いやー、スマンこってス。
また、番外編。
4月23日火曜日の朝、連ドラ「あまちゃん」を見ながら新聞をめくっておりますと、
「じぇじぇじぇじぇッ」
とある新聞記事に、コーヒーカップを持つ手が止まり、トーストに塗った苺ジャムが
猫のテンちゃんの頭にネロン!と落ちてしまうほど目が奪われてしまいました。
日野市が、新選組結成から今年で150周年を記念して
土方歳三切手を
(正確には
「新選組のふるさと日野」切手シート)発売してるっていうじゃないですか!
しかも、限定1000部!
「こ、これはイカン、イカンぞ・・・ほ、欲しいじゃないか・・・!」
記事によると、切手は日野市の「日野宿交流館」で絶賛発売中だとか。
つっても火曜水曜は仕事や用事があったりで、日野まで出かけられません。
ようやく木曜になって立川へ行く用事ができたため、ちょいと足を延ばしてお隣の日野
までひとっ飛び。切手を買いに行ってきたザンス!
「日野宿交流館」はJR日野駅の改札を出たら目の前の甲州街道を
立川方面に500mほど、川崎街道入口交差点のちょい手前にあります。
ここは元々、八王子信用金庫日野支店があったトコロでして、閉店後に日野市の
観光課が観光客の休憩所や交流の場としてオープンさせたんだそうですよ。
いわゆる「居抜き」ってヤツですか?

さぁ、はやる気持ちを抑えて早速中へ!

館内へ入った奥が売店です。
眼鏡をかけた観光課の方と思しきナイスミドルが「いらっしゃいませ」と声をかけ
てくれます。
「あの・・・新聞で土方歳三さんの記念切手が発売されたと知ったんですが・・・」
「ハイ。新選組のふるさと日野切手シートですね。」
「まだ買えますか?売り切れちゃいました?」
「まだございますよ。」
「そうですか・・・!(ホッ)いやぁ、限定1000部って書いてあったもんだから急いで
来たんですよ。」
「ありがとうございます。おかげさまで好評で・・・」
「そうですか!やはり発売初日にはH&Mが開店した時みたいに、歳さんファンが長蛇
の列を作ったりして整理券なんかを配ったんでしょうねッ?」
「あ、いや、そこまでは・・・」
「やっぱり、裾にダンダラを染め抜いた浅黄色の羽織着た人が一番乗りでしたか?
抜き身かなんか下げて。」
「いえ・・・あの、みなさんインターネットで注文されますんで・・・。」
!!・・・あぁ・・・そうかぁッ!通販か・・・!
そりゃそうだわね。平日にわざわざ他所から急いでやってくるこたナイわけだね。
なのに、たかが切手にいい歳して・・・イタくないか、オレ?
「あ・・・、でも郵送だと切手が折れないように、別売りのクリアケースに入れて発送し
ますので料金が割高になってしまうんですよ。ここにきて買われるのがやはり一番お得
です!」
観光課の方がさりげなくフォロー。サンキュー、ナイスミドル。

で、これがその切手シートでございます。
歳三さんのバストアップと全身像の写真が、80円切手5枚づつで計10枚。
背景写真は日野宿本陣を中心に、新選組袖章、八坂神社の天然理心流奉納額、
隊士・中島登の描いた土方像(戦友姿絵)。
1シート1300円です。
「ホントは1200円でも販売できるんですが、100円を観光課の収入にさせていた
だきたくて・・・やっぱり1300円は高いでしょうか?」
正直ですね、ナイスミドルさん。言わなきゃわからないのに。
「いいんじゃないですか、コレ実用品ていうより記念品ですし。その100円が史跡や
文化財の保護や維持に役立つのなら、ワタクシは賛成ですが。」
と答えておきました。
日野の史跡巡りをしたこともありますが、歴史資料や史跡が多い町ですから保護にも
お金がかかるでしょう。そういうことに使うのなら歴史ファンとしてOKですよ。
飲むのに使っちゃダメだけど。
さて、せっかくなので交流館の館内をご案内。

1階は先ほどの売店のほか、休憩所みたいになってます。
お菓子なんかも売ってるんで飲食も大丈夫(だと思いますヨ。)
壁にはチョイ懐かしい、大河ドラマ「新選組!」のポスター。
日野市内では現在でも日曜夜8:00の大河ドラマは、「八重の桜」ではなく
「新選組!」を放送しています。(嘘)
2階は日野市の歴史を知ることができる資料館になってます。
江戸時代の宿場や多摩川の渡しの様子、明治になって鉄道橋を建設するために
生産された日野煉瓦などが展示されてます。
レプリカではありますが、歳三さんの鉢金とか井上源さんの天然理心流免許など
の新選組資料なんかもね。
ところで、先ほど書きましたがココは元信金でした。
なので・・・

2階の展示室には信金時代の金庫がそのまま残されていて、なんとこの
金庫の中も展示室になっちょるんです。

鮎漁の古民具が展示されてましたよ。
金庫に入ってゲンナマの気持ちになってみたい方は、ぜひどーぞ。
信用金庫以前・・・ていうか江戸時代、この場所には「玉屋」という宿屋が
建っておりました。
玉屋は富士講という、まぁ今でいうトコロの富士山ツアーに出かける人たちの
集合場所として有名な旅籠だったんです。
今となっては何の痕跡もないんですが・・・

コレ、交流館の裏にある駐車場。
この駐車場を含めた交流館の敷地は、玉屋の敷地とまったく同じなんだそうです。
縦に細長いでしょ。
当時は建物の間口の長さに対して税金がかけられました。なので、街道に面した
部分は狭く、奥行きを長ーくとっているんですね。こういう土地の区画ってのは
案外昔のまま残ってたりするものです。

交流館の向かい側にあるのは、日野宿本陣。
ココのレポートはまた後日。
今日は切手を買いにきただけだからサ。
では最後に、交流館1階にある自販機の写真をどうぞ。

問答無用で
新選組を主張する町、それが日野です。
元・信金の建物なのに「勝手に金策をいたすべからず」って言われてもなぁ・・・。

新選組といえばすぐにでてくるのが、有名な「局中法度書」。
子母澤寛の「新選組始末記」には
一、士道に背くまじき事
一、局を脱するを許さず
一、勝手に金策いたすべからず
一、勝手に訴訟取り扱うべからず
一、私の闘争を許さず
右条々相背き候者切腹申し付くべく候也
とあります。
ところが隊士だった永倉新八の「新撰組顛末記」には四か条のみが記されて
いて、「私の闘争を許さず」は書かれていません。また、単に「禁令」とだけ
書いてあり「局中法度」の文字も見えません。
そのため、「局中法度」の名称や条文の内容は子母澤創作の可能性が高い
ことが指摘されています。
ただ、「新選組始末記」とほぼ同時期に出された平尾道雄の「新撰組史録」にも
始末記と同じ内容の記述があり、子母澤一人の創作ではないような気もします。
なにか共通する情報源があったのかもしれません。
ところで、日野市の他にも新選組がデザインされた切手を発行した所ってある
んでしょうか?
ご存知でしたら教えてくださいね。
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