幕末、銭勘定!もうかりまっかッ!?
いよいよ夏休みですが、海外に行かれる方も多いのではないかと思います。
海外旅行でイマイチ面倒なのが、お金の計算ですよね。
円からその国の通貨に替えなければならないでしょ。滞在先が1ヶ国なら
それほどでもないですが、2~3ヶ国を回るなら、イチイチ両替しなきゃならな
くって面倒ですよねぇ。
ヨーロッパならだいたいユーロになったんで便利なようですけど、ワタクシは
以前、ベトナム・カンボジア・タイ辺りを回ったコトがありまして、めっちゃ面倒
くさかったです。
まぁ、米ドル持ってればオールマイティーに使えるんですけどね。
江戸時代のお金は、金貨・銀貨・銭貨と3種類ありまして、それぞれが独立
した形態をもっていました。このあたりの事情は歴史の授業でも習ったかと
思います。
つまり、日本国内の中で3種の通貨が使われてたってことですね。
今風で喩えるなら給料は円で貰って、昼食の吉牛はドルで払い、夜の合コン
はユーロでね、というカンジでしょうか?
なので、江戸時代の人たちはお金に関する計算が、現代人より格段に優れて
いたように思います。
「里正日誌」でもご紹介しましたが、御褒美にいただいた「銀貨」をその時の
レートで村人に「銭貨」で分け与えるなど、とても複雑な業務を平然とこなして
います。
江戸時代人を現代に連れてきたら、みな優秀な銀行員になれますよね。
さて、今回はその複雑な江戸時代のお金が、この幕末期さらに複雑になって
いった、というお話です。
慶応元年(1865)閏5月25日、支配所より次の回状が廻ってきました。
「近来諸国とも銭が底を尽き差支えがある。このことは銅の値段が高値になり、
銅銭への釣合いがとれなくなったからだと聞く。
真鍮銭、文久銭、銅小銭とも、それぞれそのままの相場に任せ、1枚につき
相応の歩合を増して通用させること。百文銭、鉄銭はこれまで通りなので、
何れも差支えなく通用致すべきこと。このことは世の中を滞りなく通すという
考えがあってのことなので、その旨を心得ること。
万が一にも両替商が利徳のために不正の取り計らいをしたならば、罰せられる
べきことである。
但し、銅小銭の内、耳白銭は引き替えさせるので、両替商たちの方へ差し出す
べし。代りの銭は相当の相場を以て渡されるので、貯め込まずに差し出すよう
申し付ける。」
寛永通宝っていう、銭形警部平次親分が投げる、あの小銭。
あれは江戸時代を通じて作られた銭貨なんですけど、実は年代によってマイナー
チェンジされてるんです。
一般に寛永通宝って銅でできてるんだろうなぁ、と思いがちですが、銅の供給
不足などの理由で元文4年(1738)頃から鉄一文銭という鉄銭を使うようになり
ました。
でも、これがあまりに評判悪いんで明和5年(1768)に、銅と亜鉛の合金ででき
た真鍮銭を作ります。この硬貨は裏に波の模様が描かれてるので、波銭なんて
言われてます。
ところが幕末期になるとまたもや銅の値が上がったんで、銅の量を少なくした銭貨を
作ります。これが文久銭です。
つまり、同じ寛永通宝でも(文久銭は文久永宝ですが)作られた時代によって材質
が変わるため全く価値が異なっちゃってるんですね。
平成元年に作られた10円玉と平成25年に作られた10円玉とでは、価値が違うと
いうようなもんです。
さぁ、ご紹介した回状は、そういった銭貨事情が銅の高騰などでまたまた変わってきた
ため、新しく銭貨の中でレートを決め直すよ、っていう内容なんです。
そして、6月7日。支配所から以下の回状が廻ってきました。
「この度、真鍮銭・文久銭それぞれそのままの相場に任せ、1枚につき相応の歩合を
増すことで通用させることを発表された。
真鍮銭1枚につき 12文
文久銭同じく 8文
銅小銭同じく 4文
但し、銅小銭のうち、耳白銭は1枚で銭6文に相当することとして、引換えること。
右の通りに歩合を増して通用すること、両替商たちより町奉行へ申し立て取り決めた
ことなので、右の趣旨を以て通用にて支配所へ早く達するべきこと。」
基準となるのは鉄銭なのでしょう。真鍮銭1枚は鉄銭12枚(12文)の価値があるよ、と
こういうワケですね。
耳白銭というのは正徳年間(1711~15)に作られた、質の高い寛永通宝です。
つまり銅貨の中でもさらにランクの上下があったことがわかります。
銭貨の中でもこれだけの「1枚の価値の違い」があったということで、この回状が
廻る前には相当の混乱もあったことでしょう。
御褒美の分配金で理解し辛い表記があったことも、このことが原因なのではない
でしょうか。
とにかく、江戸時代の人々はこのような複雑な貨幣を自在に扱っていたのですから、
相当の財テクにも長けていたのではないか、という想像もできますよね。
金・銀・銅の相場を読んで一儲け、なんてことはあったでしょう。
そうすると、献金にあれだけの金額を納められるという村の財力は、こんな所にその
ヒントがあるのかもしれません。

幕末志士の中で一番人気といえばこの人、坂本龍馬さんでしょう。
しかし、かなりの龍馬ファンが「実像」よりも「小説」の中の龍馬が
好きなのではないかと思うのですが、いかがでしょう?
まぁ、そんなコト言ったら土方歳三さんだって、その通りかもしれま
せんけどね。
龍馬さんは「志士」というよりも「経営者」の視点で行動し、未来を
見ていたとワタクシは思います。そこが当時の佐幕や薩長の志士たち
との違いであるし、新鮮味もあるのでしょうね。
「波動砲、発射ッ!」


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海外旅行でイマイチ面倒なのが、お金の計算ですよね。
円からその国の通貨に替えなければならないでしょ。滞在先が1ヶ国なら
それほどでもないですが、2~3ヶ国を回るなら、イチイチ両替しなきゃならな
くって面倒ですよねぇ。
ヨーロッパならだいたいユーロになったんで便利なようですけど、ワタクシは
以前、ベトナム・カンボジア・タイ辺りを回ったコトがありまして、めっちゃ面倒
くさかったです。
まぁ、米ドル持ってればオールマイティーに使えるんですけどね。
江戸時代のお金は、金貨・銀貨・銭貨と3種類ありまして、それぞれが独立
した形態をもっていました。このあたりの事情は歴史の授業でも習ったかと
思います。
つまり、日本国内の中で3種の通貨が使われてたってことですね。
今風で喩えるなら給料は円で貰って、昼食の吉牛はドルで払い、夜の合コン
はユーロでね、というカンジでしょうか?
なので、江戸時代の人たちはお金に関する計算が、現代人より格段に優れて
いたように思います。
「里正日誌」でもご紹介しましたが、御褒美にいただいた「銀貨」をその時の
レートで村人に「銭貨」で分け与えるなど、とても複雑な業務を平然とこなして
います。
江戸時代人を現代に連れてきたら、みな優秀な銀行員になれますよね。
さて、今回はその複雑な江戸時代のお金が、この幕末期さらに複雑になって
いった、というお話です。
慶応元年(1865)閏5月25日、支配所より次の回状が廻ってきました。
「近来諸国とも銭が底を尽き差支えがある。このことは銅の値段が高値になり、
銅銭への釣合いがとれなくなったからだと聞く。
真鍮銭、文久銭、銅小銭とも、それぞれそのままの相場に任せ、1枚につき
相応の歩合を増して通用させること。百文銭、鉄銭はこれまで通りなので、
何れも差支えなく通用致すべきこと。このことは世の中を滞りなく通すという
考えがあってのことなので、その旨を心得ること。
万が一にも両替商が利徳のために不正の取り計らいをしたならば、罰せられる
べきことである。
但し、銅小銭の内、耳白銭は引き替えさせるので、両替商たちの方へ差し出す
べし。代りの銭は相当の相場を以て渡されるので、貯め込まずに差し出すよう
申し付ける。」
寛永通宝っていう、銭形
あれは江戸時代を通じて作られた銭貨なんですけど、実は年代によってマイナー
チェンジされてるんです。
一般に寛永通宝って銅でできてるんだろうなぁ、と思いがちですが、銅の供給
不足などの理由で元文4年(1738)頃から鉄一文銭という鉄銭を使うようになり
ました。
でも、これがあまりに評判悪いんで明和5年(1768)に、銅と亜鉛の合金ででき
た真鍮銭を作ります。この硬貨は裏に波の模様が描かれてるので、波銭なんて
言われてます。
ところが幕末期になるとまたもや銅の値が上がったんで、銅の量を少なくした銭貨を
作ります。これが文久銭です。
つまり、同じ寛永通宝でも(文久銭は文久永宝ですが)作られた時代によって材質
が変わるため全く価値が異なっちゃってるんですね。
平成元年に作られた10円玉と平成25年に作られた10円玉とでは、価値が違うと
いうようなもんです。
さぁ、ご紹介した回状は、そういった銭貨事情が銅の高騰などでまたまた変わってきた
ため、新しく銭貨の中でレートを決め直すよ、っていう内容なんです。
そして、6月7日。支配所から以下の回状が廻ってきました。
「この度、真鍮銭・文久銭それぞれそのままの相場に任せ、1枚につき相応の歩合を
増すことで通用させることを発表された。
真鍮銭1枚につき 12文
文久銭同じく 8文
銅小銭同じく 4文
但し、銅小銭のうち、耳白銭は1枚で銭6文に相当することとして、引換えること。
右の通りに歩合を増して通用すること、両替商たちより町奉行へ申し立て取り決めた
ことなので、右の趣旨を以て通用にて支配所へ早く達するべきこと。」
基準となるのは鉄銭なのでしょう。真鍮銭1枚は鉄銭12枚(12文)の価値があるよ、と
こういうワケですね。
耳白銭というのは正徳年間(1711~15)に作られた、質の高い寛永通宝です。
つまり銅貨の中でもさらにランクの上下があったことがわかります。
銭貨の中でもこれだけの「1枚の価値の違い」があったということで、この回状が
廻る前には相当の混乱もあったことでしょう。
御褒美の分配金で理解し辛い表記があったことも、このことが原因なのではない
でしょうか。
とにかく、江戸時代の人々はこのような複雑な貨幣を自在に扱っていたのですから、
相当の財テクにも長けていたのではないか、という想像もできますよね。
金・銀・銅の相場を読んで一儲け、なんてことはあったでしょう。
そうすると、献金にあれだけの金額を納められるという村の財力は、こんな所にその
ヒントがあるのかもしれません。

幕末志士の中で一番人気といえばこの人、坂本龍馬さんでしょう。
しかし、かなりの龍馬ファンが「実像」よりも「小説」の中の龍馬が
好きなのではないかと思うのですが、いかがでしょう?
まぁ、そんなコト言ったら土方歳三さんだって、その通りかもしれま
せんけどね。
龍馬さんは「志士」というよりも「経営者」の視点で行動し、未来を
見ていたとワタクシは思います。そこが当時の佐幕や薩長の志士たち
との違いであるし、新鮮味もあるのでしょうね。
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