先日、江戸検一級同期の方々と
千葉県流山の史跡巡りを
してきました。
まぁ、それで「里正日誌」をまとめる時間がなかったもんで、今回の更新は
漫画となってしまったワケです。
流山は以前にも行っておりまして、当ブログにもそのレポートを書いてあります。
今回もほぼ同じ箇所を回りましたので、ご興味のある方はそちらをご覧くださいね。
「流山だよ全員集合!」(

クリック!)
流鉄流山線流山駅。小さくてカワイイ駅です。
実際には1つ手前の「平和台駅」で降りて、流山散策をしました。
赤城神社前に来たときもビックラしました、この大注連縄。
この大注連縄は毎年10月の祭礼のときに、新しいものと取り替えられます。
前に来た時は10月だったので真新しい注連縄でしたが、今回は半年熟成されて
イイ感じになっています。
昔は屋根がなかったので、1週間で降ろしてしまったそうです。雨に濡れたりすると
重さが1tほどにもなるんだそうで・・・そりゃ、危ないわな。
屋根ができてからは1年間飾られているようですが、新しいものと交換したら古い
注連縄はどうするのでしょう?
境内にいた地元のおじさん曰く
「産業廃棄物だからさ、捨てちまう!」・・・・・まぁ、確かに。そうだろうけど・・・。
1年間神社を守ってきたワケだからさ、もうちょっとなんか他に言い方が・・・。
ていうか、細かく切って「お守り」にして配ったらいいんじゃないの?と思ったりして。
近藤勇本陣跡
長岡屋土台石流山市の史料「恩田家文書」には「長岡七郎兵衛方本陣」と書いてありますが、
実際にはこの場所から70mほど北西の、江戸川土手の道路に面した場所に
あった長岡儀兵衛方に近藤らはいたようです。
新政府軍に包囲された新選組は、局長の近藤勇が出頭します。
「自分は流山にいる賊徒を鎮めるために来た、旗本の大久保大和である」
と主張し、急場を凌ごうとの計算でした。
ところが、包囲していた新政府軍の中に彦根藩士の渡辺九郎左衛門という者が
いました。彼は京都でたまたま近藤を見かけたことがあり、
「大久保って近藤じゃね?」
と言ったもんだから、さぁ大変。
近藤は新政府軍東山道軍の本陣がある、板橋まで連れていかれることに。
矢河原の渡し
近藤さんはココから連行されていきました。
実は前回に来たときは途中から雨に降られ、この場所に来ることができなかった
のです。今回は念願叶って来ることができました。
菜の花、満開を少し過ぎたとはいえ素晴らしいロケーション。
結局、近藤さんは板橋宿で、かつての部下で、後に御陵衛士となり新政府軍の
一員となっていた加納鷲雄、清原清と面会することになり、決定的に正体がバレて
しまうのでした。
この日(4月12日)は、流山市では「近藤勇忌」が行われていたようですが、我々は
綾瀬の五兵衛新田金子家を見たりしながらやって来たので、時間が合わずに
会場に行くことはできませんでした。
ちなみに近藤さんの命日は慶応4年4月25日。(1868年5月17日)
帰りは流山駅から流山線に乗って、幸谷駅まで。

流山駅に着いたら、電車が発車寸前。もう切符を買う余裕もないンす!
(ちなみに流鉄流山線はパスモとかスイカは使えません。)
そしたら駅員さんがそのまま改札通してくれて、
「降りる駅でお金払ってくれればいいですから」って。
流山駅は始発駅だからってのもあるのでしょうが、こういう時に小さい
トコロは小回りがききますね。親切、流山鉄道!
幸谷駅からは新松戸駅に乗継ぎできます。

駅がこれだけ。カワイイ。
そういえば「鰭ヶ崎」って、ワタクシの学生時代の友人が今住んでいるんだっけ!
彼、サークルでのニックネームは「ドテチン」だったなぁ。
なぜって?
だって、似てるから。そう、「ギャートルズ」のゴンの親友に。
2年くらい前に会ったきりだけど、何やってんだろ?
マンモー追ってるのかな?
流山にマンモーいますか?

「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」


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