NHKの朝ドラが9月28日から「あさが来た」が始まりました。 主演が波瑠さん。 昨年の「オレデミー大賞」の作品賞を受賞した「BORDER」で、クールな監察医を 演じていた姿が印象に残りましたが、一転朝の顔としてどんなドラマを見せて くれるでしょうか。楽しみです。 楽しみはもうひとつ。 朝ドラ始まって以来という幕末からのスタートという時代設定。 しかも、新選組が(たぶんワンシーンだとは思うけど)登場するっていうじゃない ですか! これは見逃せない! ネットで拾い読みしたところでは、土方歳三があさの家に借金を申し込みに 来る(=押し借り?)というシーンらしいので、「迷惑者」として描かれる可能性 が大ですが、まぁこのさい良し! 朝のドラマに新選組が登場することが快挙です。 池田屋事件も2~3分で終わった「花燃ゆ」よりも、登場時間が長いかも。 てういか、主人公は実在の実業家・広岡浅子がモデルだし、30日の放送では 五代友厚が出てきたし、こっちの方が「花燃ゆ」よりも歴史ドラマを作りやすい んじゃないかと思うんですが。 いっそのこと、「真田丸」がはじまるまで、こっちを大河ドラマとしてトレードして はいかがでしょう? そういや「真田丸」も出演者が堺雅人、山本耕史、片岡愛之助、小林隆、 鈴木京香、小日向文世(敬省略)・・・と、「新選組!」濃度が高いキャスティングですね。  「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」   にほんブログ村 にほんブログ村 人気ブログランキングへ
スポンサーサイト
武州多摩郡下里村(東久留米市)の小前百姓たちが、村役人たちに不正があると して、百姓代と共に代官所に訴えました。 そこで、蔵敷村の杢左衛門さんと上新井村の市右衛門さんが 扱人となり、 両者の言い分を聞いて仲裁に入ることになりました。 「前々から取り決めた村入用より最近は多分の村入用を割り掛け、御年貢の取立て も疑わしい。右のことはこれまで数年間会計のとき、百姓代たちを一切立ち会わせ ていないので、詳細な取り調べは行き届けかねている。」と、これが小前、百姓代たちの言い分です。 小前らは、村役人たちをどう見ているのでしょうか。 「名主の安左衛門は若年で、他の組頭たちはすべて四郎左衛門一人に任せきりで ある。それ故、自然と他の役人たちも監督することが不正に繋がり、一同捨て置き 難いのです。」史料からは実年齢がわかりませんが、名主の安左衛門さんは経験が浅いようですね。 で、ベテラン組頭(年寄)の四郎左衛門が村の運営を独裁的に行っていて、他の組頭 もそれに従っていると。 前回ご紹介した史料の中で、小前たちは四郎左衛門の引退を要求していますが、 こういうコトだったのですね。 しかし、村役人たちにも言い分はあるようです。 「訴え出た方の申立てには違っていることがある。それは、名主の安左衛門は年齢が 若いので、全てのことを話し合いで取り計らっているのだが、それぞれ証拠となる帳面 もある。 それぞれ返答書で申し立てている通り、いささかも不正の取り計らいに及んだという ことはない。」両者の言い分を聞いた上で、扱人たちは吟味に移ることになります。 片方だけを偏重して取り上げては、高須クリニックがスポンサーを降りてしまいますから  それはともかく、一番の問題点となるのは、年寄の四郎左衛門のことでしょう。 彼が村の運営を独裁していた事実があったのでしょうか。 「かねて議定の通り、年寄四郎左衛門が役目として取り扱っていた10ヶ年分の御年貢 取立・村用諸帳面、その他地方に関係する帳面類など、訴えの返答となる清算を立ち あって取り調べた。 すると、御年貢ならびに諸費用合わせて金26両2朱と銭580文の、四郎左衛門が取り 立て過ぎた分を、扱人が取り計らって金25両を小前方へ割り戻すので受け取らせ、 村方において一旦話し合いを取り決めた。 四郎左衛門は近年不如意であり、かつ病身なので、今回の一件が落着した上で退役 を願い出たいと歎いているので、右の金25両のことは訴訟方に勘弁してもらい、受け 取りはしないはず。」どうも、四郎左衛門は年貢や諸費用を多めに取っていたようです。 「また、四郎左衛門持高・小前持高の反別などの境界の有無は、追って農業の手が空い たときに村役人・百姓代・小前の者たちで立ち合い、地所を改めると申すべきはず。 貯穀が10俵減石していたことは、代金2両2分を四郎左衛門より出金し、名主の安左衛 門が預り、新穀ができ次第元高に詰め戻して御検分を願う。 四郎左衛門の屋敷にある穀櫃は、追って村方で評議の上場所を見直して訴え申し上げる。」四郎左衛門にはやはり問題が色々とあったようで、引退のレールが敷かれたようです。 しかし、不正があった分は弁済することとして、示談の方向に持って行ったようですね。 では、それ以外の案件についてはどうだったのでしょうか。 「大沼田新田の傳兵衛水車の残水堀のことは、村方のためにならないことであるから、帰村 してすぐ四郎左衛門方でいちいち掘り立てる。掘り筋へ掛かって渡した敷石を取り崩し、元の 場所へ敷き直し申すべきはず。
献金ご褒美のことはそれぞれ割り渡すべきところだが、そのまま預っておいてくれと申す者 がいたので、包みのまま預りおいた。このことはお咎めを受け恐れ入るが、訴訟方からも 御宥免の願いが出ているので、いささかも不正が無かったことがわかった。
日光御門主様が御寄府のとき、岩渕・川口の両宿へ勤めた御伝馬の買い上げ賃銭。並びに 和宮様御下向のとき、中山道浦和宿へ勤めた加助郷の入用、共に諸帳面を取り調べて 事が済んだので、そのまま差し置いた。
組頭の吉左衛門・同半左衛門が取り扱った御年貢なども取り調べ見たところ、一切過不足 なかった。」ということで、多少の行き違いはあったものの、特に不正というものはなかったとしています。 そして、扱人のこの取り調べに訴訟方の小前たちも納得しているようです。 「この度より、村方の改革としっかり相定めて、すべて享和のときの取り決めの通りと改めて 申すべきはず。右の通りそれぞれの事情が相分かったので、これからは取り締まらずという ことが無いように、御年貢勘定のことはもちろん、臨時村入用勘定のときなども、百姓代並び に重立った百姓が立ち合って勘定いたすべきはずで、双方申し分の無いよう熟談して内済 すること。」以上の報告書が代官所に提出されたのが文久2年6月24日。 訴えが出て、扱人が仲裁に入ることになったのが同年5月13日でしたから、およそ1ヶ月 での解決でした。 この史料から察するに、下里村では名主の安左衛門が若年だったため、ベテラン組頭の 四郎左衛門が年寄という立場を利用して、村の運営を私物化していた部分があったよう ですね。 組頭は農間渡世をして経済力を持つ家が多かったので、年寄ともなると村内でかなりの 力を持っていたことが想像されます。 しかし、扱人が間に入って1ヶ月で解決したというのは、かなり早い裁定だと思います。 これは、安左衛門をはじめとした他の村役人たちも、四郎左衛門に早く引退してもらいたい という思いがあって、扱人の仲裁に協力的な働きをしたからではないでしょうか? 穿った見方をすれば、村役人と百姓代が手を組んで、杢左衛門さんらに協力を仰ぎ、四郎 左衛門の引退を計画した、とも考えられます。 まぁ、真相はわかりません。 シロートはこうして古文書の裏をいろいろ推理するのが楽しいのです。 しかし、幕末も佳境に入り、村の問題に他組合他村の名主らが解決に当たるというネット ワークが出てきている状況は、もっと注目されてもいいと思います。   「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」   にほんブログ村 にほんブログ村 人気ブログランキングへ
先日の9月12日、東京都日野市の大昌寺にて、旧日野宿の名主だった 佐藤彦五郎の法要、「彦五郎忌」があったので、ワタクシも参列 させていただきました。 ご存知の方も多いと思いますが、佐藤彦五郎は 新選組副長・土方歳三の 従兄弟であり、義兄であります。 午前11時からご住職の読経がはじまります。 あらかじめ参列の予約を入れておきましたので、本堂に入れていただき ご焼香をさせていただきました。 大昌寺本堂 ご焼香を済ませて、ご住職の話、佐藤家ご当主のご挨拶のあと墓域に行き お墓に手を合わせました。 こちらのお墓は佐藤家代々のお墓で、土方歳三の姉(彦五郎の妻)ノブさんも 眠っております。  安らかにお眠りください。幕末から多摩の近代を切り開いていただきありがとう ございます。 彦五郎日記の文久編が早く見つかりますように! このあと場所を近くの会場に移して、新選組関連の講演会が催されました。  講師は新選組研究家の清水隆さん。 お題は「沖田総司の書簡」と「殉節の人・山南敬助」。 ・・・てことで、今回の「新選組漫画」はこんなカンジ。 沖田総司の書簡・・・というのは、ファンの方ならよくご存知の、佐藤彦五郎に宛てて 書いた一通で山南敬助の死を伝えている書簡です。 山南敬助の死については、永倉新八や西村兼文(西本願寺の寺侍)も書き残していて、 それが脱走の末の切腹だったことがそれらの手記からわかっています。 しかし、永倉や西村の手記は明治以降に書かれたもので、当時のリアルタイムで山南 の死を伝えるものは、この沖田の書簡と、山南が眠る光縁寺の過去帳にしかないそう です。 しかし、沖田は手紙の中で 「山南兄去月廿六日死去仕候間就而もつて一寸申上候」としか書いておらず、何が原因でどのような状況だったのかなどには、一切触れて いません。 日野の人たちとも親交が深かったという山南さん。沖田も何と書いていいのか悩んだ のではないでしょうか? ところで試衛館道場に食客として住み付いていた山南、永倉、原田左之助、藤堂平助 らのうち、多摩に師範代として稽古を付けに来ていたのは山南敬助だけです。 彼の流派は「小野派一刀流」ですが、試衛館の師範代として派遣されていたという ことは、免許こそ取ってはいないものの近藤周斎や勇が認めるレベルで天然理心流の 剣技も習得していた、ということなんでしょうかね。 とすると、「新選組で一番強いのは誰か?」という話題では、しばしば沖田や永倉、斎藤 一の名前が挙がりますが、山南もかなりの実力があったのではと思うワケです。 最後に。 佐藤家の親戚、有山家が今年の春頃からカフェを開いたそうです。 お店の名前は「花豆」さん。 ランチの時間にそちらで食事をしてみました。 日野用水が目の前に流れる、なかなか素敵なお店です。  フツーの家を改装した店内がアットホームな雰囲気ですが、テラス席もあって気持ち よく食事がいただけます。 この日は大きい野菜や牛肉がゴロゴロ入った「野菜カレー」を食べました。 美味しかったですよ。 写真撮るの忘れたけどね。 日野散策の楽しみが、またひとつ増えました。  「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」   にほんブログ村 にほんブログ村 人気ブログランキングへ
ワタクシの持病の頭痛については、多くの方からお見舞いのお言葉をいただき ました。この場をお借りしましてお礼を述べさせていただきます。 ありがとうございます。 おかげさまで、この2日ほど頭痛の発作がありません。 群発期がピークを過ぎると、毎日起きていた発作が2日に1度とか3日に1度 とかの間隔になってくるので、これは群発期の出口に向かっている兆候だと 思います。 んー、なんとか乗り切りたい! てことで、久しぶりに 「里正日誌」を手にとり、面白そうな部分を探してみることに いたします。 文久2年(1864)5月に、下里村(東久留米市)の小前百姓45人が村役人に 不正があるとして訴え出た事件があったようです。 一つの村の中で、おだやかではありませんね。 他村の出来事ではありますが、杢左衛門さんがこの一件の仲裁に入ったよう なんですね。いたる所に顔を出します、杢左衛門さん。 では、百姓たちの訴えとはどのようなことだったのでしょう。 「 恐れながら書付けをもって申し上げ奉ります
武州多摩郡下里村小前45人の惣代である百姓代伊左衛門と、ほか2人より 同村役人たちへ相掛かり、お年貢のことその他難渋に思うことそれぞれを、 訴え」あげました一件、御吟味の最中扱人を立てることを双方掛け合い の上で、話し合いましたことを、左に申し上げ奉ります。
一、年寄の四郎左衛門が勤めて取り扱っている10年来の年貢取立て、並びに 村用諸帳面、その他地方に関係する帳面類を取り調べ中、扱人にこれを預け 訴訟方が立合いの上、御年貢金の過不足があるならば、過分であれば割戻し、 不足であれば差し出し申すべきはずのこと。
一、貯穀について取り調べた上で、減石であれば詰め戻します。もっともこれまで 四郎左衛門の土地内に置いていた穀櫃を、これより差し迫ることのない場所を 見立てて、場所を引き直すべく願い奉ります。
一、大沼田新田の傳兵衛の水車残水堀のことですが、今後争論がないように 埋め立てます。その堀に掛け渡した敷石を、元の場所へ敷き直すように申した はずのこと。
一、日光東照宮の御門主様が上野寛永寺へ御帰府されるとき、岩渕・川口の 両宿場へ勤めます御伝馬を買い上げたお金、並びに和宮様御下向のときの 中山道浦和宿へ勤めました加助郷入用のこと、諸帳面を取り調べた上、明白に 差引勘定を立てるべきはずのこと。
一、組頭の吉左衛門・同半左衛門が取り扱っている御年貢金取立帳10年分、 その他地方に関係した帳面について、扱人が立ち入って取り調べることに差 支えなく差し出すよう申したはず。かつ名主の安左衛門が所持している帳面に ついても、右入用のときと同様に差支えないように差し出すように申したはずの こと。
一、御年貢勘定のことはもちろん、臨時村入用勘定のこととも、百姓代並びに 重立った百姓が立ち会って勘定いたすべきはずのこと。
一、年寄りの四郎左衛門は追々年をとり役儀を勤めかねるようになってきたので、 諸々の勘定が済んで一件落着した上で、同人の退役を願い、名主の安左衛門に 兼任してもらい、追って村が治まったのを見計らった上で、四郎左衛門の跡を同 人の倅演三郎に役入りさせるべきはずのこと。」と、以上の点になります。 年貢納入、貯穀場所、水車残水堀の埋め立て、加助郷、村入用の帳面など記録 一切、年寄の世代交代・・・と小前の訴えは多岐に渡っています。 直接的表現ではありませんが、これらのことに不正があったという主張です。 下里村も江川代官所支配地なので、小前たちは以上の案件を江川代官所に訴え ます。しかし大事にしたくないという考えもあったのでしょう。代官が裁断を下す前 に立会人を立てて、小前と村役人との間で話し合いを持つようにしたようです。 扱人がそれであり、蔵敷村の杢左衛門さんと上新井村(所沢市)名主の市右衛門 さんが任されたようです。 この2人は小前たちが頼んだものか、村役人らか、あるいは代官所が選んだのかは 史料からはわかりません。 しかし、下里村は蔵敷村や上新井村とは別の組合に入っている村なので、2人は 中立性があり、なおかつこの手の揉め事の解決に向いている実力者と判断されたの でしょう。 「里正日誌」では、この後に次のように書かれています。 「前書の通り対談議定が行き届きました。そこでひとまず帰村して、扱人が立ち会って 書面を細かく取り調べた上で、訴えをお願い下げしていただきたく存じ奉ります。 何とぞお慈悲をもって右の取り調べのことを、来月20日までに一同立ち戻り帰村を 仰せ付けられたく、連印をもってこのことを願い上げ奉ります。以上。
文久2戌年5月13日 武州多摩郡下里村 小前45人惣代 訴訟方 百姓 磯右衛門 同 百姓代 庄兵衛 同 同 伊左衛門 相手 組頭 半左衛門 同 同 吉左衛門 同 年寄 四郎左衛門 同 名主 安左衛門 同州同郡蔵敷村 扱人 名主 杢左衛門 同州入間郡上新井村 同 同 市右衛門
江川太郎左衛門様 御役所 」訴訟が長引けば農作業にも影響がでるために、早々に解決させて村人たちを帰村させ たいという思いが、杢左衛門さんらには強かったのだと思います。 それは代官所とて同じだったことでしょう。 日本史の授業で、江戸時代の農村の村方三役として「名主・組頭・百姓代」を覚えさせら れますが、こうした一例を見ると役人たちのそれぞれの役割というのがわかりますね。 名主・組頭・年寄といった人たちは村の実力者であり、年貢納入、貯穀、土木作業、書類 作成など村の運営の全てを仕切っていることがわかります。 一方、百姓代は小前たちの代表者であり、名主たちに不正がないか監査する役目だった ことがこれまたよくわかります。 言ってみれば、下里村の村役人システムは正常に機能しているということになりますね。 こういう例を挙げて説明してくれると、歴史の授業もわかりやすいと思うんだけどな。 さて、扱人となった杢左衛門さん。 下里村の村役人らに不正があったと裁定するのでしょうか?   「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」   にほんブログ村 にほんブログ村 人気ブログランキングへ
いろいろな方にご心配をいただいております。 体調はまだ戻ってはおりません。 ワタクシが目下、格闘中であります 「群発頭痛」は1ヶ月から2ヶ月続きますので、 八月に群発期に入ったワタクシの場合、今が激痛のピークということになります。 ただ、過去の記憶からすると、ワタクシの群発期は1ヶ月半以内に収まることが 多かったので、早ければ今月中には群発期を抜けられるのではないか、と淡い 期待も持っております。 20代~30代の頃は、毎年群発期がやってきました。それが春夏秋冬いつ来る のかはその年によって違うのですが、40代を過ぎてからは2年以上の長い周期に なったようです。今回は2年半ぶりの群発期でした。 ネットなどで検索すると、老年期に近づくにつれて頭痛が起こらなくなったという 例が多いらしいので、ワタクシの場合もなんとか50代のうちに消滅してくれないか なぁ・・・と期待を寄せています。 群発期の間は、光がとても眩しく感じて、またそれが頭痛を引き起こすことが多い ので、現在のワタクシは日中はサングラス。夜部屋にいるときもカラーレンズの 眼鏡をかけています。哀川翔や大杉漣を気取っているワケではありませんので、 リアルにワタクシをご存知の方、ご承知おきくださいませ。 てなワケで「里正日誌」を読む気力がないものですから、今回のブログもこんな トコロでお茶を濁します。 前々回、PCのOSをWindows10にアップグレードして、「まぁ、うまく機能してるッスよ」 みたいな記事を臆面もなく書いてしまいましたが・・・。 やっぱりというか、それ見たことかというか、あれからいろいろと不具合が出てまいり まして、先日、元のWindows8.1に戻した次第でございます(汗;) いやね。前回の記事をアップしたあたりまでは、まぁ通常に機能してたんですが、その 後くらいからでしょうか、まずフリーズが多くなりました。 FC2のブロガーさんが当ブログに遊びにきていただけますと、訪問履歴が残りますね。 で、そこからその方のブログに行こうとしても飛べない、なんてことも。 さらに困ったのは、複合機(プリンター&スキャナー)の無線ラインがしょっちゅう切れ ちゃうこと。 で、PCのメーカーに問い合わせました。 ワタクシのPCは前回も書きましたがDELLです。取り敢えずWindows10に対応できる モデルか確認したのですが、それは大丈夫な機種でした。 しかし、メーカーにも10にしてから「うまく作動しない」というようなクレームが多いらし くて、オペレーターの方から 「OSを元のグレードに戻せば、それらの状態は回復できます」 とアドバイスを受け、あえなく白旗を揚げることにしたのであります。 Windows10の場合、「回復」というコマンドがあって、そこをクリックして手順に従って 操作すれば簡単に元のOSに戻せるようになっています。 このことは、いろんな方がネット上にアップされていますからご存知の方も多いでしょう。 5分程で戻ったという書き込みもありますが、ワタクシの場合は15分ほどでした。 しかし、あらかじめOSを簡単に戻すルートをつけておくなんて、まるで戻す人が大勢 出てくることを予想してたような配慮ですよね。 7から8になったときは、操作性が大きく変わったので「戻したい」と思う人が出てくる んじゃないだろうか?と考えるのはわかるんですが、10は操作性に関しては8よりも かなり使いやすいので、戻したい人が出てくるというのは、明らかに誤作動が多く出る だろうと、開発者側も予想してたからじゃないですかね? てことは、やっぱり見切り発車か、Windows10は? まぁ、ワタクシの周囲でも「10は使いやすい!」と言っている人もおりますし、前回 ご紹介したように面白い機能もついてるし、一概には言えませんが。 現状でも十分であれば、そのままのOSを使い続ければいいし、10に乗り換えると しても十分普及するまで待った方がいいですね。それがワタクシの感想。 まだ早いよと多くのご意見をいただきましたが、やはりそのとーりでした! ちなみに、Windows10から元のOSにグレードダウンできるのは、10にアップしてから 1ヶ月以内までです! ちなみに。 前回、ブログでコメントがハジかれてしまうことを書きましたが、8.1に戻したらコメントも 書けるようになりました。FC2内のことなのでカンケーないとは思うのですが・・・。 どうなんでしョ? あと、毎朝PCを起動させると、「Windows10へグレードアップのお誘い」告知が画面に 顔を出すようになりました。とほほ。  「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」   にほんブログ村 にほんブログ村 人気ブログランキングへ
| HOME |
|