譜代が
治める藩となってゆくわけです。

大手門のあった市役所前の道を東に、つまり本丸の方角へと進んでいきます。
途中でこんな堀跡を見かけました。

DSCF7421a.jpg

これは中ノ門堀です。
この場所には、大手門を突破して本丸方面に進んできた敵を防ぐ中ノ門がありました。
写真の右(大手門側)と左(本丸側)の堀の斜面角度を変えることによって、敵の侵入を
防ぐ工夫がしてあります。

DSCF7422a.jpg

川越城は明治維新以降、城内のほとんどの施設・建物が取り壊されたため、当時の
面影を残すものが少ないのですが、この中ノ門堀は数少ない遺構の一つだそうです。

d471dc90-s.jpg

川越城本丸御殿
江戸時代初期は、将軍が鷹狩の途中など川越に来ることがあり、本丸御殿はそのために
作られた施設だったようです。藩主たちは二の丸に居住していたんですね。
ところが家光が亡くなった後は、将軍が川越に来ることもなくなり、本丸御殿も用済みと
なって解体されてしまったようです。江戸時代後期に成立した「新編武蔵風土記稿」には
「今は家作なし」と空き地であったことが書かれています。

ところが江戸末期の弘化3年(1846)、二の丸が火事で焼失してしまいます。
当時の藩主・松平斉典(なりつね)は新築の御殿をこの本丸に築くことと決め、嘉永元年
(1848)に再建されたのが、この本丸御殿です。

先ほども書いたように、明治以降に川越城の建物は解体されていきましたが、本丸の
玄関と大広間だけは残されました。
写真だとピンと来ないかもですが、実際に見ると唐破風が巨大に見えて威圧感がとても
あります。建築当時の川越藩は17万石を領していたと云いますから、その威風を押し出し
たかったのでしょうね。
日本国内でも本丸御殿が現存している例は極めて稀なことだそうです。

川越城の敷地内にあるのが三芳野天神社です。

DSCF7419a.jpg

現在工事中で、こんな残念な写真しか撮れませなんだ・・・。

この神社は童謡「とおりゃんせ」発祥の地と云われております。

城内にある神社は、ふだんは庶民がお参りできません。
庶民が城内に入りお参りできるのは、年に一度の大祭か七五三のお祝いの時だけ。

DSCF7418a.jpg

この参道を歩いてくるのですが、城内ですから警備は厳しく、早く帰らないと怒鳴りつけら
れたとか。

「とおりゃんせ とおりゃんせ ここはどこの 細道じゃ 天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ 御用のないもの 通しゃせぬ この子の七つの お祝いに
お札を納めに 参ります 行きはよいよい 帰りはこわい こわいながらも
とおりゃんせ とおりゃんせ・・・」


なるほど、そういう意味の歌詞だったのですね。

大手門まで戻り、そのまま西へ進むと「札の辻」。
飲食店やお土産もの屋が並ぶ、観光のメインストリートです。
そこからちょっと脇道に入ったお寺。

DSCF7424a.jpg

養寿院です。

先ほど平安末期から川越を支配していたのは「河越氏」と書きましたが、鎌倉時代にその
当主だった河越太郎重頼の墓がここにあります。

DSCF7427a.jpg

河越氏は秩父平氏の出でしたが、重頼は源頼朝の乳母の娘と結婚していたので源平の戦
では源氏方に付き、頼朝に優遇されました。頼朝の仲介で重頼の娘が義経の妻となった
ほどです。
しかし、程なく頼朝・義経の兄弟間が不和となり、重頼も所領を没収されてしまうのでした。

養寿院を開基したのは、重頼のひ孫である経重でした。
経重が重頼親子を弔うために建てた供養塔、それがこのお墓です。
他の墓域から離れた本堂の脇にひっそりと、供養塔は佇んでおります。
おそらく当時は、将軍から処分を受けた者の墓として人目を憚ったのでしょう。

その後、河越氏は南北朝時代に「平一揆」という在郷武士団のリーダーとなり、平一揆は
将軍足利尊氏の要請で鎌倉公方足利基氏(尊氏四男)を支える軍団になります。
ところが基氏と関東管領(鎌倉府のNo.2)畠山国清の間が悪くなり、ついに国清が滅ぼされ
上杉氏が関東管領の座に座ります。
鎌倉公方と関東管領は、父親(尊氏)が付けた平一揆勢が邪魔になってきたのか次第に
彼らを冷遇するようになり、ついに両者間の争いへと発展してしまいます。
そして平一揆勢は鎌倉軍によって滅ぼされてしまいました。

養寿院の河越重頼の供養塔を見ると、その表面に刻まれた文字がわざと削られている
ようにも見られます。
河越氏の子孫、縁者は、河越一族の墓だとわかれば破壊されかねないと思い、密かに
わからないように供養を続けてきたのかもしれません。
小さな供養塔ですが、その背後に中世から続く大きな歴史を背負っているのですね。

メガ66
源頼朝って、あんまり上司にしたくないタイプですね。


「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ
にほんブログ村


にほんブログ村 漫画ブログへ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ

スポンサーサイト



[ 2016/05/31 ] 史跡へゴー | TB(0) | CM(0)

新選組漫画 161

20160526.jpg

毎年「ひの新選組まつり」のパレードを見てても思うのですが、左之助さんのコスプレって
茶の布で包んだ鉢金と、同色の防具を素肌に着込む・・・というスタイルに落ち着いた
感じがありますね。
山本太郎がまだ俳優だったときに大河ドラマ「新選組!」で演じた恰好なのは、みなさん
ご存知の通り。
ちょっと無頼派の匂いのする左之助に、あのスタイルはファンの求めていたイメージに
ピッタリだったのでしょうね。あのコスプレを女のコがすると、またカワイイんですよね。
山本氏が俳優業で残した一番大きな足跡は、「原田左之助の実写イメージを確立した」
ということかもしれません。

ところでココからは、プロ野球に興味のない方はゴメンなさい。
「コリジョン・ルール」
あれ、何でしょう?

確かに接触プレーから選手を守るというのは、必要なことです。
ひと昔前に容認されていた体当たりなんかは、ひどいモンでしたからね。あのプレーで
首を骨折するキャッチャーがよく出なかったと思いますよ。

ただ、今年から導入されたコリジョンは、ホームプレート上で行われるクロスプレーその
ものまで否定してしまうようで、なんかいただけないなぁ・・・。
そこが野球の見せ場でもあるし、その機会が失われるのはランナーのスライディング
技術の低下にも繋がりはしないのでしょうか?
国際試合になったときは、キャッチャーのブロック技術だって必要でしょ。

かつての「新ストライクゾーン」とか「二段モーション禁止」とか、明確なラインがはっきり
せず審判の主観で判断された新ルールって、今までもけっこうありましたが、やがてウヤ
ムヤになっていきました。
コリジョンもなんとなく、そんな末路をたどるような気もするのですが・・・ね。


「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ
にほんブログ村


にほんブログ村 漫画ブログへ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ

[ 2016/05/26 ] 新選組漫画 | TB(0) | CM(2)

蔵敷村の農兵献金

文久3年11月、寄場組合(改革村組合)とは別に、新たに組織されたいわゆる
「農兵のための組合村」が組織されました。
「里正日誌」の著者である内野杢左衛門さんが名主を務める蔵敷村は、現在の
所沢市に位置する上新井村組合に編入されます。
現在の所沢市、東大和市、東村山市の各市域にあたる村々21ヶ村が、この組合を
組織することになりました。

ここには、農兵政策を実現化させるために協力的な村々を中心に組合を再編させた
という代官所の意図が見えています。
さらに、この協力という言葉の中には「経費面での負担」ということも、大きな要素
として入っていたことがわかります。

代官所の役人から田無村に呼ばれた杢左衛門さんと市右衛門さん(上新井村名主)
は、組合村21ヶ村の献金書き上げ帳を持参してこれを提出しています。
それによれば、21ヶ村の133人から合計520両もの大金が、農兵のために献金
されていることがわかります。
一例として、蔵敷村ではどのような人たちがどれくらいの金額を献金したのか見て
みましょう。

「文久3亥年
上書(朱書) 御支配所村々献金書上帳
 11月  上新井村組合弐十壱ヶ村
           蔵敷村

一 金10両也       名主 杢左衛門
一 金5両也        組頭 重蔵
一 金5両也        百姓 銀右衛門
小計、金20両也                 」

まぁ、予想通りといいますか、名主、組頭といった村役人がそれなりの金額を納めて
います。これはどこの村でも同じです。

ところが別にもう一つ、覚書きというものも残されています。
これは代官所に提出した書状ではなく、村内で取り決めた内容を書き留めておいた
もののようです。

「文久3亥年11月中、御支配御出役にて農兵お取立てにつき献金した事実の
内割りの覚え

元治元子年12月4日半金取立 元治2丑年2月26日御役所納

一 金5両也 内金2両2分 残金2両2分 名主 杢左衛門
一 金5両也 内金2両2分 残金2両2分 百姓 銀右衛門 印
一 金3両也 内金1両2分 残金1両2分 組頭 重蔵 印
一 金3両也 内金1両2分 残金1両2分 百姓 三左衛門 印
一 金1両也 内金2分    残金2分   組頭 𠮷右衛門 印
一 金1両也 内金2分    残金2分   同   常七 印
一 金1両也 内金2分    残金2分   百姓代 平五郎 印
一 金1両也 内金2分    残金2分   百姓 武左衛門 印

右の通り、一同申し合わせ取り決め置いた   」
 
このように村では2回に分けて献金を集め、元治2年(慶応元年)に役所へ全額を
提出したようです。
また、献金をしたのは3人だけではなく、他にも5人の村人が少しづつ負担していた
ことがわかります。これはおそらく、上新井村組合の他の村々でも同じだったのでは
ないでしょうか。
農兵政策の必要性を、村役人だけではなく、村のみんなが共通認識としていたと
いうのが特徴的だと思います。

特に蔵敷村では、一般の百姓である銀右衛門さんが一人で5両も負担していること
に目がいきます。彼は武左衛門さんと共に自分の息子を農兵に出していますから
「農兵書上帳 蔵敷村の場合」 クリック!
その熱の入れようがわかります。

さらにもう一つ、面白い例を見つけましたのでご紹介いたします。
蔵敷村と同じく、東大和市内の奈良橋村の献金書上げです。

「奈良橋村
一 金5両2分也 名主 藤九郎
一 金3両2分也 百姓 喜三郎
一 金3両2分也 百姓代 冨右衛門
一 金3両也    本山修験 大徳院
一 金2両也    同     覚宝院
一 金3両也    百姓 太郎兵衛
一 金1両2分也  同  伊右衛門
一 金3両也    同  源七
小計、金25両也             」

奈良橋村では献金者の中に、2名の修験がいました。
東大和市史によれば覚宝院は八幡神社の神主をつとめ、護摩を焚き祈祷などを
行っていたといいます。
このような宗教関係者が献金をしている例は、他の組合村には見られません。
農兵に対する村民の浸透度が推し量られます。



img001b.jpg

6月に東大和市内の郷土史家の方々と、「東大和市の歴史を知る」というテーマで
公民館講座をさせていただくことになりました。(於・上北台公民館)
コチラはチラシに描きましたカットです。

事後報告になりますが、5月21日(土)には小学館集英社プロダクション主催、
江戸文化歴史検定協会後援による「江戸楽アカデミー」の講座を持たせていただき
ました。
内容は「江戸の歌舞伎・基礎入門」でした。
多くの方に参加していただき、ありがとうございました。
江戸文化歴史検定試験への対策講座というテーマでしたが、参考になりましたで
しょうか。
受講生のみなさんの1級合格をお祈りいたします!


「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ
にほんブログ村


にほんブログ村 漫画ブログへ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ

[ 2016/05/22 ] 我が東大和市 | TB(0) | CM(2)

新選組漫画 160 歳三忌とひの新選組まつり 2016年

5月7日、8日と、今年も日野市で新選組まつりがありました。
毎年の年中行事、これを見ないと花粉症も治まらない!ってことで、今年も
行ってまいりました。
四コマ漫画は後半で。

IMG_1407a.jpg

先ずは7日。
この日は「歳三忌」に集中します。
石田寺で土方歳三副長のお墓参り。

IMG_1406a.jpg

相変わらず参列者・・・特に女性が多いワケですが、ここ数年でそれにも変化が出て
きたような気がします。
元々コスプレでの参列はご遠慮いただいているようですが、2~3年くらい前はそれ
でも中性的というか、ロック系のファッションに身を包んだ女性を多く見かけたので
すが、今年はそういう方は見なくなりましたね。
まぁ、いろいろと人の流れもあるのでしょう。

この後、高幡不動尊に移動して「歳三忌」の講演会に参加してきました。

そして翌日。
この日はJR日野駅前を中心にして行われる、新選組まつりの見物です。
よく2日連続で行くよなぁ、と思うけど、これも近くに住んでいるからこそですね。

ただ、今回は新選組まつりに行った明確な理由が2つありまして。
そのうちの1つが、まずコチラ。

IMG_1415a.jpg

佐藤彦五郎新選組資料館です。
昨年の秋と今年の3月に、団体で開館日以外の日に見学させていただいたので
そのお礼に伺いました。
佐藤館長、本当にいつもありがとうございます!

今年は、まつりの期間に合わせて、近藤勇局長の愛刀「丹波守藤原照門」と三鷹市
の龍源寺にある「近藤勇胸像」のレプリカを展示していました。
それと、市村鉄之助が持ち帰ったという「土方歳三写真」のオリジナルが見られるのも、
毎年この期間だけ。
やはり、写真の画像が年々薄くなってきているようなので、見られるウチにしっかり
見ておかないと、です。

IMG_1412a.jpg

局長のレプリカ像は写真撮影OKだったので、パチリ!
こうして見るとワタクシの漫画は全然似てないね。
まぁ、いいの。
アレはアレで。
だってこのご尊顔は、絶対にギャグをやってくれない顔でしょう。

さて、もう1つの理由。

本陣前で各種団体の方々が路上パフォーマンスをするのですが、その中にワタクシが
大学生時代に所属していた演劇部の後輩がいるというので、これを見るためにやって
参りました。

IMG_1417a.jpg

後輩の宇井源秀くん(ういげんしゅう・左端)と殺陣チーム「刀浪記」の皆さんです!
宇井くんは役者さんで、時代劇などに出演しております。
せっかくなので、写真をいつもより大きくしてお送りしております。

IMG_1423a.jpg

こんなカンジで本陣前の路上で2回ほど殺陣パフォーマンス。

さて、中にはこんな見慣れない武器を持っている人も・・・

IMG_1426a.jpg

右の人の持ってる武器・・・コレなんですか?
やたら柄の部分が長いんですけど。皆さん、知ってます?
ワタクシ、けっこう刀系には疎いんで知らなかったんですが、長巻っていうらしいです。
薙刀みたいにして使うのかなぁ?
敵に対してアドバンテージがあるんだかないんだか、扱いやすいんだかにくいんだかよく
わからない武器ですが、新選組の隊士の中にコイツの遣い手がいたんだそうで・・・。

20160514.jpg


山崎丞がその人だってのを、当日宇井くんに教えてもらいました。
サンキュー。これで1本、漫画ができたよ^^
でも山崎さんはふだんは町人とか、ホームレスに変装してたんだから、この長巻は
ずっと屯所の押し入れの中にでもしまってあったんだろうね。

というワケで、今年も「ひの新選組まつり」を楽しんで、且つ勉強してまいりました。
そうそう。本陣前でTwitterのフォロワーさんと偶然に初対面で出会ったりもして、
驚いたりもいたしました。「つくさん、その節はありがとうございました。楽しい話が
聞けました!」

宇井源秀くんと殺陣チーム「刀浪記」。
どこかで見かけたら、応援よろしくお願いします!



「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ
にほんブログ村


にほんブログ村 漫画ブログへ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ



[ 2016/05/15 ] 新選組漫画 | TB(0) | CM(2)

柏木総蔵との密談!?

『私(杢左衛門)曰く、農兵一条は別段に控えておくので、詳細は農兵一条を書いた
紙を開いて見ること』


文久3年(1863)11月に、蔵敷村名主の杢左衛門さんは、上新井村名主の市右衛門
さんと共に「農兵書上帳」を代官所に提出しましたが、その写しの最後には上の一文が
朱書きで添えられていました。
つまり、「農兵については別に取り交わした一条があるので、それを参照しろ」と言って
いるのです。その一条には、何が書いてあるのでしょうか?
早速、見て行くこととします。

「右同断のことについて、御出役の柏木捴蔵様より別段に御内意を記した書取を見せ
られた、その写し」(朱書き)


先ずはこのようにタイトルが朱書きで書かれています。
「別段御内意御書取」とあるので、表向きの命令とは別のことと受け取れます。

「一 御先々代(※英龍)はそれぞれ承知の通り、数年に渡って外寇をことごとく憂慮
され様々な御建議もしてきた。つまり、豆州(※伊豆)は三面が海の国で、下田は東海
第一の大きな港であり、その支配する海岸はもちろんのこと、たとえその宿や村々の
ように海路からは隔ててあったとしても、万が一夷賊が上陸して踏み荒らされるほど
の事態になったならば、皇国の御恥辱は容易ならざることである。
しかし、有事に臨んでは四方八方への御手配もあることゆえ、急速には在方への対応
は届かないことであろう。従ってどのような事態が起こるかも計り知れないとの懸念から、
すでに嘉永6丑年に農兵策を思召され、豆州の村々は大まかにお調べになっていた。
このことから駿州(※駿河)辺りの宿場や村から有志の者を御調べになって、農兵に
御差し加えされる等のことを願い申し上げた。
しかしその頃は、江戸湾のお台場やその他の御用事があり、一日一日と過ぎてゆくうち、
発病しついにご逝去された。農兵策はそのまま放っておかれたのを御先代(※英敏)
が非常に遺憾であると思われ、去々酉(※文久元年)10月中に仰せ立てられたことが
この程御下知になったことである。
そのようなことは表立って申し聞く筋ではないけれども、御両所一帯と申す内でも、各々
は旧来の支配を受け御先々代、御先代の遺言を厚く含められた。ことさらに今は鎖港を
御談判中であるが、いずれにしても一日も安心して傍観できるような時勢ではない。
そこで熟考を別段に配慮しておきたいことである。」


農兵は江川英龍が嘉永6年(1853)から献策していたことであり、各々・・・杢左衛門、
市右衛門は英龍・英敏の遺言を託された者たちである。現在は一国も猶予のない時
なので、表向きとは別段の考えを伝えておく。ということでしょう。

「一 農兵は、農兵としてそれぞれお達しの通りお取立てとなったが、元来の趣意は前条
に申し聞いた通りのことである。それゆえ神主・修験・医師その他貴賤を問わず、国家の
ために実は心配している有志の者はいないわけがない。
自然ほとんどの者がそうであるので、しっかりと取り調べて名跡を申し聞かされたい。
その次第によって内々に面会してその考えを承り、志願に応じ許可し、その筋へもお聞き
入れして御内意を伺うべきこととする。
もっともこの度の農兵は銃隊であるが、右有志の面々はそれぞれの得物をもって農兵の
補助となるよういたすこと。たとえば銃は相互に使うものではあるが、近場に至っては
日ごろから練習している利器である短刀を添えて、接戦においては勝算の一理かと心
得ること。



一 昨今御用のためのお金がかかり、御救いの筋のこととは申しながら、御貸し渡しに
なるべき小銃や附属の品々の代金は、その他に容易に無いと恐れ入り奉ることである。
右は御国恩の冥加とわきまえて、身元の者たちから献金を願うこともあるかもしれない。
稽古のための入用はなおさら、お上が御失費なさらぬように工夫し、勘弁してくれという
のはないようにする。
神事祭礼のときの揃いの衣類を用意するのに多額の費用をかけたり、又は自分が欲しい
ものには無益な金銭や手間をも顧みることもないとも申しがたい。その辺りなども得と
わきまえること。
且つ、御本丸が火災になったことについて、他の支配所からは上納金があったけれども、
当支配所においては新銭座大小炮習練場のお取立てにつき、別段の上納金もいたした
ことで、内々に沙汰は出ていたけれどもそのまま打ち過ごしたのは申すに及ばない。
これらのことも考えるに破格のまごころである。
組合に限って身元の者の名跡を取り調べ、凡そ各々の見込みを印封をもって申し聞かさ
れるべし。その上で品々によっては自分からも申すべきこと。
なるべくはそれ以前に献金、並びに稽古の入用金を差し出すように願い出れば、その者
の奇特はもちろん、各々の骨折りも一入り顕著であると申すべきことである。
少しも自分らの勤功も顧みない場合から、一応申し聞くことである。


一 農兵お取立ての仕方に沿って御役になった上は、隊伍役人、平卒ともそれぞれ勤務
中の身分の階級もお立てになるようなるべきことである。
且つ又、右のことにこだわらずこの度のご趣意を厚く理解し、申し諭すほか骨を折った者
並びに上納金を出した者たちのご褒美は、もちろんのことである。

一 新田開墾すべき山野等は申し聞かされるべし。右はその場所によってとくと取り調べ、
最寄りの村々の次三男や厄介等の中より出百姓を申し付け、そのためにお取立ては
薄くして、平常は百姓に従事し有事のときは兵卒になるように、専業の農兵は取立てない。

一 この度申し諭した農兵についてのことは申すまでもなく、すべてその筋のため、又は
取締り向きなどへの忠義心を付けることでもあるので、無考慮に申し聞かされるべきこと
である。
役所向きのこと、そのほか他に聞かれたくないこともあるので、印封をした上で内々に
申し聞かされたい。

一 孝行者、奇特の人、文字が書けて行跡がよろしい者の有無を取り調べて、申し聞か
されるべきこと。

右の廉々は内密に申し聞かされたことにつき、すべて各々限りで、他言しないこと。」


おそらくお上から出た農兵取立の条件は、農民にとって負担の大きいものだったので
しょう。
これでは江川家悲願である農兵政策に、農民から反対意見が出てしまうと考えた柏木
さんらが、この一条を杢左衛門、市右衛門の両名に見せて、村で納得の行く形に修正
していったものと思われます。
その結果、以前ご紹介した「小銃は貸与とする」「訓練は農閑期とする」などの条件へ
と変わっていったのでしょう。

そして、この一条の末尾に以下のような注意書きが朱書きで添えられています。

「右は文久3亥年11月19日に、前書の柏木様、三浦様御両人より田無村御旅宿の
御用先へ、上新井村名主市右衛門と蔵敷村の同杢左衛門をお呼び出しの上で内密
に見るように遊ばされた御内意の写しである。
そして、所澤組合のうち当御支配所21ヶ村については杢左衛門、市右衛門の両人が
引請け、万事の御用向きは厚く差配して世話するようにと仰せつけられた。」


寄場組合(改革組合)では所沢組合として機能していたものが、なぜ農兵政策下では
編成し直されたのか、この一文を読んでわかりました。
蔵敷村の杢左衛門さんと上新井村の市右衛門さんは、江川英龍から日本の防衛策、
あるいは農兵策についてかなり以前から説明を受けていたものでしょう。それだけ
江川家からの信頼が厚かったのだと思います。
農兵には消極的な村々も当然あったでしょう。
しかし、信頼の置けるリーダーがいる組合をいくつか作っておくことで、より実践的な
集団を代官所は作りたかったのだと思います。

おそらく、同様の事前交渉や、このような農兵一条の写しは農兵政策に積極的だった
日野宿などにもあったのだと思います。どこかから発見されるといいのですが。

メガ65



「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ
にほんブログ村


にほんブログ村 漫画ブログへ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ

[ 2016/05/07 ] 我が東大和市 | TB(0) | CM(2)

オレデミー大賞 2016年中間発表 1月期

かなり遅れてしまいましたが、オレデミー大賞の中間発表です。
2016年1月期にチェックした地上波の連続テレビドラマは、29本でした。

作品賞ベスト10

10位 スミカスミレ テレ朝 金 23:15
9位  怪盗山猫 日テレ 土 21:00
8位  わたしを離さないで TBS 金 22:00
7位  スペシャリスト テレ朝 木 21:00
6位  いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう フジ 月 21:00
5位  お義父さんと呼ばせて フジ 火 22:00
4位  逃げる女 NHK 土 22:00

「スミカスミレ」は松坂慶子が「お婆ちゃん」と自称する設定に、ちょっと愕然としました。
まぁ、確かに彼女の年齢はリアルにその通りなのかもしれませんが、かつて子供の頃
「江戸を斬る」で紫頭巾のファンだった世代としては、軽くショックを受けますね。

「怪盗山猫」。ユウキという黒幕(?)の設定はいかがなものか?鉄仮面に生命維持の
コードをつけての登場には「あんたショッカーの首領かよ」って、ツッコミを入れたくなりま
した。あれだけで、もうコントですよ。

「わたしを離さないで」は重い・・・というより息苦しく感じました。こういうテーマをテレビドラマ
で扱うチャレンジ精神は認めますが、やはり映像化するなら映画向けの話だと思います。

「スペシャリスト」は2時間ドラマの延長だそうで、それを見ていなかったワタクシとしては、
上川隆也が演じている人物がどれほどヤバイ奴なのかイマイチよくわかりませんでした。
それ以外のところではまずまず面白かったと思います。夏菜がもうちょっと前面に出て
くるのかと思いきや、それほどでもなかったですね。

「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」・・・タイトルが長すぎ。これで奇をてらっ
てるんだとしたら、残念です。若い人ばかりが出るドラマの中で、八千草薫の存在が
柔らかで良かったですが、途中から出なくなったのは残念でした。高橋一生はやはり
上手いですね。小さな役でも、観る者の記憶に必ず足あとを付けていきます。

「お義父さんと呼ばせて」。エンケンさんはもう遊び尽くされちゃったってカンジでしょうか。
これだけイジリ尽くされたら、もういいでしょう。
この辺りで原点回帰して、またシリアスな悪役を見せて欲しいものです。

「逃げる女」で、そのシリアスな遠藤憲一が見られました。刑事ですから悪役ではありま
せんが、彼から冤罪の罪を着せられた主人公・水野美紀の視点から見れば敵役に
なるワケです。こういうエンケンさん、やっぱりイイです。
しかし、このドラマで圧巻だったのは仲里依紗。本当にイカレちゃったんじゃないだろう
かと、こっちが心配しちゃうほどのイカレっぷりで圧倒されました。恋愛偏差値ばかり
気にしてるようなタイプの女性が彼女の守備範囲かと思っていましたが、そんなコトは
ないんですね、お見逸れいたしました!
撮影も手持ちのカメラを多用して、「逃げる」という緊張感を上手く演出していました。
視聴率は悪かったようですが、佳作です。

3位  ナオミとカナコ フジ 木 22:00
最近、内田有紀はDVを受けている役柄が多いような気がしますが、ついにこのドラマ
ではDV夫の佐藤隆太を殺してしまいました。もっとも、殺人をそそのかしたのは親友で
共犯者の広末涼子です。
キャンドルジュンも殺されていないかという余計な心配はさておき、ドラマはこの2人
が完全犯罪を目指す方向で描かれます。そしてその緊張感をアップさせる登場人物
がさらに2人。
内田有紀とヒロスエを助ける中国人社長の高畑淳子と、逆に彼女らを追い詰めて
いくDV夫の姉・吉田羊。高畑社長が助け舟を出してくれたかと思えば、羊姉が執拗に
追い廻し2人の逃げ場をツブしてゆきます。
ステレオタイプの中国人でガンガン押してくる高畑社長と、弟を溺愛するあまりストー
カーのように2人を追い続ける羊姉。
「面白いドラマに、いい脇役アリ」とは正にこのコト。
ラストシーン、吉田羊の表情で全ての結末を想像させる演出も良かったです。

2位  ちかえもん NHK 木 20:00
「出世景清」の大ヒット以来、どっぷりとスランプに落ちてしまった浄瑠璃作者の近松
門左衛門(松尾スズキ)が、ひょんなことから大店のボンボン徳兵衛(小池徹平)と
遊女お初(早見あかり)の愛憎劇に巻き込まれ、名作「曽根崎心中」を書き上げるに
至るまでのストーリー・・・と書くと本格的時代劇のようですが、話はほぼコントのよう
な展開で進んで行きます。
毎回、昭和のヒットソングの替え歌を松尾門左衛門が唄い、彼の脳内で繰り返し
練られる「赤穂四十七士」の討ち入りシーンは奇をてらうあまり、いつもグダグダ。
さらに、彼を「ちかえもん」と呼んで付きまとってくる、小汚いナゾの飴売り青年の万吉
(青木崇高)が周囲を引っかき回し、門左衛門は振り回されっぱなし。
ほとんどコントか小劇団のノリで、お話は進みます。
しかし、ドラマは脱線しそうで、ちゃんと線路の上を走っているのです。この展開は松尾、
小池が出ているせいもあるからでしょうか。なんとなく「あまちゃん」の作り方と似たよう
な印象を与えてくれました。細かいギャグに笑ってるうちに、大きなストーリーに引き
こまれていく、あの感じです。
また、この時代(元禄期)の劇場に屋根がない、人形が一人遣いである、などの時代
考証も押さえる所は押さえてあるので、歴史モノの説得力も持っています。
そして、最初はただ煩いと思っていただけの万吉が、実は門左衛門にとってかけがえの
ない存在であったことがわかるラスト。このあたり、ちょっとしたファンタジーなのですが、
ホロッとさせてくれるシーンです。
好き嫌いはあるでしょうが、「あまちゃん」のような展開のドラマが好きな人なら、ハマる
こと間違いナシです。

1位  あさが来た NHK 月~土 08:00
いろいろ考えたんですが、3月中に最終回を迎えたドラマの中でワタクシが一番ハマった
ドラマは結局のところ、コレでしたね。
江戸時代から始まるというストーリーもさることながら、波瑠、玉木宏、近藤正臣、宮崎
あおいらの主演陣に加え、ディーンフジオカ、山内圭哉、三宅弘城、清原果耶らといった
脇役もそれぞれ見せ場が用意されていて、観ていて次の展開が楽しみでした。
まぁ、ワタクシの好みから言うと、朝ドラってのは昔の「おしん」みたいなシリアスで辛い
ドラマより、朝食食べながらライトに観られる作りの方がいいですね。
それと、今回はゲストで「山本耕史が土方歳三として出演した」というのも嬉しいポイント。
まんまとNHKの仕掛けた罠にハマっているわけですが、こういう罠なら喜んで飛び込み
ますよ、ワタクシは。
ところで、「朝ドラでは初めてのちょん髷」って言ってましたけど、かつて斉藤由貴が主演
した「はね駒」でもちょん髷の人が出てきたような記憶があるんですが・・・ワタクシの
記憶違いでしょうか・・・?

続いて、深夜枠ベスト3!

3位  神奈川県厚木市ランドリー茅ヶ崎  TBS 火 25:11
2位  ニーチェ先生 日テレ 土 26:55
1位  東京センチメンタル テレ東 金 24:12

「ランドリー茅ヶ崎」、「ニーチェ先生」ともにほぼワンセットの中で作られていて、チープ
ではありますが、こういうドラマはワタクシは好きです。
「東京センチメンタル」は街角うんちくガイドドラマみたいになるのか・・・と思っていたの
ですが、そういう部分は抑えめにして、抒情的な上質ドラマに仕上がっていました。
主演の吉田鋼太郎はダンディな魅力がありますが、クセも強いので「下町の和菓子屋
職人」というのはどうなんだろうと最初は思いました。普段はにこやかに接客しながら、
裏では闇社会にその人アリと云われたスナイパーとか、そんな余計なコトを感じさせて
しまうのではないかと。
ところが「バツ3の中年オヤジ」というチョイダメな部分が上手に醸し出されていて、と
ても親近感のあるキャラに仕上がっていました。
これはアルバイト店員役の高畑充希のツッコミ芝居が、とてもいいアクセントになって
いたからだと思います。おそらく和菓子作りでは一流の腕をもつ主人に、私生活での
バツ3ぶりをネタに徹底してイジリ倒す、でもどこかでダメ中年の幸せ成就を願っている
彼女の視線が、視聴者と重なっていたからでしょうね。
もちろん、鋼太郎サンの役作りあってこそのモノですが。佳作です。

各個人賞。

主演男優賞
青木嵩高「ちかえもん」 遠藤憲一「お義父さんと呼ばせて」
主演女優賞
波瑠「あさが来た」 水野美紀「逃げる女」
助演男優賞
西島隆弘「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」
助演女優賞
仲里依紗「逃げる女」 吉田羊「ナオミとカナコ」
新人賞
松井玲奈「フラジャイル」 フジ 水 22:00 「ニーチェ先生」
      「神奈川県厚木市ランドリー茅ヶ崎」
清原果耶「あさが来た」

舞台美術賞
ちかえもん
撮影賞
逃げる女
衣裳賞
東京センチメンタル
いつかティファニーで朝食をseason2 日テレ 土 25:25
主題曲賞
島谷ひとみ『心のままに』 「愛おしくて」 NHK 火 22:00

総評
2016年1月期のドラマは全体的に不作だったように思います。
次回を楽しみにして待つ!というドラマがベスト3以外にほぼ無かったです。
BSプレミアムで「鴨川食堂」(主演・萩原健一、忽那汐里)という連続ドラマを放送して
いました。BSなので選外でしたが、実は1月期に一番面白かったドラマはこの「鴨川
食堂」でした。ショーケンと忽那汐里の親子というキャラクターを、派手な事件や設定
に頼ることなくしっかりと描き込んでいたからだと思います。

4月期のドラマも出そろった感じですね。
今期はけっこう面白そうなドラマもあるので、楽しみにしています。

メガ64
テレ東金曜日深夜の「ナイトヒーローNAOTO」と「その『おこだわり』、私にもくれよ!!」
も、ワタクシのイチ押し若手女優・黒島結菜と松岡茉優が連続して見られるので、
よろしいかと存じます!


「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ
にほんブログ村


にほんブログ村 漫画ブログへ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ 

[ 2016/05/01 ] 番外編 | TB(0) | CM(2)