羽生家と近藤勇書簡

今回もイベント参加のお話。

日野市に「佐藤彦五郎新選組資料館」がありますが、先日、そこの副館長さんから
日の出町の羽生(はぶ)家を見学するのだけど、ご一緒にいかがですかとのお誘い
をいただきました。
これは資料館のファンクラブの会員向けの企画だったのですが、欠員が出たため、
たまたま資料館に顔を出したワタクシにお声がかかったようでした。

彦五郎資料館さんは、ワタクシが日野の新選組関係ガイドをするときに、団体貸し切り
など便宜を計っていただいたり、また農兵や天然理心流など幕末多摩に関係する
資料なども見せていただいたり、日ごろから懇意にさせていただいております。

せっかくのお誘いいただいたので参加させていただくことにしましたが、
羽生家とはなんぞ?」
とお思いの方もいらっしゃることと思いますので、その辺りをざっとお話いたしますと・・・

日野宿の名主で土方歳三の義兄である佐藤彦五郎は、近藤勇ら新選組が甲陽鎮撫隊
と名前を変えて甲府城を接収に向かうとき、日野宿の農兵隊をまとめて「春日隊」を
組織し行動を共にします。
ところが、乾退助(後の板垣退助)率いる土佐の迅衝隊を中心とする新政府軍に、甲府
はすでに押さえられてしまい、甲陽鎮撫隊は柏尾で戦いますが、装備やモチベーション
で劣っていた鎮撫隊は敗れ、敗走しました。
彦五郎ら春日隊も総崩れとなり多摩に逃げ帰りましたが、その後すぐに新政府軍が
鎮撫隊に協力した者は捕縛して徹底的に取り調べる!という情報が入ります。
首謀者だった彦五郎は日野にいられなくなり、一家は離散しながら伝手を頼って
各地に逃げることとなりました。
彦五郎の子供たちはそれぞれバラバラに親戚などを頼って、粟の須村(八王子市)
や上溝村(相模原市)などへ行き、彦五郎(42)は妻のぶ(38・土方歳三実姉)、母親
まさ(62)、次女とも(5)、下女あさ(18)を連れて西多摩方面へ逃げたのです。
彦五郎が逃亡の末に匿われたのが大久野村(現・日の出町)の羽生家でした。、

彦五郎一行は、先ず二宮村(あきる野市)の「茂平」という人物の元にたどり着き、さらに
茂平氏の案内で大久野村の羽生家に着いたといいます。すでに夜中だったにもかかわら
ず、羽生家の皆が起きてきて彦五郎らに同情し、奥座敷に招き入れ食事などを与えて
くれ、一行はこの場所にしばらく落ち着くことができました。
佐藤家と羽生家がどのような関係にあったのかはわかっていないそうですが、お互い
江川代官領の名主ですからその辺りの連絡はよく取っていたのかもしれませんし、また、
慶応2年(1866)の武州世直し一揆が発生したときには、日野でも大久野でも一揆勢と
農兵隊の大きな戦いが起きていますから、その辺りの関係もあったかもしれません。

さて、見学日当日は小雨はパラつく生憎の空模様。
JR青梅線武蔵五日市駅から路線バスに乗り、大久野中学校前で降りると、そこから歩いて
3分ほど。

0158b6844bcd3b4f7320979e97c623da01da06eaeba.jpg
突然、目の前に巨大な三階建ての蔵が出現!
これぞ大久野のランドマーク!
羽生家に到着です。

010a087fdb76047b90616abaf0b9f4d48abd248a7ca.jpg

この門構えにはビックリですね!
大久野には羽生家が多く、子字も「羽生」といい、西、上、中、下羽生といった屋号でそれ
ぞれ呼び合っていたようですが、名主だったコチラのお宅は上羽生という屋号だそうです。
家は酒造業や山林業を営んでいたといいますが、この門の立派さはどうでしょう!
かつての五日市周辺の隆盛を物語ります。

011a94cdf1ec6ba976b82d99858fa7e551ddd9dbe3a.jpg

普段開けることがないという門扉も、特別に開けていただけました。
実際に開けるのを手伝った方の言葉によると「思ったより軽い」そうです。
ちなみに柱は屋根の中心よりも前方に付けられていて、横から見ると後ろ(敷地内)に重心が
かかっているように見えます。この形式の門を薬医門といいます。
羽生家のご当主の案内で、敷地内を廻らせていただきます。

01a09f60845c1f789d5a53751428b45d0cc452e787a.jpg
米蔵(左)と味噌蔵(右)。何せ、土蔵だけで6棟あります!
とにかく敷地が広い、広い。
この2棟を入れた3棟の蔵は江戸時代後期に作られたとのこと。
先ほどのランドマークの三階蔵は明治中期に建築されたものだそうです。

017b0b52f0db0549a391837d26826284c2e348843fa.jpg
主屋。式台付きの玄関です。
明治24年に建てられ、その後幾度か増改築が行われているそうです。

これらの建造物も歴史的な価値がありとても素晴らしいのですが、さらなるお宝が
我々の目の前に登場します。
ということで、主屋の中に上がらせていただきました。

30年ほど前、羽生家の土蔵から1通の書簡が発見されました。
それが近藤勇の書簡だったのです。
その実物を、羽生家ご当主のご厚意により見せていただくことに!

01fe3b5b1360b0fa3390c0eaab506840b1a957a230a.jpg

コチラがその書状です(右)。
左側の紙片は、ここに近藤勇の手紙が入っているよという書付けで、誰が書いたものかは
わからないそうですが、羽生家のご先祖の誰かでしょうね。

手紙の宛書は
「三浦休太郎様 近藤勇 机下」
となっています。
三浦休太郎・・・と聞いてピーンときた方は幕末ファン。

0192f7e914962b5cce8a5eb6ca4b19de9bb2efb4b7a.jpg

こちらが手紙を広げたもの。
ほとんど虫食いがないことに驚き、桃の木、桃井かおりです。
よほど保存状態が良かったのでしょう。

さて、宛名の三浦休太郎ですが、その人物とこの手紙は、あの坂本龍馬と非常に深い関係
を持ったものなのです。

慶応3年(1867)4月23日、瀬戸内海を航行中の海援隊がチャーターしていた「いろは丸」
が、紀州藩の「明光丸」と衝突し沈没するという事件がありました(いろは丸事件)。
明光丸はいろは丸の6倍も大きい船だったことなどから、龍馬は紀州藩に責任を迫り、結果
として紀州藩は土佐藩に多額の賠償金を支払うことになりました。
しかし、龍馬はいろは丸に積んでいた物資・金銀を水増しして紀州藩に請求したのではないか
と云われております。そして、相手紀州藩の交渉役が、この手紙の宛先三浦休太郎なのです。

慶応3年11月15日に、坂本龍馬と中岡慎太郎は暗殺されます。
当時、海援隊と陸援隊の隊士らは、紀州が多額の賠償金を払わされたことを恨んで龍馬らを
殺したのではないかと考えました。そして、交渉役を勤めた三浦が怪しいとマークしたのです。
京都に滞在していた三浦は命の危険を感じ、会津藩を通じて新選組に身辺警護を依頼しました。

この手紙は、仕事を受けた近藤が、クライアントの三浦に宛てた手紙ということになります。
何が書いてあるのでしょうか?

季節は寒さに向かいますが、益々お健やかに奉ります。
我が配下の二郎をそちらに潜伏させておりましたこと、ご配慮していただき感謝いたします。
ついては、二郎を少々必要とする事件ができましたため、お断りなく引き取りましたこと、
急なことだったのでご説明もなく誠に申し訳ありませんでした。
近々にお会いした上で御礼を申し上げます。また、その時に関東の旗下奮発等々の一策を
行う件、いずれ来月上旬までには確執があるだろうと思われます。
この節、何か変わった意見などあればお知らせ下されたく、先ずは多忙のため乱筆にて
失礼いたします。  不具
  霜月十八日   
           近藤勇
三浦休太郎様


この二郎というのは斎藤一と思われます。
伊東甲子太郎が新選組と分かれたときに、斎藤は近藤側の間者として伊東派(御陵衛士)
に潜りこみます。そして、伊東が近藤、土方の暗殺を計画していると知るや、11月10日に
御陵衛士の屯所を脱走して新選組に帰ってくるのです。
報告を終えた斎藤は新選組屯所にいることがバレたら大変ですから、名前を「山口二郎」
と変えて三浦の元に潜伏していたのでしょう。

01a3c0491341a415d3de9a311c4624a742610ab739b.jpg


さて、ではなぜ近藤は二郎(斎藤一)を急に呼び戻したのでしょう。
手紙の日付は「霜月(11月)18日」とあります。
この当日、近藤、土方は伊東を酒宴に誘い出し、しこたま酔わせた上でその帰り道を配下
の大石鍬二郎らに襲わせ、逆に暗殺してしまいます。さらに、その遺体を油小路に放置して
御陵衛士一党を誘い出し、これらを待ち伏せの上急襲し3名を斬殺しました(油小路の決闘)
この待ち伏せした新選組隊士の中に斎藤がいたと思われています。
御陵衛士の中にも服部武雄のような猛者もいましたから、近藤や土方としては実力のある
斎藤に出動してもらいたかったのでしょう。
ということで、この書簡は当時の緊迫した様子を証言するとても貴重な資料なのです。

そしてこの後、二郎こと斎藤一は海援隊・陸援隊に狙われた三浦休太郎の護衛として、他の
隊士らとその任務に就き、再び三浦の元に行くのです。
12月7日、ついにその時がやってきます。
三浦や斎藤らが宿泊していた天満屋に海援隊士らが斬り込んできたのです(天満屋事件)
しかし、斎藤らの活躍で三浦は軽傷で逃げ遂せました。
三浦は維新後、元老院議官、貴族院議員、第13代東京府知事などを務めています。

0131430d7ebaa0d31f3dc895941b46c5d051bf540ba.jpg
近藤勇の書簡を手にする、佐藤彦五郎ご子孫の佐藤福子氏(右)と
羽生家19代目羽生謙五氏。
※ご本人の許可を得て撮影しております。転載はご遠慮ください。


ところで、三浦氏に宛てた手紙がなぜココにあるのか・・・てことですが、どうも渡す時間が
なかったのか三浦氏の元には行かなかったようなんですよね。
で、どのような理由かはわかりませんが、近藤勇が日野に帰ってきたときに、この手紙を
佐藤彦五郎に預けたようです。そして彦五郎が新政府の追手から避難するときに持ち出し
て羽生家に置いていったというようなことらしいです。
明治初期の頃までは新選組に関係するものを持っているだけでも、キツく尋問を受けたこと
でしょうが、やはり近藤の生きていた証として、処分することを彦五郎にも羽生家にもできな
かったのでしょうね。

ところで、明治15年(1882)に、大久野焼けとよばれる大火災があったそうです。
民家の7割、寺社の多くが焼失、被災したほどだったそうですが、その中でもこの書簡は
無事に守られてきたんですね。虫食いもほとんどありませんし、大切に今まで保管されて
きたことがわかります。

ただ、やはりこれだけの一級資料。
本来であれば、どこかの資料館か博物館に預けられ、ガラスケースの中に入れられ、外
から見させていただくようなモノですよね。
羽生さんも「近いうちにそうなるでしょう」と仰っておりました。
こんなにも至近距離で拝見できたのは幸運でもありますし、ラストチャンスだったでしょう。
佐藤彦五郎資料館館長様、副館長様、羽生様、ありがとうございました。

01c5420767fe68be2fd3b30710214be0a616e947e1a.jpg

羽生家の近く、清源寺にある羽生家墓所。
写真中央が彦五郎一行を匿ったときの当主・14代傳蔵さんのお墓。
傳蔵さんは当時47歳。安政元年に家督を継ぎ、年番名主を務め、明治5年から10年に
かけては戸長を務めたとのことです。


保管されていた手紙が近藤さんのモノで良かったですね。
もし、これが歳さんの手紙だったら・・・
メガ103


「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ
にほんブログ村


にほんブログ村 漫画ブログへ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ
スポンサーサイト

新選組漫画 193 朝涼忌と伊庭八郎

前回記事の最期にもチョコッと触れましたが、5月に行ったもう一つのイベントのお話。
それは27日に行きました朝涼忌です。
朝涼忌とは、戊辰戦争で活躍した佐幕側の幕臣・伊庭八郎の法要であります。

なんて、よく知っているような口ぶりですが、実はワタクシ朝涼忌なるものがあることも
今年になるまで全く知りませんでした。
5月13日のひの新選組まつりで、Twitterのフォロワーさんに会い「こういうのがあるよ」と
教えていただき、初めて知ったという次第。、

ところで、伊庭八郎とはなんぞ?と思われている方もいらっしゃることでしょう。
我が家のポンちゃん(雄猫5歳)も退屈そうに身体を舐めまわしておりますので、彼にもよく
わかる程度にちょっと解説。

伊庭家は「心形刀流」という江戸時代前期に成立した剣術の宗家で、八代目軍兵衛は
時の老中水野忠邦に抜擢され、門弟数千人を抱えた剣豪でした。心形刀流は幕府の
武術学校である講武所に採用されます。八郎は軍兵衛の息子で、講武所で腕を磨き
メキメキと力を上げました。
講武所では剣や鎗に優れた者を抜擢し、将軍の親衛隊である奥詰を組織します。さらに
慶応2年(1866)の軍制改革で、奥詰は銃の訓練も義務付けられ遊撃隊と名乗る
ようになりました。八郎は21歳の若さで奥詰採用となり、その後遊撃隊に配属されます。

01431f6ebef6b094589cd1061407c0f65ce0fcda8ca.jpg
かなりリアルに描かれた伊庭八郎さん。
ご覧の通りのイケメンなので当時も、今も女子人気高し。

戊辰戦争が勃発したとき、八郎らの遊撃隊は伏見に布陣していたので薩長軍と戦闘になり
ました。
この戦いで八郎は胸に銃弾を受け倒れます。一命はとりとめ、江戸へ帰還した八郎ですが、
恭順派などには目もくれず、ひたすら徹底抗戦を貫きその後を戦い続けます。
遊撃隊は隊員が減少していましたが、八郎と京都二条城の幕臣・人見勝太郎の二人が
隊長となって新たに遊撃隊を編成。そこへ岡崎藩や館山藩などからの兵も加えて300人
以上の軍団へとなっていきました。
中でも注目されるのは、上総請西藩の脱藩大名林忠崇が同志60余名と共に参加している
ことで、遊撃隊はこんな濃ゆいメンバーも顔を連ねたのであります。

歴史的に見れば、戊辰戦争を戦った佐幕・奥羽越列藩のみなさんは劣勢を強いられ、大変
な戦いをするわけですが、中でも伊庭八郎ほどすさまじい人生を送った人はいません。
遊撃隊は新政府軍を小田原で止めようと出陣しますが、箱根で戦闘に突入。八郎は腰を
撃たれ、さらに左手を深々と斬られてしまいます。左手首がブラブラになるくらいの重傷
でしたが、八郎がスゴイのはその態勢から右腕一本で相手を斬り伏せ、その勢いで地面の
石も叩き斬ったというのですから、驚きます。
結局、左手は肘から下を切断しなければならなくなりましたが、手術のときも麻酔ナシで行っ
たとか。昔の人はどんだけ痛みに強いんだか。八郎さんだけ?
その後、遊撃隊は榎本海軍に合流して仙台を目指し出航するのですが、すぐに嵐に遭遇して
しまい、八郎の乗っていた美香保丸は座礁、沈没してしまいます。しかし、ここでも九死に一生
を得た八郎は、逃避行を重ねながら、なんとか外国船で密航をし箱館にたどり着くのです。
恐ろしきかな、その執念。

箱館で八郎は蝦夷共和国陸軍の大隊長として戦線で戦い続けます。「真に豪勇、片腕にても
一騎当千の由」と云われましたが、明治2年(1869)4月20日に胸部に銃弾を受け倒れます。
弾丸は胸に留まった状態で摘出もできず、ついに服毒し安楽死が選ばれました。
享年26歳。
正確な死亡日はわからないらしいのですが、土方歳三が亡くなった5月11日の翌日と書いて
あるものが多いですね。

さて。というわけで朝涼忌です。
この法要を主催しているのが「伊庭八郎の会」という団体と、八郎のお墓がある貞源寺だと
いうのがわかりまして、法要の行われる15時の少し前にその貞源寺に行って参りました。

01504a77af429b30b6c5617d9038345ca0e3bfbd11a.jpg

実は貞源寺もどこにあるのか知らなかったのですが、「伊庭八郎の会」のTwitterから
西武新宿線の沼袋駅が最寄りであることを知り、「なんだ、案外近かったんだ」と今さら
ながら驚きました。東大和市から電車一本で行けるんじゃん!
もっとも、貞源寺さんは元々浅草の方にあって、関東大震災後に沼袋に越してきたと
いうことです。

0122b0e90c83da053c6c586516fd2f2aa496996a4ba.jpg

駅から歩いて7分くらいですが、住宅地の真ん中にあって、周りに目印になるような
建物などがないので、ちょっと迷います。

016db77e0a1ec6a72ec73562d7ef7dd90670acaeada.jpg

永康山東正院貞源寺。浄土宗のお寺です。
こちらの本堂で伊庭八郎さんの法要が行われました。今年は150回忌です。
その区切りの年に、初参列。
受付を済ませて、まだ時間があったので先にお墓にお参りしました。

010cd669fa4621f691493f9ef982fba910e1890884a.jpg

逆光で黒い石柱にしか見えませんが、「伊庭八郎の墓」であります。
墓域の入口のところに、伊庭家一族の墓が並んであり、その中にあります。
それにしてもこの写真・・・むぅ、今度もうちょっといい写真を撮りに来よう・・・!

ご住職の読経と、参列者の焼香で法要は無事に終了。
その後、境内にて心形刀流の方々による演武が行われました。

01b67568f22d718ca94b1b5d30f8772e81f6522857a.jpg

0151241432142ffcf26da111708d8477e01f5016b9a.jpg

なかなかの迫力!
北辰一刀流、神道無念流、鏡心明智流を、幕末の剣術三大流派といいますが、当時は
心形刀流を加えて四大流派と呼ばれていたんだそうです。
それがなぜいつの間に三大になってしまったのか・・・たぶん、心形刀流を学んでいたのは
幕臣が中心だったからじゃないですかね。明治以降に除けられてしまった可能性が高いと
思われます。

演武を観て終了・・・となったのですが、その後、お寺の談話室のような場所で懇親会をする
とのこと。
ワタクシ、あまり伊庭八郎に詳しくないので、みなさんについていけないだろうと思い、そのまま
帰るつもりでいたのですが、「幕末がお好きな方なら、ぜひどうぞ!」とお誘いを受けまして、
そのまま懇親会に出席してしまいました。

伊庭八郎は、土方歳三や坂本龍馬あたりと比べればそれほど知名度のある人物ではありま
せん。なので、そのファンであればかなりマニアックなゴリゴリの話ばかりが出るのでは、と
身構えていたのですが、これがいい意味であっさりと裏切られました。

なんともビックリするくらいのアットホームな懇親会。
テーブルの上に並べられた料理はおつまみ程度のものと思いきや、ご住職や奥様の手作り
料理ときのこ飯。さらには先ほど境内でグワングワン刀を振っていた心形刀流の師範自らが
作った餃子鍋がいっぱい!

01cc3c484996e01deacd2e4d105519d67c355eaf8ca.jpg

餃子も市販のを使うのではなく、目の前で師範が一つ一つ作りながら鍋に投入。
こんなアットホームな懇親会は、なかなかお目にかかれません。
(ちなみに写真のコースターは伊庭家の家紋らしいのですが、何という家紋でしょう?
お分かりの方、教えてください。)

実はワタクシも含めてですが、参加者の中には新選組ファンの方も多く、伊庭八郎に
限らず戊辰戦争、佐幕の話で盛り上がりました。
ワタクシも道場の方に心形刀流のことをずいぶん教えていただきました(→後にTwitter
で繋がらせていただきました)。それと、参加者の中に当ブログを読んでいただいてる方
がいらっしゃいまして、そんな出会いも嬉しかったです。

「伊庭八郎の会」会長さんとも大いに語りましたが、会の方々が目標としていることを聞き
まして。で、それは何かといえば・・・
伊庭八郎を大河ドラマの主役に!
なのだそうです。
実際にリクエストを送ったそうなんですよ、会長さん、NHKに。
まぁ、結果はまだ成果を見てないのは周知の通りですが、NHKによると大河主役の条件の
一つに「一ヵ所にとどまらなかった人」ってのがあるらしく、「だったらハチ(八郎さんのこと)は
条件にピッタリですよね!」と熱く語ってくれました。

20180604.jpg

ワタクシは以前から、江川太郎左衛門を大河の主役にッ!と言っているので、ハチさん
とはライバルになってしまいますが、伊庭八郎が主役のドラマは確かに見てみたい気が
します。
でも、痛々しくて見てられないかも・・・!
ちなみに、昔、スペシャル時代劇「五稜郭」で舘ひろしが伊庭八郎を演じたそうですよ。

ところで、庄内で清河八郎を大河ドラマの主役にしようという運動が立ち上がったと聞き
ました。同じ八郎なら、ここは断然佐幕派としてイバハチさんの方に肩入れします。
キヨハチさんのドラマじゃ、近藤勇は「時局をわからぬ愚か者め!」扱いされそうだし。

そんなこんなで、朝涼忌。
来年もまた行きたいと思います。

01e562d32a150ddeb6e5b2ece600fc96657a843b9da.jpg
明治の浮世絵師、大蘇(月岡)芳年の描いた伊庭八郎。
なぜか名前は「伊場七郎」に、斬られた腕も右腕になっております。
この絵が描かれた頃はまだ、幕軍方をそのまま描けない空気があったのでしょうか。



「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ
にほんブログ村


にほんブログ村 漫画ブログへ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ

新選組漫画 192 ひの歳三みやげ

すっかりご無沙汰。
今月はいろいろとバタバタしていたもので、すっかりブログがおろそかになってしまい
ましたとさ。

今月は12、13日と、日野市では恒例の「ひの新選組まつり」が開催されました。
12日土曜日は石田寺で歳三忌があり、ワタクシも昨年体調不良で参列できなかった
ものだから、今年は馳せ参じたかったのですが都合がつかなくなり、また今年も行け
ませんでした。

というのも、こちらもまた恒例の文京学院大学生涯学習センターの「江戸講座」の
講師のお仕事が12日にはいってしまったためでありました。
しかも、今回の講座のタイトルが「新選組副長・土方歳三」ってことで、なんかヘンな
具合にドンピシャなタイミングでしたww

01206b4ced237afb211641a923d3dceeffd99cb7e5a.jpg


13日には、日野駅前に行きおまつりを楽しんできました。
2年前の当ブログでもご紹介しましたが、大学の後輩が参加している剣劇集団「刀狼記」
のパフォーマンスも見てきました。

0108604bdc223c152cd7f1792b6c907bf4a0625d84a.jpg
後列にいるのが後輩の役者、宇井源秀さん。

この日はパレードの途中から雨が降って来て、少し繰り上げでまつりも早く終わってしまった
んだけれど、パレードはなんとか一周できたから隊士コンテストで入賞した人たちも良かったね。


01bcbdaf70d31e69074b8b5d7c7be318b25a3f4572a.jpg
JRも新選組まつりの日はガンバル!
中央線日野駅ホームにて。

19日には「江戸講座」の2回目講義ってことで、歴史散歩。
モノレールの万願寺駅に集合してもらい、石田から高幡不動尊までガイドしました。
当然のことながら、石田寺にも行きましたので、歳三さんのお墓には1週間遅れでお参りで
した。
ちなみにこの日のコースは、
万願寺駅土方歳三資料館石田寺とうかん森石明神社ふれあい橋若宮神社
高幡不動尊(山門、不動堂、奥院、大日堂、土方歳三像、殉節両雄碑)
歳三資料館の土方館長には、いつも団体でお世話になっております!
ありがとうございます!

20180529.jpg

まち歩きガイドで、聴講生の方々が楽しみにしているのがお買い物。
やっぱり出かけた先での買い物は楽しいですよね。

多摩地域は「むさしの糧うどん」が有名なように、うどんは昔からごちそうとして食べられて
いました。
というのも、武蔵野の地は大きな河川や湖などがなく、大きな水田がつくれなかったから
なんですね。ほとんどが畑作だったワケですよ。
しかし、多摩川、浅川という水利に恵まれた日野ではたくさんお米が取れましたから、特に
うどんを食べなければならないことはなかったと思います。
それに歳さんは若い頃は江戸に奉公に出ていましたから、お米はよく食べることができた
でしょうね。
佐藤彦五郎の脇本陣は、蜀山人がべた褒めするほど蕎麦が美味しかったそうですから、
歳さんもきっと蕎麦は好きだったんだろうなぁと思います。

でもね、この「土方歳三うどん」は美味しいですよ。
ワタクシも何度か買ってます。

で、たくあんのエピソードは歳さんファンならおなじみのお話。
親戚の橋本家のたくあんが美味しかったので、樽ごと持って帰っていったという。
どれだけうまかったんでしょうねーww

※次回は5月に行った、もう一つの歴史イベントをご報告!


「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ
にほんブログ村


にほんブログ村 漫画ブログへ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ

オレデミー大賞 2018年中間発表 1月期

早くも5月になってしまいました。
5月ってこんなに暑かったっけ?と思ったりもしますが、皆さまご機嫌いかがでしょう?
遅くなりました1月期のオレデミー大賞の中間発表です。

10位 FINAL CUT フジ 火 21:00
 9位 わろてんか NHK 月~土 08:00
 8位 ホリデイラブ テレ朝 金 23:15
 7位 リピート 運命を変える10ヶ月 日テレ 木 23:59
 6位 隣の家族は青く見える フジ 木 22:00
 5位 バイプレイヤーズ テレ東 水 21:54
 4位 anone 日テレ 水 22:00

「FINAL CUT」 元々は草彅剛による「銭の戦争」「嘘の戦争」に続く復讐三部作の完結編
となる予定だったそうですね。それが大人の事情で、主役交代となってしまったとか。
つよぽんだったら、また違った面白さがあったのかなぁ・・・と。

「わろてんか」 吉本興業を起こした吉本せいが主人公のモデルというので、けっこう楽しく
見てました。松坂桃李の夫がもっとヒドイ人だったとか、濱田岳に当たる人物は弟がモデル
とか、事実と異なる所が多々ありますが、安定感のあるドラマでした。成田凌演じた息子の
恋人は史実だと笠置シヅ子に当たるワケですが、その辺りは描かれませんでしたね。

「ホリデイラブ」 仲里依紗、塚本高史、中村倫也、壇蜜と芸達者が揃って深夜に近い時間
ではもったいない感じがしました。けっこうダメ人間ばかりを描いたドラマでしたが、中でも
中村倫也の妻を演じた松本まりかのダメ恐ろしさは怖かったです。中村倫也はこういう
クズ系をやらせたら天下一品ですね。大好きです、こういう役者!

「リピート」 「過去に戻って人生を変える」というテーマのドラマが、同じ日テレ系列で2本。
コチラと「トドメの接吻」。放送時間帯からいっても局では「トドメ・・・」推しだったのでしょう
けど、こちらの方が落ち着いて見られました。「誰がみんなを殺していったのか」という謎
については尻つぼみ感が否めませんが。

「隣の家族は青く見える」 松山ケンイチ・深キョン、野間口徹、平山浩行、眞島秀和の各家族、
どれに共感するかは別として、それぞれの家族をよく描いていたと思います。個人的には
野間口徹の家庭を応援したい!それにしても、ああいうコーポラティブハウスってホントに
あるんですか?ワタクシなら、住むにはちょっと落ち着かないなぁー・・・。

「バイプレイヤーズ」 深夜にやっていた頃から大好きでした。しかし、放送中に主演の大杉漣
さんが亡くなられるとは・・・!ファンの一人だっただけにショックでした。悪役からコメディまで
幅広い芸域で、まさにバイプレイヤーの鑑ですよね。演技だけでなく、ワタクシは眼鏡愛用者
として、眼鏡センスのバツグンにいいのが吹越満とこの方だと、自分の眼鏡ライフの参考に
しておりました。
心よりご冥福をお祈りいたします。
ところで、今作は「バイプレイヤーたちが島の空き家(島ハウス)で共同生活をする」という話
でしたが、その島ハウスのロケで使われていたのが、ワタクシが毎年大学時代の後輩らと
夏に遊びに行く民宿だったので、ビックリいたしました。
背景とかCG処理されていて、まさに離れ小島にある家みたいですが、テロップに「錦海亭」
とありますので間違いないです。室内も一部撮影に使われてましたね。
今年も夏に遊びに行く予定ですので、漣さんやエンケンさんの話をレゲエ好きのご主人に
伺えたらと思います。

01fbc4f8dd58a2a891fd65ab9ef5aca60583d108a2a.jpg
ドラマの中の島ハウス

01220452d314ec51ec00b307057de359bf3f874696a.jpg
実際の「錦海亭」。富津の新舞子浜海岸にあります。

010aeaf0e7fc1aae8c5914b9826a710ce8563466d2a.jpg

「anone」 「mother」「woman」に次ぐ作品ということで期待値がものすごく高かったのですが、前の
2作には及ばなかった印象です。ハリカと彦星くんの話とか、持本さんと旧友の立て籠もり犯とか、
青羽さんの幽霊の娘とか、中世古の偽札とか、話がいろんな所に飛んで、一つ一つは面白いん
だけど散漫しちゃった印象でした。こいううテイストのドラマは好きなんですけどね。

3位 99.9 刑事事件専門弁護士Ⅱ TBS 日 21:00
日曜日の夜9:00に、香川照之を見ると落ち着きます。ていうか、この時間に彼が画面に出て
こないと、何か物足りない自分がいます。彼を中心として細かいセリフのやりとりがこのドラマの
面白さでしょう。前回の榮倉奈々に代わって木村文乃がレギュラー入りでしたが、なんかキャラ
が重くて、そのぶんマイナスだったかな。

2位 BG 身辺警護人 テレ朝 木 21:00
キムタク主演のドラマとしては「安堂ロイド」「アイムホーム」「A LIFE」など最近の中では一番面白
かったです。上川隆也とはいいコンビだと思ったんだけど、まさか死んじゃうとはビックリしました。
キムタクの別れた妻役が山口智子というのが、なんともまた・・・。スタッフは絶対ロンバケにハマ
った人なんでしょうねぇ。だったらゲストで竹野内豊や稲森いずみも登場させちゃえばよかった
のに。

1位 アンナチュラル TBS 金 22:00
石原さとみが上手かったです。最近、検死官ドラマが増えてきましたが、視聴者側にはあまり
科学捜査の知識はないですから、要は役者が説得力のあるお芝居をするかどうかだと思うんで
すね。それと、このドラマでは同僚の井浦新が恋人を殺した犯人を捜す縦線がうまく絡んでいて
そこも面白かった。葬儀社の流星涼の使い方がちょっともったいなかったかな。

深夜枠。

3位 漫画みたいにいかない 日テレ 水 24:59
2位 卒業バカメンタリー 日テレ 月 24:59
1位 電影少女 VIDEO GIRL AI 2018 テレ東 土 24:20

今期も深夜ドラマは全体的にイマイチかなぁ・・・。
テレ東の斎藤工主演「MASKMEN」はこの枠お得意のフェイク・ドキュメントですが、そろそろこの
手法にも飽きてきた感じです。

主演男優賞 大杉漣(バイプレイヤーズ)

主演女優賞 石原さとみ(アンナチュラル)

助演男優賞 向井理(きみが心に棲みついた TBS 火 22:00)

助演女優賞 松本まりか(ホリデイラブ)

美術賞 バイプレイヤーズ

撮影賞 精霊の守り人 最終章 NHK 土 21:00

主題曲賞 「Lemon」 米津玄師 (アンナチュラル)

今期のドラマのキーワードは「クズ男」だったのでしょうか?
「トドメの接吻」の山崎賢人、「anone」の瑛太、「きみが心に棲みついた」の向井理、「ホリデイ
ラブ」の中村倫也・・・と、あまりそばに置いておきたくないキャラクターがたくさんドラマに出て
きました。世の中、こういう自己中な人がフツーに多くなったよってことなのでしょうか。
ベストテンには入りませんでしたが、その他目についたドラマとしては・・・
「オーファン・ブラック」の知英。この方、韓国人ということを考えるとスゴイ日本語の上達ぶり
ですね。一人七役見事でしたよ。
「女子的生活」の志尊淳。NHKドラマによく出てますね。ただ、やはり女装するとガタイがいい
のは否めない。「きみはペット」の頃だったらまだ良かったかも。
「オーマイジャンプ」。ワタクシはあまりジャンプを読まなかった人なので、そんなにシンパシー
を感じないんですよ。でも、男爵ディーノと卍丸は好きです(民明書房)。
「海月姫」。瀬戸康史。志尊淳の女装以上にフツーにオトコってわかるよね。
「ROAD TO EDEN」。どういう意図のもと、どういう視聴者に向けられたドラマだったのか?

ドラマも新しいクールに入り、出そろいましたね。
「コンフィデンスマンJP」「シグナル」「ブラックペアン」あたりがお気に入り。
「モンテ・クリスト伯」は思ったとおり、ツッコミどころ満載です。

メガ102


「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ
にほんブログ村


にほんブログ村 漫画ブログへ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ

戸田・プチャーチン史跡廻り

伊豆の史跡廻り最終回です。

Oさんにワガママを言いまして西伊豆の戸田に連れていってもらいました。
戸田は「トダ」ではなく「ヘダ」です。
戸田は修善寺から1時間近くも車で行かなければならない場所。
東京から行くとなると、かなり交通が不便なトコロです。
今回の旅行は歴史仲間が集まったということで、このチャンスを逃しては
ならぬ!ってことで、Oさんにお願いした次第です。

IMG_1100a.jpg

山の上の見晴台から見た戸田の港。
海岸線まで山の稜線が迫っていまして、ほんのわずかの平地に家々が並んでいます。
実にのどかな風景です。

嘉永7年(1854)、ロシア使節のプチャーチンディアナ号に乗って下田にやって
きます。そこで幕府全権の川路聖謨らと和親条約の話し合いが持たれます。
ところが交渉直後に安政の大地震が起きるのです。
沿岸は津波が襲い、下田の町は大きな被害を受けますが、プチャーチンのディアナ号も大破。
さらに大きな風波によってディアナ号は沈没してしまいます。

プチャーチン
エフィム・プチャーチン(1803~1883)

そんなプチャーチンらロシア使節一行が避難場所として滞在したのが戸田なのです。
プチャーチンは幕府に船の建造を要請し、許可をもらいます。
伊豆周辺の船大工たちが集められ、ディアナ号に保管してあった大型船の設計図を元に
洋式帆船の代船建造が始まりました。建造取締約には江川坦庵が命じられ、実際の造船
指揮はロシア人の技術者が当たりました。
坦庵さんからすれば、外国船の技術・仕組みを理解する恰好の機会でもあったのでしょう。

3ヶ月後にできあがった船はディアナ号の半分ほどの大きさでしたが、プチャーチンは日本の
船大工と滞在中に好意を寄せてくれた戸田の村民に感謝し、この船にヘダ号と名付けます。
ディアナ号の生存乗員の大半は、実はチャーターしたアメリカ船で帰国の途についたのですが、
プチャーチンと50名ほどの乗員がヘダ号で帰国することができたのでした。

てことで、この戸田が日本における洋式帆船発祥の地ということになっておるのです。

IMG_1089a.jpg

造船碑
大正12年(1923)3月に建立されたものです。

プチャーチンとヘダ号の歴史がわかる、こちらが戸田造船郷土資料博物館です。

IMG_1078a.jpg

外観は博物館というよりドライブインみたいですが、館内には津波によって遭難したディアナ号
からヘダ号造船に至る経過の説明や、資料などが展示されております。

IMG_1083a.jpg

博物館入口の前には、ディアナ号の錨が置かれています。
全長4,78m、幅3,235m、重量は約4t。
後で調べたところでは、この錨は昭和29年(1954)に引き上げられたものだそうで、さらに
昭和51年(1976)にもう一つの錨が引き上げられ、静岡県富士市にモニュメントとして
飾られているそうです。
それにしても、「碇知盛」もビックラの大きさです。

ところでこちらの博物館は、隣りに「駿河湾深海生物館」というのが併設されています。
深海生物の標本が多数展示されているのですが、この博物館をプロデュースしているのが
ココリコの田中直樹なのだとか。
なんか、テレビ番組がきっかけみたいですね。

016cbf4cce3273815775d0a6fa5647db0c77aefe1fa.jpg
タカアシガニ
この辺りの名産らしいですね。菜々緒クラスの足の長さ!

海岸線から少し奥に細い道を入っていくと、お寺があります。

IMG_1092a.jpg

宝泉寺です。
ディアナ号が沈没し、ヘダ号ができあがるまでプチャーチンが宿舎としていた所です。
プチャーチンは地震の津波で流された日本人を救助したそうで、地元の人との関係は
友好的だったようです。
そもそもプチャーチンは来日するにあたってシーボルトから「日本人はルールを重んじる民族
や。相手をリスペクトする心があらへんと失敗するで」とアドバイスをもらっていて、事実、その
通りに日本との交渉に臨みました。
そこが砲艦外交でやってきたペリーと違うところ。

IMG_1095a.jpg

本堂の脇にあるこのお墓。露国水兵の墓です。
説明板にはこうあります。
「戸田で亡くなった二人の水兵を祀っています。丸い石塔は安政二年に建てられ、当時の
過去帳に安政二年四月二十八日「造船中に当時に宿滞候事水兵一名やあしか、なべわり
食死裏墓地〇石の下に埋葬」と記録されていますワシリーヤーシカバケエフの墓石。もう
一方の墓碑は安政二年三月二十五日病死したアレクセイポトーキチン、牛ヶ洞に埋葬し墓石
を建てましたが、水害で流出したので、昭和四十四年、当時の村長が前述の一人と合祀し、
新しい墓碑をここに建立して、旧ソ連大使一行の臨席で慰霊法要を行い今日に至っています。」


平成22年発行の沼津市教育委員会の造船郷土資料博物館パンフレットの宝泉寺の写真
には、水兵の墓は境内の別の場所にあるように見えるので、最近になって墓所を移した
ようですね。

ヘダ号やプチャーチンの史跡は、一度訪れてみたいと思っていたのでいい機会でした。

その他、観光として寄ったところ。

IMG_1051a.jpg
伊豆市の萬城の滝
高さ20m、幅6m。近くで見るとなかなかの迫力です。
以前は滝の裏側も通れて「裏見の滝」とも呼ばれたそうですが、現在は通れませんでした。

IMG_1072ab.jpg
同じく伊豆市中伊豆の筏場のわさび田
総面積14,7ha、1500枚のわさびの棚田が広がっています。これまた壮観。
現在日本農業遺産に指定され、世界農業遺産に申請中だそうです。

IMG_1077a.jpg
IMG_1075a.jpg
戸田から韮山へ行く途中、伊豆市の狩の川屋
鮎料理のお店ですが売店もあって、同行のUさんがぜひ寄って!というので途中停車。
ここの「鮎の干物」が絶品とのこと。
鮎の干物は珍しいと思い、ワタクシも便乗してお土産に買いました。
帰宅後、焼いて食べましたが、確かに美味い!
小ぶりなので頭からバリバリ食べられます。

IMG_1108a.jpg
北江間横穴群
山の斜面の岩石に横穴がたくさん開けられています。
ご想像の通り、古代人のお墓で7世紀後半から8世紀前半のものだそうです。
小さな穴もあって、それは火葬骨を埋めたものだそうで、全国的にも特徴的なものだとか。

IMG_1113a.jpg
コチラは地震動の擦痕。南江間の公園前にありました。
天然記念物らしいんですが、何コレ?って思いますよね。
写真の茶色い物体は魚雷なのだそうです。
昭和5年(1930)11月26日に最大震度6の大地震(北伊豆地震)が起きたのですが、その
とき台石が針となって魚雷の表面にキズをつけたのですね。これが地震計のように地震の
大きさを形で残すことになったというわけです。
こんな形の天然記念物もあるんですね。


「なんだー。このボタンちょっと押してみるんだな。うーん、なんだー。」



にほんブログ村 歴史ブログ 幕末・明治維新へ
にほんブログ村


にほんブログ村 漫画ブログへ
にほんブログ村


人気ブログランキングへ