新選組漫画 151  

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年末の忙しい時ですが、ワタクシごとながら車検の時期がやってきまして、先日ショップに
持ち込み、車検を通してもらいました。

ワタクシの車はコチラ・・・

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1973年式のMG-Bでございます。

ブログのプロフィールの「好きなもの」に、「ちょっと古い英国車」ってあるでしょ。
それが、コレです。
イギリス自動車史上、最も有名で最も大衆的な2シート・オープンスポーツカー。
カワイイでしょ。
少女B子ちゃんと呼んでください。

MB-Bは1962年にMG(モーリス・ガレージ)が、それ以前のMG-Aをフルモデル・チェンジ
して作った車です。1980年までに52万台が生産されたという、希少性の全くない車
ですが、それだけに世界中に愛好家がいて、今でも新車が1台組み立てられるっていう
くらい安価にパーツが出回っております。
なので、全くのメカ音痴のワタクシのような人間でも、信頼できるショップさえ捕まえておけ
ば、現代の東京でも問題なく乗れちゃうクルマなのです。

ワタクシがB子ちゃんを入手したのは、かれこれ20年ほど前のこと。
ミニに乗っている友人と、世田谷区用賀にあるクラシック英国車のショップに行き、ほぼ
一目惚れで買ってしまいました。
以来のクラシック英国車ライフでございます。

・・・とはいうものの、ここ数年、歴史方面に偏った生活をしていたせいか、B子ちゃんに
ほとんど乗らない状態が続いていました。家にはもう1台国産小型車があるんで、近所
への買い物なんかは、そちらの方が断然便利ですしね・・・。
実をいえば、そろそろ手放す頃かなぁ、なんて考えもあったのです。

今回、ショップにキャブレターのオーバーホールをしていただきました。
B子ちゃんも最近はかなり燃費が悪くなったし、けっこうカブることも多くなったんで、
それでショップの社長と相談してオーバーホールをお願いしました。
ちなみにマニアックな話で恐縮ですが、本来MG-BのキャブはSUツインキャブというのを
使っております。ところがB子ちゃんは先代のオーナーがウェーバーに換装したようで、
ワタクシもそれをそのまま使っております。
・・・で、車検を終えて乗ってみたトコロ・・・。

いや、これが、すっげー気持ちイイ乗り心地!
気を遣いながらアクセル踏むこともないし、アイドリングは安定するし、燃費も少しは
改善できてるような気がします。

よし!
次の車検まで、やはりガンガン乗ってあげよう!
そう思った次第であります。

まぁ、確かに新しい車、しかも国産車の方が圧倒的に乗りやすいし、優秀です。
けど、古いモノも大事に使ってあげると、それなりの幸せ感を与えてくれます。
捨てるのは簡単ですがね。

ワタクシが20年来、お世話になっているクラシック英国車の専門店は
ECOSSE CARS(エコス カーズ)
ショップは用賀、工場は府中にあります。
クラシック英国車の知識と技術に、間違いないお店です。


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芋窪村内の争い②

芋窪村で起こった隣家との竹木伐採問題。
今回は訴えられた藤五郎さん側の反論です。

「         当御代官所
              武州多摩郡芋久保村
                      組頭 藤五郎
                      同人弟 由蔵
                      百姓 金次郎
                      同  八右衛門
                   申口

栄蔵佐右衛門疵受け候始末御吟味に御座候
                     
この事について藤五郎と由蔵が申し上げ奉ります。
藤五郎は石高2石4斗余りを持ち、家内4人暮らしで村役人を勤めております。
由蔵は去る安政4未年に、同郡の小川村に奉公稼ぎに差し出しましたが、右腕の肩口より
水車に巻き込まれ怪我をして、農業渡世もできなくなり兄の手許におります。
然るところ、文政10亥年に曾祖父文右衛門が私の義父由五郎へ分地をしました折、隣地
の者へ、畑地の支障になるような竹木は屋敷地内へ植えないという旨の書付けを差し入れ
ました。このことを大まかに承り伝わっておりました。
5年前の安政6年に、組頭幸吉の弟である栄蔵が新規に家を作って分家をしたいと申して
きたので、同人の境界の東側が私の所持する畑地と地続きであり、木陰になっては差障り
があるので、以前同様の取り決め通り私方へ一礼を取り置くということを決めておきました。」


前回の栄蔵さんの証言だけではわからなかったコトが、いくつか出てきました。
藤五郎さんは村役人でした。添え書きには組頭とあります。
そして弟の由蔵さんは右腕を大怪我していました。後ほど書かれていますが、これは切断
するほどの事故だったようです。
また、前回に栄蔵さん側の証言をした幸吉さんは、栄蔵さんの兄だったようです。
つまり、この一件は組頭の縁者同志の争いということになります。

そして、大きな証言。
栄蔵さんの家の木も、藤五郎さんの土地の支障になる可能性があったということです。

「私の屋敷地に実の成った栗が自然に生えているのですが、今年の秋、栄蔵、佐右衛門より
伐採するべきとのことを聞きましたので、栄蔵の境界にも竹木があり同様のことなので、この
竹木を伐採するならば、私方でも伐採する旨を答えたところ、栄蔵方では一切伐採する理由は
無いとの挨拶がありました。
且つ、佐右衛門は前々より溝の掘っていない場所に自分勝手に堀切を作り、私の畑地に
悪水を押し流したので難渋しておりました。
このやり方を替えてくれるように申したのですが、これまで取り合おうとしないので、私方として
もそのままにして過ぎてしまっていました。」


おやおや・・・雲行きが怪しくなってきましたぞ・・・?

「今月12日の朝、名主景左衛門の家に参上しまして、木陰ができたので伐採のことを何とか
示談したいと言ったところ、争わぬようにと申し聞き帰宅しました。その後で、栄蔵と佐右衛門が
鋸、鉈などを携えてそれぞれやって来て理不尽に生垣を伐採し、右の栗の木を伐りかけたので、
立ち出でて差し押さえたところ、理由を言わず不法のことを言い張ります。
仕方なく取り合いもみ合っているうちに、弟の由蔵がやって来て双方をなだめようと心得て差し
押さえようとしましたが、元々右手が無いところに心ならずも左手で差支えとなったはずみで、
栄蔵の持っていた鉈に打ち当たりながら、いささか疵ができたのでしょうか。この疵を負ったため
覚えておりませんが、栄蔵、佐右衛門ともその場に打ち倒れ、由蔵もこの騒動で所々身体や頭、
殊に平常から至って虚弱病身の身なので取り乱し、持病の差込みでそのままその場に打ち伏し
てしまいました。」


栄蔵さんの言い分とかなり違っていますねぇ。

「何分にも両人の申し合いは理不尽でやり方も法外至極なので、このことを出訴御吟味願い
奉りたく、名主景左衛門へ添え状を頼んだところ取り扱ってくれず、仕方ないので駆け込み
訴え申し上げようと出立しました。
しかし、右の騒動のときに痛めたと見える足通が起こり、一歩も歩き難かったので療養手当
をしておりましたうちに、相手の者どもが訴え申し上げ、御検使の方がやって来られると承り、
直ちに引き返し立ち戻りました。
何分捨て置きがたい次第でございますので、この上は厳重の御吟味がありますように願い
上げ奉ります。」


以上が「被告人」である藤五郎さんの言い分です。
一応理屈は通っているように見えますが、名主の景左衛門さんが彼の言い分を取り上げな
かったことが、気になりますね。
そして、栄蔵さんの証人として幸吉さんが証言を提出したように、藤五郎さんにも2人の証人
の添え状が付きました。

「金次郎と八右衛門が申し上げます。
栄蔵と佐右衛門が疵を受けました始末は存じませんが、藤五郎と由蔵が申し上げました通り
木陰について何とか双方とも一礼を差し入れたことは承っております。
今月12日朝後九ツ頃、藤五郎宅裏庭にて取り合い口論いたしたことを承り、早速参上しました
ところ、栄蔵と佐右衛門ともその場に打ち倒れていて、由蔵も右傍らに打ち伏しおり、藤五郎は
その場にいなかったので尋ねたところ、右の始末を出訴仕りたいと出立しましたが、怪我人
たちを介抱手当などいたしたことを、村役人たちへ届けましたことでございます。

右、御吟味につき一同相違いなく申し上げます。以上。

     文久3亥年10月16日
                    右 八右衛門
                       金次郎
                       由蔵
                       藤五郎

 江川太郎左衛門様御手附
   山崎兼吉殿    」


そして、栄蔵さんの書状と同じく、

「前書の御吟味を私どもも、一同罷り出ることを承知いたしましたこと相違ございません。以上。

                                      芋久保村 名主 景左衛門
                                             組頭 八郎右衛門 」


両者の言い分が揃いました。
栄蔵さんと藤五郎さん、どちらの言っている方に分があるのでしょう?
さてさてこの事件、どのような決着になりますのやら・・・。

メガ55


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新選組漫画 150  豪徳寺で招き猫

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先日、日大商学部校友会のご依頼により、世田谷区豪徳寺周辺のガイドをして
まいりました。
豪徳寺は招き猫発祥の地の一つと云われています。
・・・で、この漫画。
両手を挙げた猫は「お手上げ」・・・てことで、あまり良くないらしいですね。

さて、今回はそのガイドツアーで廻りましたコースをご案内いたします。
日大商学部は小田急小田原線祖師ヶ谷大蔵駅が最寄りとのことで、ほぼ地元の
豪徳寺駅、さらに世田谷線沿線の史跡をガイドして欲しいとのご要望でした。

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小田急線豪徳寺駅に集合。
商学部OBの方々を中心に、現役の学生さん方も数名ご参加いただきました。
参加者は30名ほどでしたので2班に分け、ワタクシと江戸検一級で同期合格の
A山さんの二人でガイドをさせていただきました。
ちなみに冒頭の写真の招き猫は、豪徳寺駅前に鎮座してございマス。

先ず向かったのは、コチラ。

DSCF0473a.jpg

世田谷八幡宮。宮坂八幡宮ともいいます。
社伝によれば寛治5年(1091)後三年の役で勝利した源義家が戦勝を祝して、この
地に勧請したということなのですが・・・。
確実なトコロは、中世に世田谷を治めていた吉良氏吉良頼康が天文15年(1546)
に社殿を創建したのが確実な話。

この神社が有名なのは

DSCF0477a.jpg

こちらの土俵。
世田谷八幡宮は、渋谷の氷川神社、品川の大井鹿島神社と並んで江戸時代には
三大奉納相撲の一つと云われています。
ここでは現在も東京農大相撲部により、その伝統が引き継がれています。

次に向かいましたのが、豪徳寺
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芋窪村内の争い①

さて、今回ご紹介する「里正日誌」の記事は、木左衛門さんの住む蔵敷村のお隣芋窪村
(芋久保村)の出来事です。

現代でも隣の家との境界線は、しばしば争い事の元になったりいたします。
特に庭に生えている植木は、枝が伸びて葉が落ちるだの、根が張り出してきただの
トラブルの種になることが多いようですが、江戸時代ともなるとこれがまたシビアな事件に
なっていくようでございます。。。

「このたびのことについて、栄蔵と佐右衛門が申し上げます。
栄蔵は石高5斗8升を持ち家族は4人暮らし、佐右衛門は石高4石2斗余りを持ち家族は
6人暮らしで、それぞれ農業を経営しております。
然る所、私たちの持っている畑は藤五郎宅の後方に地続きにありますが、文政10年に
藤五郎の父由五郎が当時の地所に家を建てました。そのとき、その屋敷地へ竹木等を
生やしては私たちの所持する畑が木陰になり、作物が実ることにも宜しくなく、年貢を納める
にも難渋するので、このことを申し入れ、桑のほか竹木とも植えないように、もし今後竹木等
が生えて藤五郎方で伐採しないのであれば、我々の方で勝手に伐採してもよいという一札
を取り置き、議定を取り決めました。」


耕作地の日照は、農家にとって切実な問題ですから、栄蔵・佐右衛門さんと藤五郎さんとの
間で取り決めたルールなのでしょう。

「近年だんだんと竹木等が生い茂り、我々の畑地はことごとく木陰になり作物の実りにも
支障があり、甚だ難渋してきました。
その都度掛け合っても一向に取り合おうとはせず、かえって不法に自分勝手なことを申したて
ます。
仕方なく当月12日朝、そのことを名主の景左衛門へ断り、議定所の取り決めをもって藤五郎
方へも一応断り、竹木伐採をすべしと思いました。」


どうやら藤五郎さんは、木が生い茂って隣の畑が日陰になっても何もしなかったようです。

「我々両人申し合わせて、鋸、鉈を携えて、木陰の支障となっている木の伐採をしていたところ、
藤五郎が出てきて言い争いになり、取り合いになっていたところ、藤五郎の弟由蔵が続いて
駆け出してきて、そこにあった鉈で理不尽にも栄蔵に打ち掛かり、所々疵を負い苦痛に耐え
がたくその場に打倒され、その後の始末も相弁えなかったのです。
佐右衛門は藤五郎の木刀により頭、その他所々を打ち、これまたその場に打倒されました。
甚だ理不尽で不法の致し方で心外至極でございます。厳重に御吟味をお願いいたします。」


取り決めにあったように、栄蔵さんと佐右衛門さんは木の伐採をはじめました。ところが、
藤五郎・由蔵の兄弟がこれに反抗して、鉈や木刀で二人を殴り倒し怪我を負わせたようです。

これに続けて組頭の幸吉さんも訴えました。

「幸吉、ほか3人が申し上げ奉ります。前書の栄蔵、佐右衛門が藤五郎、由蔵より疵を負わさ
れました始末は、右両人が申し上げましたとおりです。
当月12日朝、藤五郎の土地内の竹木を伐採すべきため来たことは存じませんでしたが、昼
九ツ時(12時)頃に右の者たちが取り合いに及んで口論していると聞き、とりあえず一同駆け
つけ見ました。すると、右場所に両人とも打ち倒れ、所々疵を受け苦しんでいたのでそれぞれ
抱え手当をした上で、御検使を相願うものです。
なぜ、右のように疵を負わされたのか、厳重に御吟味を願い奉ります。

右、御吟味につき一同相違なく申し上げます。以上。

    文久3亥年(1863)10月16日    
                         右  徳右衛門
                             定右衛門
                             勘七
                             幸吉
                             佐右衛門
                             栄蔵

  江川太郎左衛門様手附
    山崎兼吉殿     」


そして、名主たちも続きます。

「前書の御吟味を私どもも、一同罷り出ることを承知いたしましたこと相違ございません。以上。

                                  芋久保村 名主 景左衛門
                                         組頭 八郎右衛門  」


土地の境界での日照権から傷害事件へと発展したこの事件。
被害者の栄蔵たちが代官所へ訴え出たことで、村役人たちも総出で注目する事態に発展
してしまいました。
まぁ、当時の村のトラブルで代官所が出動する事件としては、典型的な例かもしれません。

と、ここまでは日照権を侵害された、と訴える栄蔵・佐右衛門側の言い分です。
事件は原告・被告の両者の言い分を公平に聞かなければなりません。
藤五郎さんたちの言い分は?
どう反論しているのでしょう?

以下、次回。

メガ54

ブログを書き(描き)ながら、実写版「ゲゲゲの鬼太郎」を見ています。
先日、漫画家の水木しげる先生が亡くなられました。
ワタクシが最も影響を受けた漫画家の中のお一人です。
初めて目にした漫画も、少年マガジンの「墓場の鬼太郎」でした。

ご冥福をお祈りいたします。。。


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