SF・新選組

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こんな漫画でスミマセン・・・
ネタ切れってワケではないのですが、前回iPhone水没の話を書いたら、なんかこんな
漫画が頭の中に出てきまして。
・・・まぁ、たまにはこんな時代を超越した一本も、いいかな、と。

ところで、ワタクシ事ではありますが、今月祖母が100歳の誕生日を迎えました。
高齢化社会の現代ニッポンでは、100歳はそれほど珍しくはないでしょうが、それでも
身内に三桁の年齢がいるってのは大袈裟かもしれませんが、レジェンドを感じます。
まぁ、耳が遠い上に、最近は記憶も曖昧になってきましたのは仕方ない。
先日も関東大震災のことを聞いたら、家が燃えたので近所の農家に避難したという
エピソードを5分間で3回聞きました。
こんな感じですが、記憶や会話が頼りなくなってくるのとは逆に、生きているだけで
尊さを感じてしまうのは、やはり1世紀を生きているという存在感なのでしょうか?

祖母が生まれたのは大正3年(1914)です。
新選組幹部として活躍した永倉新八と斎藤一が亡くなったのが大正4年。
つまり、たった1年間ではありますが、同じ時代に生きて同じ空気を吸っていたという
事実!
そう考えると、幕末という時代もそれほど遠い話ではないのだなぁ、と思いますし、
100歳の重さもまた感じてしまうワタクシです。
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iPhone水没物語

今回は予告通り、完全な番外編です。

ワタクシはiPhone5を使っているのですが、先日ふとした不注意からその
iPhoneを海の中に入れてしまいました。
当然のことながら使用不可能。
さらに、中に入っているデータが全てパーになってしまうのかという事態に
すっかりブルーになってしまいました。
このブログをご覧になっている方の中にも、iPhoneユーザーがいらっしゃる
でしょう。
そういった方々に向けてのメッセージ、というカンジでワタクシのiPhone5が
水没から生還できたのか否か、の物語を今回はお届けいたします。

先ず、どのような状態でiPhoneが海に浸かってしまったのかというと・・・。
短パンのポケットに入れて波打ち際にいたら、波をかぶってしまったという
よくある(ないか?)ケースです。
砂浜に上がってすぐにポケットから取り出したのですが、iPhoneはしとどに
なっておりまして、この時点でワタクシの顔にサーッとブルーの陰が走ります。
慌ててメインスイッチを押しますが、当然のことながら反応ナシ。
ピーーーーッ、「終ー了ーッ!」
頭の中でホイッスルの音とともに、司会者おりも政夫の声が響きます。

乾いたタオルで水滴を拭き、ケースからはずします。
心なしかiPhoneがジワジワと熱く感じるのは、気温30度を超える天気
だからではありますまい。
当日は3泊4日で家族旅行中の2日目。
ホテルの部屋に帰ると、一緒に海にいて同室のワタクシの甥(中学生)が
「ちょっと充電してみたらスイッチ入るんじゃね?」
とか言うんで「なるへそ」と思いコンセントにつないでみます。
反応ナッシング。

というワケで、旅行の残り2日間は鉛を飲んだような気分で過ごしました。
携帯を水に浸けてしまったのはワタクシのミスですので、修理できなければ
買い替えるのも仕方ない。ところが
「iPhoneはバックアップ取ってないとデータ
は取り出せないんだよ~」

という、スマホ事情にやたら詳しい姪(高校生)の一言があったからです。
一方のワタクシは、精神が常に幕末をウロウロしているような人間ですから、
IT事情はサッパリ疎い。
バックアップは取ってなかったんです・・・。
カメラで撮った写真などはPCのピクチャに保存はしてありますが、問題なのは
アドレス帳です。携帯の中にしか登録してない電話番号・メアドがいっぱい
あるんですよね。
これが一気にブッ飛んだら、知人・友人・あのコやそのコにどーやって連絡を
つけたらよいのでしょう!

帰宅してすぐにPCを開け、「iPhone 水没 修理」と検索をかけて取り敢えず
情報収集です。
その結果わかったことは・・・

携帯のキャリアショップでも、アップル
でも、データの救出はしてくれない。


というコトでした。
まさにスマホ・マスターの姪の言ったとーりです。
バックアップを取ってあれば、そのまま機種変更でいいのでしょうが、ワタクシの
ようにバックアップを取っていなかったボンクラにはもう枕を涙で濡らす以外に
方法はないのでしょうか?

いえ。蛇の道はヘビと言いますか、世の中にはこうしたトラブルに対処してくれる
修理屋さんというのがいらっしゃるのですね。
ネットで探しますと、いくつかのそういう修理屋さんを探せます。
ワタクシは渋谷にある「iPhonehouse」クリック!)というお店を見つけました。
早速電話をかけ、簡単に事情を説明しますと「では、店の方にいらしてください」と
言われ、作動しなくなったiPhoneを持って渋谷に向かいます。

さて、ここでネットで調べるうちにワタクシが知った、iPhoneを水没
させた時に絶対にやってはいけない
こと。
①海水に落としたらそのままにしない。真水で洗う。
②電源を入れない 
③充電をしない PCに接続させない
④ドライヤーで乾かさない
⑤振ったりしない

こういったことはiPhoneの基盤を痛める、腐食を進行させることにつながるので絶対に
やってはダメだそうです。
しかしワタクシは、真水で洗ってない・電源入れた・充電させた(一瞬だが)という3つの
大罪を犯してしまってるワケで・・・。
はぁ・・・、どうなるコトやら。

お店は渋谷駅ハチ公口から歩いて5分ほど。宮益坂のビルの中にありました。
先ずはお店の方に水没した時の状況を詳しく説明します。するとお店の方、
「海水は最悪のパターンです。海水は多くのミネラルを含むので、基盤を腐食させ
やすいですから。さらに3日経ってますから、完全にデータを取り出せるかはやってみな
いとわかりませんね」
当然のことながら、水没してから時間を置かない方が救出の可能性は高いのです。
しかし、何もしなければ変わらないので修理&データの救出をお願いすることにします。

こちらのお店の修理手順は以下の通り。多分他のお店も同様でしょう。
先ずiPhoneを分解して完全に乾燥させる。この段階で4500円かかります。
完全に乾いたら基盤の錆びを取るなどして、そのまま復旧した場合はプラス2300円
かかって6800円。
そして部品交換をすれば復旧できる場合は、その部品代金が別途かかるシステム。

乾燥から動作確認ができるまで3時間かかるとのことで、近くのカフェに入り、コーヒー
を飲み、持ってきた本を読みながら待つことにします。

歴史をつかむ技法(新潮新書)歴史をつかむ技法(新潮新書)
(2014/04/18)
山本 博文

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幕末だけじゃなく、もう一度通史を勉強し直そうかな、と思って。

約束の時間がきたので、お店に電話をかけます。
出てきた結果は・・・。
バッテリーと電源スイッチは完全にショートしているので、交換が必要。しかし、それ
を交換すればデータの救出どころか、iPhone自体
使えるというのです!

「バッテリーとスイッチの交換でプラス11000円かかりますが、どうされますか?」
と言われましたが「お願いします」に決まってます!

ワタクシとしては、水没の時点で機種交換はやむなし!と思っていました。
問題はデータを救出できて、それを(最低限住所録)新しい機種に移すことができる
かどうかだったので、まさか海水ドボンのiPhoneが使えるようになるとは思っても
みなかったのです。

さらに30分して修理が終わり、お店に行きます。
先ずはオシャカになったバッテリーとスイッチ系を見せてもらいました。見事にコン
ガリと焼けてます。お前は松崎しげるかい?
これはたぶん、濡れたあとに電源を入れたからでしょうね。ジワジワとiPhoneが熱く
なったのは、このときショートしていたのでしょう。
もし、電源を入れずにそのままお店に持ってきていたら、部品交換ナシの6800円
で済んだかもしれませんね。
ただ、最悪のパターンと言われながらここまで復旧できたのは、なんで?
ワタクシが思うに、使えなくなったiPhoneを旅行中ずっとホテルの部屋に置いて
いたんですね。ホテルの部屋って24時間ずっと空調が効いてるでしょ。
そこである程度乾燥されていたのかな、なんて思ってるんですがどうですかね?

というわけで、ワタクシのiPhone5は100%元通りになりました!
と言いたいトコロですが、サスガにそうはいかない
ようで・・・。

やはり何ごとも事故の後遺症というモノは残ります。
まず、液晶画面に少しシミが残りました。画面の1/4ほどですが、まぁそれほど
気にはならない程度です。
それよりも若干問題なのは、タッチパネルが時々誤作動するということ。
アプリや文字キーに触れても作動しない。逆に触ってもいないアプリが開いて
しまう、というような症状。
ただ、この場合、一度スイッチを切って、再度入れ直せば治るとのことなので、
まぁ良しとしました。液晶を交換すれば完治するとのことですが、さらに8000円
ほどかかるそうだし。通話やネット接続など機能面に関しては全く問題ないよう
なので、ここで修理完了といたしました。
修理代金は、計18000円でした。

この金額を高いと見るか、安いと見るかは人それぞれでしょうが、ワタクシは
データの救出さえできればいいと考えていましたし、機種交換はしなきゃと
思っていましたから、上々です。
そしてお店の方からiTunesにバックアップを取る方法をキチンと聞きまして、
帰宅したら即、バックアップいたしました。
ホント、コレが大事。

さて、修理から約1週間。
ワタクシのiPhone5(改)は正常に作動しているでしょうか?


先ず、液晶のシミですが。
これはほとんど無くなりました。現在はポツポツと点が残る程度で、よーく
見なければわかりません。つまりシミについてはほぼ完治してしまいました。
問題はタッチパネルの誤作動です。
修理の2日後、仕事で帳簿をつけるときiPhoneの計算機を40分ほど使い
続けていたんですね。そしたらその後が大変。タッチパネルが全く正常に
作動しなくなってしまいました。
特にメールの文字が打てない。文字キーを触っても無反応。と思ったら勝手に
文字が連射され、ナゾの呪文を映し出す・・・といった具合。

「はぁ~、やっぱりダメか。機種交換か・・・」
と現実は甘くないことを思い知らされたのですが、翌日iPhoneを動かしてみる
と、再び正常にサクサク動くではないですか。
どうやら、連続して何十分も使い続けていると、だんだんとタッチパネル機能が
おかしくなってくるようで、短時間での使用であるならば何も問題は起きない
いうことが体験としてわかってきました。
もし、ゲームなどをするのでしたらこれでは使えないでしょうけど、ワタクシは
iPhoneでゲームはしませんし、せいぜいネットで簡単な調べものをしたり、
ニュースを読む程度ですからたいして困りはしないです。
TwitterとかFacebookをしていますが、それも1回の投稿を短く終わらせること
にしました。
ということで、ここ3日間は全く誤作動ナッシング。

まぁ使い方次第って条件はつきますが、ワタクシのiPhone5は現役
一軍にカムバック
してくれました。

と、ここまで書くと「めでたし、めでたし」かもしれません。
しかし、ここで重大な一言を書いておかなければなりません。
これはお店に修理を出すときの書類にも書かれていたことですが、携帯修理屋さんは
メーカーの公認ではない
ので、これらのサービスを受ける
ことで、メーカーの保証・サポートの対象外
になることがある。
ということ。
これは、メーカーさんに言わせれば、自分の利益を守ることとして当然ではあり
ましょう。

しかし、今回のワタクシのように、メーカーの対処ではどうしようもない事態も
あるワケで、そうした時にこのような救出屋さんがいてくれるのは、ホント大助かり
でした。
このブログをご覧になっている方、iPhoneを海に落とした!なんてことになっても
ガッカリしないで。間を置かなければ救出方法は絶対にあります!
でも、そこから先はご自分の判断ですから、よくお考えになって対処
なさってください!
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おそらく隊で支給された備品だからでしょう(笑)


「このボタンは人間の脳ミソをトコロテンにする機械だよ、和登サン」


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戊辰戦争終結前後の東大和

明治2年(1969)5月、箱館戦争終結をもって鳥羽・伏見の戦いから続いた
戊辰戦争がようやく終わりました。
この間、新政府は江戸幕府の政治機構からの脱却を目指し、改革を進めて
きました。当ブログでは、金札発行を巡る国や国民の右往左往ぶりをご紹介
しましたが、この他にも戸籍やら宗教やら、慶応3年からほんの2年足らずの
間に進められた改革はいくつもありました。

しかし、旧幕府軍との内戦は続いていたわけで、日本の中央も地方もまだ
安定するには至っていない状況だったのです。
多摩地域でもこの時期、戦闘こそなかったものの、その不安定要素はまだ
まだあったであろうと思います。
「里正日誌」には、当時の村の様子をどのように書いてあるのでしょう。

「  覚え
一、金6両2分と224文       合薬5貫目 雷管3000

右は去る辰年(明治元年)中に非常時の手当として、お手元より御買取り
下されたものです。お陰で農兵調練にそれぞれ使いました。
そのことですが、前書の代金については村方のために金を出していただき
ましたが、その割合には及ばないと申し聞かされ誠にもったいないことです。
小前の者にも、ご親切にお考えいただいたことを互いに話し合うよう、申し
聞かせます。以上。
 明治2巳年4月20日             百姓代 平五郎 印
                           組頭   常七  印
                           同    半左衛門 印
                           同    吉右衛門 印
                           同    重蔵  印
     名主  杢左衛門殿  」 
     
         

多摩の村々では、旧幕時代から引き続き農兵訓練が行われていました。
そしてその費用は名主が負担していたようですね。
この年の1月晦日、杢左衛門さんは韮山県の役人に呼び出され、翌日の
2月1日に田無村に向かっています。
そして翌日から4日にかけて、役人は農兵を連れて各村々を回り、無宿や
無頼の者が立ち回らないように指導しているのです。

冒頭書いたように、戊辰戦争の結果、旧幕側からは多くの浪人が出たことで
しょう。さらに、慶応2年(1866)に「武州世直し一揆」 クリック!)を引き
起こした飢饉・凶作は明治に入ってからも続いており、浮浪人も多かったよう
です。
3月15日には品川県が浮浪人取締りについての布告を、4月24日には韮山
県も脱籍浮浪人取締りの廻状を出しています。
浪人や浮浪人が一揆や打ちこわしをしかねない・・・政府も警戒をしていたので
しょう。
しかし、各村々の防犯体制は、江戸時代から続けて農兵による自衛に任されて
いたことが、日誌の記述でわかります。

さて、ここでちょっと遡るのですが、文久2年(1862)に多摩郡の村々(廻り田村、
後ヶ谷村、高木村、奈良橋村、蔵敷村、宅部村、芋窪村、中藤村、横田村、
三ツ木村、岸村、殿ヶ谷村、殿ヶ谷村新田、石畑村、箱根ヶ崎村)が申し合わせた
証文が「里正日誌」に書かれています。
ナニが書かれているのか・・・ちょっとご覧になってください。

「近年、浪人らしき者が村々へ多数立ち入ってくる。合力してくれと強請ったり、
あるいは宿泊を願ったりする。百姓家へ泊まっては家の様子の良し悪しなど
わがままを申し、態度も増長して困るが、帯刀もしているし甚だ迷惑をしている。
そこで、この度相談の上取り決めたことは、組合村々のうち月行事を立てて、
一人につき8銭を渡して余計な合力など決してしないことにする。
もっとも、合力を小さいことで色々と多く申し、どのような異変があろうとも、浪人の
身分によって入用などがあった場合には、組合村々の割り当てにして村高に応じ
銭を差し出すべきこと。
尚且つ、月行事が銭を出した合力や銭割合は毎年10月中のうちに寄り合い、
これを以て割り当て分を出銭するべきこと。後日のため、村々で議定証文よって
件の如し。」


多摩の村々では、合力をさせられる替わりに浪人たちに銭を渡す、という協定を
結んでいたようですね。
一揆や打ちこわし等に備えて農兵の訓練は怠らなかったのでしょうが、浪人らの
強請り程度のことは金で解決していたようです。

そして、明治2年に戻ります。
「里正日誌」3月には、次の記事が書かれています。

「浪人賄い料仕切り証書の写し

   覚
一 金3両也   但今年巳年の浪人賄い金として

右は我ら世話人の決めたことで、仕方なくお頼みすることをお世話申し上げます。
然る上は、浪人たちについては今年一年間、村に立ち入れさせません。
切り替えの時は来年午の年の春3月14日を限りに切り替えるべきこと。
念のためこのことを確認いたします。以上。
   明治2巳年3月     浪人世話人 伊原 登
                     森村要人之輔
        蔵敷村御名主中様

右の通り、巳年3月14日に両人に会い、仕切り金を渡し申したところ、左の通り
役宅へ張り紙をしてくれるよう聞いた。その書付を左に書く。

    口述
最近、当村々では浪士の休泊などの当番になった所へは格別のご迷惑を申され
ました。拙者どもは右の世話人でございますので、今年は当村方へは仕切りで
済ませることにしましたので休泊はもちろん、足料たりとも今年は相模国荻野村の
東屋方にて相談の上、配分いたします。
左の通りご承知なされますように。 以上。
    巳3月日       世話人  伊原 登
                   木(ママ)村要人之輔
      浪人方一統へ 」 
   

文久2年の協定が、明治2年にも生きていたようです。
文久2年には、村の中から代表(月行事)を決めて浪人たちと交渉していたよう
ですが、明治に入ると「世話人」なる者が登場して交渉の仲介をしています。
つまり、7年ばかりの間に「浪人トラブルは仕切り金で解決」というシステムが
完成されていた様子が伺えますね。
伊原、森村の両名が何者なのか気になりますが、現時点ではわかりませんでした。
たぶん、浪人らのリーダー格かなと思うのですが・・・。

おそらくこれらのことは韮山県役所(江川代官所)も黙認だったのでしょう。
役人が農兵を連れてのパトロールも、一揆の抑止効果はあるにせよ、半分は
パフォーマンスといったところかもしれません。
村々はお上に頼らず、自らを守る道を模索していたのでしょう。
以前名主たちが金札の相場で儲けようとした可能性のあることをご紹介しましたが、
一方で農兵訓練にかかる経費、一方で浪人たちへの仕切り金と、「お金の必要性」
もこれらのことを考えるとさらに理解しやすくなります。

メガ12

旅行中のマジ・エピソードです。
もちろん使用不能になるし、一緒に行ってた姪が
「iPhoneはバックアップしてないと、データ取り出せないんだよね~」
とか言うし。
えぇ、バックアップ取ってなかったんです・・・。
旅行の後半、ずっとブルーでしたスよ。

ワタクシの水没iPhoneは、はたしてどうなったのか?
そのお話は次回のブログで。


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夏休み 2014

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ワタクシ、現在「夏休み」でチョイとばかり東京を離れております。
皆さまのページへの訪問、またコメントの返事等は少し遅れますが、ご容赦
ください。


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おゆうさんと清水寺

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今さらなんですが、2011年にNHK-BSで放送された「新選組血風録」を見ています。
本放送のときは迂闊にも気がつかなくて、再放送も見逃して、先日ようやく時代劇
チャンネルで放送したのを録画することができました。
空いてる時間にちょっとづつ見てるので、まだ半分くらいを見終えたところです。

「新選組血風録」は司馬遼太郎原作の小説ですが、テレビドラマ化は1965年、
1998年、そして2011年と3回ありました。
65年、98年版はすでに以前見ていますので、2011年版を見終えたら感想を
書こうと思います。

ちょうど第6話の「沖田総司の恋」を見終えたばかりなので、こんなマンガを描いて
みました。
沖田を演じているのは辻本祐樹さん。明るくいつも笑っているけれど、ふとした
時にサッと陰がさす・・・スタンダードな沖田像を好演していると思います。
映画版「壬生義士伝」で堺雅人さんが演じた沖田に、なんとなく似ている気が
しました。

第5話「池田屋異聞」の池田屋襲撃で喀血、闘病のはじまり・・・という現在では
「?」が付けられている沖田エピソードですが、まぁ「新選組血風録」とタイトルが
なっている以上仕方ないでしょうねぇ。原作がこうなんだから。



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金札流通拡大布告!

金札がなかなか正常に機能しないのは、国民がその政策を理解していない
からだ、と考えた政府は明治2年(1869)6月、各地方の行政官を通して
金札の流通を強制する 布告を出しました。

「御一新の際の莫大な軍費はもちろん、国民の上下も疲弊を極め、生産富殖の道
にも支障がでてきた。そこで格別の憐れみの御仁政の趣意により、上下融通のため
金札を出すことになった。
府藩県とも石高に応じて貸し渡しが仰せ付けられ、ひとえに生産富殖の道を開く
ようにとの御趣意であらせられるので、拝借する金札を三都府において正金と引
換えたのだ。
それなのに甚だしきことだが、厚い御趣意にもとり金札の通用を拒み、その通用する
ところは三都府に過ぎない。
また、諸国より都府が物産を輸入しようとしても、その国もとで金札が通用支障を
きたしているので、金札を嫌って正金と引換えて持ち去り、自然と三都府の正金が
四方に散り、金札だけとなった。
そのため日増しに物価沸騰に及び、都府の人民で困窮する人が甚だしくなってきた。
これについては兼てより御厳令もあったが、地方官の諭令が不行き届きであったから
右のような次第に立ち至った。」


まず布告の前半部分ですが、「お上が人民のために考えて金札をつくったのに、
お前らがそれを拒否るから三都府(東京・大阪・京都)に金札が余っちゃったじゃ
ねーか!」という、かなり自分勝手なお怒りです。
では、どーしたらいいのか?どーしろと仰るの?
布告文は続きます。

「もとよりこれを救う道は、一時都会に集まって来る金札を府藩県の石高に配当して
正金に換え、これをもって都会の人民に引換えて渡すしかない。そうなれば金札は
広く国内に行き渡り、物価は安定し正金・金札とも同様に流通されるようになる。
これによって別紙の通り仰せ出されたように、府藩県とも深くこの御趣意を謹んで
いただき御布令に基づいて国民を諭し、期限通り遅れることなく差し出すべきこと。
 
ただし、御趣意の内容をよく了解できない者は、東京会計官へ呼び出すべきこと。
   6月       行政官  」


都会に集中した金札を、府藩県の石高に合わせて正金と交換させろって言うんです。
冒頭でも言いましたが強制交換です。
東大和市史史料によれば、このとき品川県下だった多摩郡鈴木新田(小平市)他
7ヶ村では、「ウチの村は東京に近いんで金札も流通してっから、正金との交換は
しなくてもよかんべ?」と免除を願い出たらしいのですが、お上の答えは「NO!」
正金と金札の交換は強行されたのです。

石高に応じて金札を配当する・・・ということですが、その割合は高1000石につき
250両と決められました。その結果・・・

「一金54両        蔵敷村
 一金58両1分     奈良橋村
 一金30両2分2朱   高木村 
 一金41両1分     宅部村
 一金51両        後ヶ谷村
 一金11両1分     清水新田
 一金50両        廻り田村
 一金42両2分     同村新田
 一金225両1分    野口村
 一金175両3分    粂川村
 一金97両       南秋津村
 一金37両2分     野塩村
 一金8両1分      日比田村
   〆て金882両3分2朱
  外 金15両      上保谷新田 四ツ谷新田
     金4両2朱    栗原新田
 総計 金902両也  」


東大和市域が含まれる蔵敷村組合では、正金902両と同額の金札を引換えさせ
られたようです。
他の多摩地域近隣の組合村では、どれくらいだったかというと、

「一金625両  相州津久井県  日蓮村組合
 一金1737両  武州比企郡  野本村組合
 一金890両  同州多摩郡   五日市村組合
 一金3457両  同州同郡    拝島村組合
 一金687両  同州同郡    檜原村ほか4ヶ村
 一金815両  同州同郡    青梅村組合
 一金441両  同州同郡    氷川村組合
 一金1895両  同州同郡   田無村組合 」


蔵敷村組合の902両を加えると、11449両。
これだけの多摩地域の正金が金札に換えられてしまったのですね。
政府が導入した太政官札(金札)の理想は高いものだったかもしれませんが、強制
的に正金と交換させられるような、この政策。
市史によれば、多摩郡の農民たちにとっては公租の変形として受け取られていた、
とあります。

メガ11

先日、久しぶりに大学時代の先輩に会いました。
そのときにいただいたモノ。

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なんかね、中国だかアジア方面のマスコットだそうです。
これを身につけていると、自分の体の悪いところの身代わりとなって
くれるんだって。
おーッ、なんつースグレもの!
するってーと、コレを持ってると前回の健康診断で医者に指摘された
悪玉コレステロール値も下がってくれると・・・。

え?それはテメーで運動不足を解消しろ?

ハイ。
そのとーりでございます。


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