金札がなかなか正常に機能しないのは、国民がその政策を理解していない
からだ、と考えた政府は明治2年(1869)6月、各地方の行政官を通して
金札の流通を強制する 布告を出しました。
「御一新の際の莫大な軍費はもちろん、国民の上下も疲弊を極め、生産富殖の道
にも支障がでてきた。そこで格別の憐れみの御仁政の趣意により、上下融通のため
金札を出すことになった。
府藩県とも石高に応じて貸し渡しが仰せ付けられ、ひとえに生産富殖の道を開く
ようにとの御趣意であらせられるので、拝借する金札を三都府において正金と引
換えたのだ。
それなのに甚だしきことだが、厚い御趣意にもとり金札の通用を拒み、その通用する
ところは三都府に過ぎない。
また、諸国より都府が物産を輸入しようとしても、その国もとで金札が通用支障を
きたしているので、金札を嫌って正金と引換えて持ち去り、自然と三都府の正金が
四方に散り、金札だけとなった。
そのため日増しに物価沸騰に及び、都府の人民で困窮する人が甚だしくなってきた。
これについては兼てより御厳令もあったが、地方官の諭令が不行き届きであったから
右のような次第に立ち至った。」まず布告の前半部分ですが、「お上が人民のために考えて金札をつくったのに、
お前らがそれを拒否るから三都府(東京・大阪・京都)に金札が余っちゃったじゃ
ねーか!」という、かなり自分勝手なお怒りです。
では、どーしたらいいのか?どーしろと仰るの?
布告文は続きます。
「もとよりこれを救う道は、一時都会に集まって来る金札を府藩県の石高に配当して
正金に換え、これをもって都会の人民に引換えて渡すしかない。そうなれば金札は
広く国内に行き渡り、物価は安定し正金・金札とも同様に流通されるようになる。
これによって別紙の通り仰せ出されたように、府藩県とも深くこの御趣意を謹んで
いただき御布令に基づいて国民を諭し、期限通り遅れることなく差し出すべきこと。
ただし、御趣意の内容をよく了解できない者は、東京会計官へ呼び出すべきこと。
6月 行政官 」都会に集中した金札を、府藩県の石高に合わせて正金と交換させろって言うんです。
冒頭でも言いましたが強制交換です。
東大和市史史料によれば、このとき品川県下だった多摩郡鈴木新田(小平市)他
7ヶ村では、「ウチの村は東京に近いんで金札も流通してっから、正金との交換は
しなくてもよかんべ?」と免除を願い出たらしいのですが、お上の答えは「NO!」
正金と金札の交換は強行されたのです。
石高に応じて金札を配当する・・・ということですが、その割合は高1000石につき
250両と決められました。その結果・・・
「一金54両 蔵敷村
一金58両1分 奈良橋村
一金30両2分2朱 高木村
一金41両1分 宅部村
一金51両 後ヶ谷村
一金11両1分 清水新田
一金50両 廻り田村
一金42両2分 同村新田
一金225両1分 野口村
一金175両3分 粂川村
一金97両 南秋津村
一金37両2分 野塩村
一金8両1分 日比田村
〆て金882両3分2朱
外 金15両 上保谷新田 四ツ谷新田
金4両2朱 栗原新田
総計 金902両也 」東大和市域が含まれる蔵敷村組合では、正金902両と同額の金札を引換えさせ
られたようです。
他の多摩地域近隣の組合村では、どれくらいだったかというと、
「一金625両 相州津久井県 日蓮村組合
一金1737両 武州比企郡 野本村組合
一金890両 同州多摩郡 五日市村組合
一金3457両 同州同郡 拝島村組合
一金687両 同州同郡 檜原村ほか4ヶ村
一金815両 同州同郡 青梅村組合
一金441両 同州同郡 氷川村組合
一金1895両 同州同郡 田無村組合 」蔵敷村組合の902両を加えると、11449両。
これだけの多摩地域の正金が金札に換えられてしまったのですね。
政府が導入した太政官札(金札)の理想は高いものだったかもしれませんが、強制
的に正金と交換させられるような、この政策。
市史によれば、多摩郡の農民たちにとっては公租の変形として受け取られていた、
とあります。

先日、久しぶりに大学時代の先輩に会いました。
そのときにいただいたモノ。

なんかね、中国だかアジア方面のマスコットだそうです。
これを身につけていると、自分の体の悪いところの身代わりとなって
くれるんだって。
おーッ、なんつースグレもの!
するってーと、コレを持ってると前回の健康診断で医者に指摘された
悪玉コレステロール値も下がってくれると・・・。
え?それはテメーで運動不足を解消しろ?
ハイ。
そのとーりでございます。
「このボタンは人間の脳ミソをトコロテンにする機械だよ、和登サン」

にほんブログ村
にほんブログ村
スポンサーサイト
行政官からの文書に「正金が四方に散り、金札だけとなり、日増しに物価騰貴」とあります。ということは、政府が、兌換制のない金札の意義を知りながら、無理に農民から正金を取り上げることになります。
農民側からすれば、村騒動~広域一揆を起こして当然の気分だったと思います。その動きがなかったのか、封じ込められたのか、知りたいです。
それにしても、東大和市内では農民側の動きの文書が見つかっていません。蕨宿の免除運動をしたときの高木村名主は定宿に泊まり込んで情報集めをしたのに、どうしたことかと残念です。
野火止用水
この年の2月、新政府は「官金の支出をすべて金札のみとする、
藩や府県の公金支払いも金札に限る」と定めました。
さらに4月には「商品売買には金札を使用すること、背けば厳罰に処す」とも布告。
しかしその結果、金札の値崩れが却って進むことに。
未だ日本全土を掌握できない新政府への、信用の低さが原因でしょう。
ただ、4月下旬に箱館戦争の帰趨が明らかになると、新政府も強気(キレ気味?)に。
5月に「侮蔑的に『太政官札』と呼ぶのは怪しからん!『金札』と呼べ」と布告、
これまでやむなく認めてきた金札120両:正金100両の公定相場を廃止、
租税や納付金はすべて金札を使用するよう命令しましたね。
そして今回の、全国府県・藩に対する金札貸し出し&正金引き上げ。
すでにご紹介のとおり、新通貨との等価交換が公表されているからいいようなものの、
それがなければ暴動になったかも。
とは言え、多くの藩ではまだ藩札が流通しており、金札偽造事件も発生。
統一通貨「円」の登場までには、解消すべき課題がまだ山積していました。
タイのポクポン人形ですね。
300種類以上存在し、「おねがい!ポクポン」というアニメもあるとか。
まったくひどい話ですね。
仰るように、政権がまだ不安定な時期でもあり、一揆に発展してもおかしくない
話です。
農村側の動きがわかると、この問題はもっと興味深くなるでしょうね。
通り一辺倒での、学校の歴史授業だと、明治維新は大成功のように教えられますが、
正しく追っていけばこのように、明治政府がいかに強引に政策を国民に押し付けて
きたかがわかります。
見方を変えれば、いかに当時の政府が日本を近代化・・・というよりも欧米化に
するか焦りが見えるようです。
ポクポン人形っていうんですか!
へぇー・・・!
感心してないで、いただいた時にちゃんと聞いとけって話ですね。
ワタクシも15~16年前はよくタイとかに旅行してましたけど、その頃は全く
見ませんでした。最近の流行りなのでしょうか。
ふなっしーとかくまモンみたいな?
コメントの投稿