Let's農兵 村の訓練場

農兵の実弾射撃訓練は、代官所からのセンセイを迎えて田無村で行われましたが、
いつまでも合同訓練をやっているわけにもいきません。
センセイも忙しいし、農兵たちにも仕事があるし、ね。
今後はそれぞれの組合が地元に帰り、日々訓練を重ねなければなりません。
小さなコトからコツコツとー。西川きよしでございます!

きよし師匠に「なんば花月」があったように、蔵敷村組合にも日常的な訓練ができる
ホームグラウンド、つまりは専用の演習場が必要になりました。

「7月1日、野口村(東村山市)正福寺へ組合村の村役人が集まった席に、恒吉と
後ヶ谷村の勘左衛門の両人が持参し、一同話し合った。その結果、野口村には
訓練場となるような場所が無いので、蔵敷村の中で決めていただきたいと野口村
名主勘左衛門殿が申し出られた。他の村々の村役人たちも一同、同じことを申さ
れるので他の案はなく、蔵敷村内へ訓練場を作ることを請け入れた。このことにつ
いては明日2日、各村の村役人たちが蔵敷村に出てきて、場所の検分をするとい
うことを取り決めて一同帰宅した。

7月2日、蔵敷村名主杢左衛門宅へ来た者の名前
後ヶ谷村名主 平重郎、奈良橋村組頭 定七
宅部村名主  半兵衛、野口村組頭  冨右衛門
粂川村組頭  宗兵衛、南秋津村組頭 仲右衛門
   名主 杢左衛門

この7人が検分した結果、村方百姓の銀右衛門が持っている畑の内、字山王塚
下々畑およそ3反歩の所
が、訓練場としての的撃ち等の場所として適当
であると一同話し合いの上取り決めた。土地の使用料として1年につき金2両を組合
高割で負担し、地主へ渡すことを取り決めた。

   名主杢左衛門宅より南の方角に、訓練場までおよそ5町(545m)あまり。」


蔵敷村組合は11ヵ村で構成されていました。そのうち蔵敷村、宅部村、奈良橋村、
高木村、後ヶ谷村の5ヵ村は現在の東大和市域ですが、野口村、廻り田村、南秋津村、
粂川村の4ヵ村は現東村山市。残る2ヵ村のうち野塩村は清瀬市、日比田村は所沢市
です。
距離的なことだけを言ったら、やっぱり正福寺のある野口村が中間地点で一番都合が
いいんじゃないかと思うんですがね。
一方蔵敷村は、この組合の中で最も西にあります。野塩や日比田からは一番遠いん
ですが、それでもみんな蔵敷村に訓練場を作ってくれって言ってます。
蔵敷村は組合の代表ってことはあるでしょうが、「銃をブっ放すような物騒なトコロはオラ
の村には作りたかねェだ!」ってのが、各村の本心なんじゃないでしょうかねぇ。

で、決まったのが蔵敷村銀右衛門さんの畑です。
積極的に土地を差し出したとは思えないので、銀ちゃんには気の毒です。でも下々畑
3反(900坪)が年2両になるんだから悪い話ではなかったかもしれませんな。
この訓練場を描いた麁絵図(あらえず)が、杢左衛門さんから代官所手代の増山鍵次郎
さんに提出されています。麁絵図ってのは村の概略を描いた絵図面のこと。
これが「里正日誌」にも残されていますので、ご紹介します。
ただし、そのまま載せちゃうとさる筋から怒られちゃうかもしれないので、ワタクシがわかり
やすく描きなおしたものをお見せいたします。

蔵敷村習練場麁絵図

絵の下方に描かれているのが道路です。杢左衛門さんの屋敷から南下してきた道が、
山王社で二又に分かれます。その先が銀右衛門さんの畑で、ほぼ四角に囲まれた
土地が訓練場になった区域ということですね。
北西の角に台形の絵がありますが、これは土を盛って作った土手です。高さは1丈
3尺(3m90cm)、幅は底辺で3丈(9m9cm)あったようです。さらにその中に描いて
ある四角は弾丸除けで、大きさは高さ4尺(1m20cm)、幅6尺(1m82cm)、奥行き
3尺(91cm)、栗の木で作られたとのことです。ちょっと狭いかなぁ・・・。座って待ってる
カンジですかね。

この場所が現在どーなっているのか?
それも、ご紹介いたしましょう。

080a.jpg

道路の先に木が生えている場所がありますね。ここが「山王社」です。ここで道が二又
に分かれているのは当時のままです。

082a.jpg

山王社です。
三方を道路に囲まれて、ポツンと残ってます。

081a.jpg

説明板が立っています。

083a.jpg

この辺りでバンバン撃ってたのでしょうか。
現在は団地になってます。

東大和市史によれば、毎月五ノ日(5、15、25日)と十ノ日(10、20、30日)の
6日間ずつ、この蔵敷の訓練場で稽古を行うように、村役人・農兵たちで取り決めた
とのことです。
こうして、農兵訓練は、教示方が派遣されてそこへ通う特別訓練と、地元で世話人が
中心となって指導する日常訓練の二本立てで行われていたんですね。
これから暑くなる季節のこと。重い銃を担いで大変だなぁー。
ホラ、山王社でセミが鳴きはじめました。

「ツクツクボーーシッ、ツクツクボーーシッ!!」
西川のりおでございます!

20130622.jpg

沖田さんの病気が悪化したのは、正確にはもう少しあとの慶応3年(1867)秋頃では
ないかと言われています。それまでは、けっこう戦闘場面に出動していますので。
しかし、それ以前からも体調の良くない時は多かったのではないでしょうか。
沖田さんという人、剣の腕前は相当のモノだったのでしょうが、身体の方はあまり
頑丈ではない・・・というか、体調を崩しやすかったり、病気にかかり易い体質だったの
ではないかと思います。
池田屋事件では昏倒して運び出されます。貧血と言われていますが、熱中症や過呼吸
になったとも考えられます。
また、江戸にいた頃には麻疹(はしか)にかかり、周りの者が命の心配をしたことも
あったようです。
ワタクシの知り合いにもいるのですが、スポーツ万能なんだけれども、なかなかベストの
コンディションを作れない、そういう人。
沖田さんって、そんな人だったんじゃないかって、思うんです。



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Let's農兵 鉄砲撃ちます!

いよいよ江川代官所から鉄砲教示方を迎えての、本格的訓練が行われることと
なりました。
期間は慶応元年6月13日から30日間。場所は田無村で、各村合同で行うことに
なったようです。そうそう、この年の4月18日に改元されて、年号が元治から慶応に
改まっています。慶応って聞くと、なんかもう、手が届きそうな時代ってカンジがして
きますね。
田無村の西光寺(現・西東京市総持寺)に代官手代の増山健次郎、鉄砲教示方の
岩嶋廉平の両人が逗留していたので、訓練もそこで行われたのでしょう。

前回のブログで「稽古に当たっての規則」をご紹介しましたが、今回の田無村での
稽古に先だっても、さらに細かい「規則書」が出されています。

「一、銃は不思議な成功をもたらすものであるが、またほんの少しの過ちで災難を生む
   こともある。よって火薬の出し入れや銃の取り扱いを始めとして、銃の置き場所
   も慎重にし、失敗のないようにすること。
   たとえ空砲でも、銃口を人に向けないこと。
 一、自分が銃の扱いに上達しても、意志がしっかりしていない者は実戦には役立た
   ないものである。名声や形に拘らず、真剣な修行を心掛けること。
 一、稽古中は雑談無用。規則にはずれた行動をした者は階級を下げ、程度によって
、   は処罰もあるのでよく心得よ。隊列を組んだあとは実戦と思って修行すること。
 一、鉄砲、付属の品々は大切に取扱い、手入れも決して疎略にしないこと。
 一、礼儀正しく、謙遜を専らに心掛け、良くないと思ったことは正直に言うこと。陰で
   人の良し悪しや、技術の巧拙を話したり、自慢したり、初心者を侮らないこと。
   他の組合の訓練を誹謗することのないよう心掛けること。非常時には互いに応援
   することになるので、常に同じ組合のように懇意にしておくこと。
   訓練の議論や人々に意見を言うときなど、怒らないようにすること。怒ると不敬な
   言葉も出やすく、自分に理があったとしても相手が納得しないこともあるので、注意
   すること。
 一、弁当は兼ての通り、握り飯・香の物・味噌か梅干しに限る。その他酒肴はもちろん
   菓子を持ってきてはいけない。
 一、稽古着はなるべく有り合せのものを使い、質素を第一に心掛け、異形や着飾ったり
   は決してしないこと。
 一、訓練の行き帰り、東海道はなおさらであるが、通行人の邪魔にならないよう心掛け、
   命令的な言動をせず、粗暴なふるまいをすることなく、穏便神妙に行き来すること。
   稽古着のまま物見遊山に行ってはいけない。
 一、隊伍役掛りの心得については追って通達するので、それまでは教示方の指示に
   従うこと。
 一、弾薬の管理を怠らないこと。
 一、世話掛りと村役人たちの言うことに逆らわないこと。
 一、道中を通行する幕府の役人たちが訓練を視察に来ることもあるので、不敬のことが
   ないよう気を付け、視察が済み次第報告すること。
 一、火の用心については、爆薬を取り扱うのであるから、特に念入りにすること。」


ちょいと長くなっちまいましたが、「そーとー細かいコト言ってるね」ってのがお判りいただけ
たかと思います。
弁当についてはまだ言ってますね。オヤツもダメだそうです。
私の小学校時代、遠足のオヤツの規定金額をオーバーしちゃった友達が、「これはオヤツ
じゃなくてオカズです!」と「都こんぶ」をおむすびと一緒に食べてましたけど、コレもアウト
でしょうね。

この後、さらに「申渡書」というものも出されていますが、これは宿村役人用と農兵たち用と
分けて出されています。宿村役人へは、「規則書」の条目を高札に書き出し、五人組帳の前
書や天保以来の江川英龍の改革の趣意書と一緒に張り出して、農兵たちに読み聞かせる
ように書いてます。
そして農兵たちには、宿村役人や世話掛りの指示に従うよう書かれてあり、お上の念の入れ
ようがわかります。

田無村での稽古からは実弾射撃が行われるということで、6月3日には代官所手代の増山
健次郎より「火入稽古致候もの心得」が出されました。

「一、実弾射撃訓練をする者は、銃と胴乱その他付属の品々を大切に取り扱うことはもちろん、
   不作法なことがないよう厳しく心付けること。
   稽古が済んだ後は、銃・胴乱とも数を改め、破損があるようなら申し出ること。
 一、実弾射撃訓練は熟練の進み方によって指導するので、勝手に発砲したり管打ちしたり
   決してしないこと。
   但し不発弾などがあったときは、そのことを報告し、指図を受けること。
 一、火薬を取り扱うときは、火道具(タバコ・蝋燭など)のない所で行うこと。
 一、銃の洗い方は、稽古終了の後に参加者全員で念入りに掃除すること。
   但し銃を分解したり組み立てたりするときは、恒吉・勘左衛門・九郎左衛門・長吉・啓蔵
   ・太右衛門、このうち一人が付き添って行い、勝手に分解してはならない。」


銃の分解・掃除まで行っていたことがわかります。
恒吉さんは蔵敷村名主・杢左衛門さんの弟ですが、勘左衛門さんは後ヶ谷村名主、九郎左
衛門さんは廻り田村名主、啓蔵さんは蔵敷村組頭の弟、長吉さんは奈良橋村名主見習い、
太右衛門さんは粂川村年寄倅という人たちです。
彼らは稽古参加者であると同時に、各村々の指導者という立場であることがわかります。
恒吉さんが新銭座の訓練に参加していたように、他の人たちも農兵幹部候補生の教育を
受けたんでしょうね。ちなみに年齢は長吉さんが一番の年長で34歳。年下は太右衛門さん
で21歳です。
こうした世話掛りを除いても、実弾射撃訓練参加者は最高齢で38歳。最年少は15歳で
ほとんどが20代以下の人たちでした。かなり若い人たちが受けていたんですね。

20130616.jpg

「新選組の伊東コウシ太郎がさ・・・」
「ちょっと待ってよ。アレはキネ太郎って読むんでしョ」
・・・正解はカシ太郎です。

近藤さんの強い要請で新選組に加入、参謀までに取り立てられた男、それが
伊東甲子太郎さん。
しかし、このセンセイ一派を入れたことが、新選組が凋落していく第一歩だったの
かもしれません。
ちなみに伊東大蔵の名前を「甲子太郎」と改めたのは、彼がタイガースファンだった
からではありません。もちろん、名付け親がダンカンだったからでもありません。
彼が上洛した元治元年(1864)の干支が甲子だったからです。
この時代の政治の中心は京都。いよいよその京都へ乗り込むのだ、という伊東
さんの強い意気込みがこの名前に現れているのですな。



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Let's農兵 訓練はじめます!

周りの環境も整い、農兵も次の段階に入ります。
いよいよ訓練です。

農兵の特徴っつーか、ウリの一つが「近代武装化」。つまり銃装備ですよね。
農兵に支給される銃が、当時の日本でホントに新式の銃なのか?て言うと、
そりゃまぁ疑問符もつくでしょうが、ちょっと前までは悪党の取締りに竹槍を
持ちだすレベルだったんですから、一気にステージアップの感はあります。

元治2年(1865)3月1日、蔵敷村組合のもとに江川代官所の手代・三浦
剛蔵さんから、一通の書状が届きました。
農兵に貸渡す銃を引き渡すので、人足を連れて自分が宿泊
している田無村の宿まで取りに来いと言うのです。
そこで蔵敷村名主の杢左衛門さんは、その日のうちに人足2人を連れて田無
村に向かいました。
杢左衛門さんらが受け取った銃、付属品一式は以下のものでした。

「一、ケヘル     10挺 但し鉄バンド
 一、同タス     10  背負革共
 一、同カン入    10
 一、胴〆革     10
 一、三ツ股     10
 一、万力       1
 一、玉抜      10
 一、胴乱      10

右は農兵たちにお貸渡しになる銃と付属品であり、書面の通りお渡しなされた
ものである。これらは封印しておき、放っておいたりしないよう心掛け、追って
御教授される方々が村にやって来るまで大切に保管しておくように言い渡され、
承知いたしました。これより連印の御請書を差し上げ申します。
     元治2年3月朔日 
               当代官所 武州多摩郡蔵敷村
                       組頭 重蔵
                       名主 杢左衛門
  江川太郎左衛門様御手代 三浦剛蔵様                」


なにやら、わからない単語が並んでおりますな。
ケヘルってのはゲベール銃のことのようです。「但し鉄バンド」ってあるのは、銃身
と銃床を鉄のバンドで固定してあるタイプのモノって意味です。
銃身の中にライフリングが刻んであるヤーゲル銃になると、銃身と銃床は目釘で
固定されるようになります。
おそらく、このとき貸渡された銃は、韮山の江川代官所で作られた国産銃だった
のではないでしょうか。
カンというのは雷管のこと、胴乱は銃丸を入れる革製の袋を言います。
その他はどういうモノなのかわかりません。
銃を提げるベルトかなぁ・・・とか、銃丸を込めるときの道具かなぁ・・・とか?
誰か、当時の銃に詳しい方、教えていただけませんか?

万力を除いては全て10セットの支給だったことがわかります。
それと、貸し出しはしたものの、先生が廻ってくるまで触っちゃダメ!ってことで、
お上もそーとーに神経を使っていたことがわかりますね。

さぁ、それじゃ、いつから訓練を始めましょうか?
「いつやるの?イマでしョ」
東進ス〇ールのハヤシ先生ならそう言うでしょうが、農兵訓練にハヤシ先生は来て
くれません。

「右の通り御請書を差し上げ、鉄砲10挺をお貸渡しになった。3月11日より下稽古
を始めたいとのことを、三浦剛蔵様が日野宿の旅宿にいらっしゃる3月7日にお伺い
したところお聞きになっていただいた。村々の村役人が付き添いとなって、農兵人は
来て、名主・杢左衛門宅の庭で稽古を始める。」


てことで、3月11日から下稽古が行われることになりました。
まだ教授方は村を廻ってきませんから、この下稽古は以前に新銭座で幹部教育を
受けた、杢左衛門さんの弟・恒吉さんたち指導の下で行われたようです。
「東大和市史」によると、下稽古の日程は11日から15日までが蔵敷村杢左衛門庭、
16日から20日までが高木村庄兵衛庭、21日から25日までが野口村正福寺庭、
都合15日間としたそうです。
さらに4月からは、月の前半5日間は蔵敷村、中盤5日間は高木村、後半5日間は
野口村で下稽古を行い、5月5日まで続けられました。

このとき、世話掛りから稽古に当たっての注意事項が定められました。
「     定
一、砲術下稽古を始める上は、稽古場の外へみだりに出たりせず、たとえ村方より
  用向きを言ってきて、他人と面会するときは出張村役人から世話掛りへ届け出る
  こと。
一、下稽古中、銃は世話役の了解のもと大切に取扱うことはもちろん、その日の稽古
  が終わったら念入りに掃除すること。
一、稽古中は禁酒で、弁当は質素にすること。米飯は決して使ってはならない。元来
  の身分をわきまえ、質素倹約を第一とすること。
一、お互いに行儀正しく、礼法を厚く心掛け、ケンカ口論はもちろん、無益な雑談を
  禁止し、粗暴傲慢の振る舞いをせず、謙遜を第一に心得て慎ましく、技術の巧拙
  の批判をしないこと。また、すべて世話掛りの指図に従うこと。
一、稽古は出席順で行い、到着次第世話掛へ届けること。もし、出席簿に洩れた者は
  稽古の順番に遅れることはもちろん、時間によってはその日の稽古はできないと
  いうことにもなるので心得ること。稽古場の外へ散乱しないよう心掛けること。
  稽古時間は朝五ツ(8時)より始め、夕七ツ(16時)までとする。雨天は順延と
  する。」


農兵同志でケンカするなとか、他人の評価はするなとか、まぁその辺りは解るとして、
弁当にまで注文つけられちゃってますね。
米がダメってことは、パンならいいんだ!・・・・って、そういうコトじゃないですよね。
キャラ弁なんてもっての他ですよ、ケンちゃんママ!(誰?)

20130609.jpg

まぁ、このマンガ自体が「間違いだらけ」ってのは、一先ず置いといて。
正解は「カレンダーが元治2年3月11日なのに山南さんがいる」です。
日めくりカレンダーがあること自体間違いだろ、てのも一先ず置いといて。
山南さんは、この年の2月23日に隊規違反(脱走)により切腹しています。
だから、ココにいるのはおかしいんですね。

でも。
このマンガはギャグだし。四コママンガだし。
何よりもワタクシが山南さんのファンですので、今後も各シーンで支障のない
範囲で山南さんは登場し続けます。


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道成寺で手ぬぐいGET!

番外編です。
前にやった「新歌舞伎座ご案内」が一部でヒジョーに評判が良くってですね。
時々は歌舞伎ネタでブログを書いてみようかな、と思ってる今日この頃でござい
ます。

で、今回は先日見てきたばかりの歌舞伎座五月公演の中から
「京鹿子娘二人道成寺」観劇記をお送りいたしませう。
(きょうかのこむすめににんどうじょうじ、と読みますよ、ご主人。)

四月からの歌舞伎座杮葺落し公演は、演じる役者さんも豪華ですが、演目も
みんなが知ってるメジャーなお芝居ばっかりで、どの月のどの部を観ても楽しめる
金太郎飴状態なんですけど、ワタクシが密かに狙ってたのがこの道成寺。
その理由は後ほど語り尽すとして、まず「歌舞伎の道成寺」って何ぞや?ってのを
ザックリと、黒猫ポンちゃんにもわかるようにご説明しますね。

IMG_0037a.jpgホントだろうな、ブーーー。

紀州道成寺には安珍・清姫伝説ってのがあります。
昔、奥州の白河から熊野に参詣に来た安珍というイケメンの僧侶がいたんですな。
これを地元のギャル清姫ってのが一目惚れ。逆ナンを仕掛けるんですが、安珍は
修行の身。テキトーにごまかしてさっさと行っちゃった。清姫は「マジ許せねーッ、
すっげームカつくんですけど!」とのたまいながら追っかけてくる。アセった安珍は
道成寺の鐘の中に隠れてしまいます。
「ハァ?意味わかんねーッ!」と怒りが頂点に達した清姫は、灼熱の炎を吐く大蛇に
大変身!鐘に巻き付いて安珍を焼き殺し、自らも入水してしまうのでした。

この話の後日譚を扱ったのが能の「道成寺」。
道成寺の鐘を供養する日に美しい白拍子がやって来る。女人禁制の寺なれど、舞を
奉納するので鐘の供養を見せてほしいと言います。ところが舞ううちに白拍子の様子
がおかしくなってきます。彼女は清姫大蛇の化身だったのです・・・。

この能のストーリーを舞踊劇にしたのが、歌舞伎の「道成寺」なんですね。
道成寺を題材にした踊りは、江戸時代にいくつか登場していて、最初は元禄年間
(1688~1703)の「三世道成寺」とされています。
それから「傾城道成寺」とか「百千鳥娘道成寺」とかいくつもの道成寺モノが作られるん
ですが、宝暦3年(1753)に初代中村富十郎が踊った「京鹿子娘道成寺」
がミラクル大ヒット!以降、道成寺といえばコレ、になってしまいました。

とまぁ、難しい話はこれくらいでいいでしょう。ポンちゃん寝ちゃったし。
ワタクシ、歌舞伎は大好きなんですが、基本ミーハーなんで。そーゆーアプローチで
ブログも進行していきます。

今回の演目の「京鹿子娘二人道成寺」ってのは「京鹿子娘道成寺」のアレンジ版で、
白拍子(清姫大蛇の化身)が二人出てくるという趣向です。
この二人を坂東玉三郎さんと尾上菊之助さんが演じます。

実はこの「道成寺」、観客に思わぬ「おみやげがもらえちゃうかも!」っていう
趣向が用意された舞台なんです。
このお芝居には白拍子の他、所化っていう坊さん役の役者が15~20人くらい出てくる
んですが、それら出演者が踊りの途中で、客席に手ぬぐいを投げるんです。
ただの手ぬぐいじゃありませんよ、公演に合わせて作られたオリジナル・非売品のスペ
シャル・グッズです。
コイツをいただこうというワケなのさぁ、フ~ジコちゃ~ん!

モチロン、観客の全員がもらえるってモンじゃありま温泉、ありません。
1人の役者が持ってる手ぬぐいは3本ほど。合計約50本。
客席数約2000席の中、これをいただこうってんですから、やはり戦略が必要です。
座席は1階席をキープするのが大きな条件ですが、今回はラッキーでした。
6月まで歌舞伎座公演は三部制ですが、道成寺はその三部めに組み込まれています。
三部は終わるのが夜9時を過ぎるので、若干チケットの売れ行きが鈍いんですね。
比較的希望する座席が押さえやすくなります。
4月始めにチケット予約しましたが、やりましたヨ、1階13列5番の座席キープです。
「もっと前の方がいいんじゃね?」とポンちゃんは言いますが、ここで十分。それよりも
花道の近くを取れたってことが重要なんです。

さぁ、いざ歌舞伎座へ、レッツらゴー!
5月公演三部は他に「梶原平三誉石切」(かじわらへいぞうほまれのいしきり)っていう
お芝居もありましたが、こちらのインプレッションはまたいずれ。
「京鹿子娘二人道成寺」の幕が開きます。

揚幕から所化が花道を歩いてきます。通常は15人ほどの所化が登場するのですが、
今回は開場記念ということもあって、総勢20人以上が登場。
坊主ばかりが20人!壮観です。
たいてい、この所化という役は若手の役者さんが演じます。でも、リーダー役の所化は
ベテランが演じることが多くて、今回も大ベテランの市川團蔵さんが勤めてます。
ちなみにワタクシ、この團蔵さん大スキ。悪役が多いんですけどね。悪役ファンですから。

でまァ、所化がガヤガヤやってる所に白拍子の花子が登場。一人が花道を揚幕から
やってきますが、もう一人は「すっぽん」から登場します。
すっぽんてのは、花道の途中にある穴のこと。舞台の下からせり上がってくるわけです。
歌舞伎ではすっぽんから登場するキャラは「人間ではない者」というコトになっています。
たいていの場合が妖怪変化とか妖術使い。
二人道成寺は通常、舞台の上手にも花道を作って両花道から花子を登場させるんですけど、
今回はすっぽんを使って一人を登場させるという演出でした。
「すでにこの女は清姫の亡霊なんだゼ」ってのを、観客にわかりやすくしてるんですな。
コレ、玉三郎さんのアイデアらしいんですが、さすが名プロデューサーでもある方ですね。

舞台の中盤はツイン花子の舞の競演。
この踊りはシロートのワタクシから見ても相当にハードな内容で、上体を海老反りにしたり、
しゃがんだまま鞠をつく真似で舞台を一周したり・・・。で、それを女性らしく、それ以上に
女性らしく踊らなければいけないんだそうで、その辺りが女形の踊りとしての最高峰と
云われる由縁なんでしょうなぁ。

さぁ、いよいよ肝心の(ミーハー的に)時が近づいてまいりました。
花子が小道具を持って踊るようになります。鞨鼓(かっこ)という小さな鼓や鈴太鼓という
和式タンバリンを持って、踊りもリズミカルに変化します。
「おぉ、GS時代の岸部シローにさも似たり!」と思った人に+10点。
そしてW花子が手ぬぐいを手に踊りはじめました・・・!

「オレは今、東京ドームのライトを守っている・・・!」
頭の中をギヤチェンジ。左手に意識を集中させましょう!
踊り終えた花子たち、後見から受け取った手ぬぐいを中央前列の観客席にパラパラと
投げ入れます。「わぁッ」と沸く観客席。さぁ、ココからです!
舞台の上手と下手に控えていた所化たちが、花子と入れ替わるように舞台の前方に
出てきたら、プレイボール!
懐から固く折畳んだ手ぬぐいを取り出し、観客席に投げ入れます。
下手にいた所化は花道を歩んで、そこから投げます。ここが作戦の狙い目、
花道近くをキープしたことの意味はここにありました。花道付近は一番多くの手ぬぐいが
降って来るチャンスポイントだったんですね。
と、自分の左上方に打球・・・ならぬ手ぬぐいが飛来ッ。チャンスは一度!
「オレは長野か松本か!?」グローブをはめた(イメージ)左手を伸ばします・・・。
Getぉぉーーーーーーッ!!
やりました、見事手ぬぐいキャッチです。
野球やっててよかったーッ!長嶋さん、松井さん、国民栄誉賞おめでとぉー!
でも露骨に喜ぶのはバットもない・・・もとい、ミットもないので努めて冷静さを装います。

本日の任務完了!(キリッ)

悲喜こもごものどよめきの中、再び舞台に集中。切り替えが大事。
花子がついに本性を現し、鐘の上に上ってフィナーレ。
パチパチパチ・・・あぁー、いい舞台だったッ!いろんな意味でー。

手ぬぐいはその場では広げません。ブラック団に強奪される恐れがあるので、帰宅して
からゆっくり鑑賞タイムです。

DSCF6041a.jpg

こちらが本日の戦利品。演目のタイトルと、白拍子花子を演じた玉三郎・菊之助
両名の名前がありますね。

DSCF6042a.jpg

真ん中の絵はお二人の紋。右上の濃いブルーが玉三郎さんの「花かつみ」。
左下水色が菊之助さんの「重ね扇に抱き柏」です。

ワタクシも歌舞伎ミーハーファンとして、なんとか今回の杮葺落とし公演ならではの
記念グッズ、小泉純ちゃん元首相(歌舞伎ファン)にも自慢できるレベルのグッズを
欲していたワケですが、その野望も達成できました。
森羅万象に感謝。ありがとうございます。

で・も・ね・・・

実はワタクシ、以前にも「道成寺」で手ぬぐいをゲットしているのでございます。
フライング・ゲット。

DSCF6045a.jpg

それがコチラ。
もうかれこれ10年ほど前になりますが、新橋演舞場で手に入れました。
このときは「京鹿子娘道成寺」で、白拍子花子を中村福助さんが演じました。
中央に福助さんの紋「祇園守」と「裏梅」、そしてサインが染めてあります。
気になるのが左に書いてある7人の名前。
なんか稚拙な字だなぁ・・・。そう思った人?

DSCF6047a.jpg

これらは所化を演じた、当時まだ子役だった役者さんたちのサインなんですよ。
野球カードならルーキーカードみたいなモンですね。
中村隼人クンは、今ギャルに一番人気の歌舞伎俳優って言われてますね。
「八重の桜」でも松平定敬役で絶賛活躍中です。
それから中村種太郎は、現在の四代目中村歌昇クン。
他には福助さんの子供の中村児太郎クン。
中村歌六さんの子供の米吉クンと龍之助クン兄弟。
大谷友右衛門さんの子供の廣太郎クンと廣松クン兄弟。
もちろん福助さんのサインと同じく染めてあるものですけど、なかなかの記念
グッズでしョ。
彼らが名優と呼ばれるようになれば、この手ぬぐいの価値も上がるワケで・・・
ガンバレーー!!若手役者たち!!

つーワケで、真っ当な歌舞伎観劇記とは言えませんが、「オレ的歌舞伎インプ
レッション」はこんなカンジ。
ちゃんちゃん。
あ、でもね、「道成寺」はホント素晴らしい舞台だから、機会があったら一度ぜひ
見てくださいね。
それと、手ぬぐいは1階席じゃなきゃチャンスないンでしょ・・・なんて思わないでね。
さっきも言ったように所化は若手が演じてるんで、肩に自信のある役者さんは2階席
まで放り込んでくれます。これも花道の近くがチャンス多いかな。

それでは、また。
歌舞伎座でお会いしましょう!

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「壬生義士伝」かなんかの小説で、真っ黒になった手ぬぐいの話が出てきた
ような気がしたんですが・・・。



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