「里正日誌」安政編 

市内に流れる夕方のチャイムが、17:30から16:30に変わっていました。
もう、10月になってしまいました。
忙しさもあって、すっかりグログの更新もおろそかになってしまいましたが、リスタート
してまいります。

「里正日誌」は文久年間から少し遡りまして、安政年間の記述を読んでいきたいと
思います。
安政元年は西暦1854年。ペリーが浦賀に来航した翌年になりますね。
つまり、このあたりの年から幕末という時代がスタートしたと言えます。

主人公がほぼ想像上の人物だった「おんな城主直虎」の放送も、残すところ2ヶ月と
なり、来年の大河ドラマはまたまた幕末・明治維新モノの「西郷どん」になりますので、
幕末のスタート地点あたりを追っていくのも、またよろしいのではないかと思って
おりますです。

安政元年、「里正日誌」の最初の記述は正月16日に江川代官所から出された書状
です。
「異国船渡来に付き取締り方の義御廻状」
ということで、前年の嘉永6年(1853)に続き、この年の正月に開国を迫るペリーの
来航に関する廻状です。
なお、この書状については過去にも当ブログで取り上げましたので、重複することを
お許しください。

近頃、異国船が度々渡来することについて、兼てより大名領や代官支配地に対し人馬
の用意を申し付けておいた者もあるようだが、この度の異国船渡来の様子をみると、
壮健の者たちは近々江戸表に呼び出されるかもしれない。無宿人や悪党が立ち回り
乱暴に及んで御府内へも立ち入るかもしれないからである。
阿部伊勢守殿のご沙汰の次第もあり、関東取締出役にも仰せ付けられたことだが、
関東は大変広いので、悪党が入り込めないように江戸の出口4ヶ宿はもちろんのこと、
代官支配所内の脇往還入口の村々の取締りを厳重に申し付ける旨を、本多加賀守殿
より御代官方へお達しがあった。その考えをよく理解して支配所内の脇往還入口の
村々はもちろんのこと、その他の村々においても右の趣意をよく心得て、取締りを厳重
に取り計らうこと。
もっとも、取締出役が派遣されることもあるが、村役人はしっかりと取締りをいたすべし。
この廻状の村名の下に名主は請印をして、時刻を明記して順に送り、最後の村より返す
こと。以上。

      江川太郎左衛門

  寅正月16日  役所


安政元年といいますが、嘉永7年が改元されて安政となったのは11月ですから、この
廻状が出されたのは正確には嘉永7年の正月ということになります。
安政元年って、2ヶ月もなかったんですね。

文中の人物ですが、「阿部伊勢守」は老中の阿部正弘。ちなみに原文では「阿 伊勢守」
となっています。
「本多加賀守」は本多安英。当時の勘定奉行です。
「江戸の出口4ヶ宿」とは品川・板橋・新宿・千住を指します。それぞれ東海道・中山道・
甲州道中・日光道中・奥州道中の最初の宿場町ですね。

外国人が日本にやってきたので警戒せよ!っていうのかと思いきや、外国人が来た
ことにより、無宿人や悪党が地域を荒らしまわるかもしれないので、村々では十分に
警戒せよ、とのことのようです。
江戸市中はともかくとして、江川代官が支配する多摩・狭山丘陵一帯の農村では、
江戸時代後半から悪化していた治安をどう維持していくかが、重要だったようです。
黒船来航が、治安悪化をさらに進める原因になることを幕府も警戒していたのでしょう。

ちなみに東大和市域に最も近い五街道は甲州道中で、助郷などを出していました。
近くとは言っても、市域からはかなり南を通る街道です。
しかし、甲州道中の裏街道にあたる成木道(青梅街道)は東大和市域のド真ん中を
横断しています。
さらに、市内には狭山丘陵南麓沿いの広域道路だった村山道、清瀬を経由して埼玉の
引又へ至る清戸街道、南北に走る八王子道などの主要道路がありました。村々では
こういった脇往還の警戒を厳しく取り締まるよう命令を受けたのでしょう。


久しぶりですので、我が家の大幹部たちの近況報告。

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10月から始まったNHK朝ドラ「わろてんか」。
主人公の名前が「てん」ということで、我が家の「テン」ちゃんも上機嫌。



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先日、5歳の定期健診とワクチン予防接種をした「ポン」ちゃん。
注射の後でかなり不機嫌な様子。
でも、この1年で350gのダイエットに成功。獣医さんに褒められました。



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新選組漫画 187 行軍録

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京都での新選組は、一種の警察部隊のようなもので、市中での不逞浪士や反幕過激派の
逮捕が主な任務でした。狭い路地や屋内での戦いが中心だったので、刀や鎗で戦う方が
効率が良かったワケです。
ところが幕府が長州征伐の計画を立てると、新選組も幕府方の1部隊として出陣させられる
かもしれません・・・となると、警察隊ではなく軍隊としての組織化が必要になってきます。

というコトで立案された新選組の「軍隊としての編成」、コレがが「行軍録」です。
「行軍録」には元治元年版と慶応元年版の2種類が確認されています。
元治版には「大砲」、慶応版には「小銃」「大銃」とあることから、新選組は刀鎗ばかりに
こだわった集団ではなく、戦争においては大小重火器による戦いを準備していた部隊だった
ということがわかります。

もっとも、この「行軍録」は立案しただけで、新選組がこの編成通りに実戦に出た実例は
ありません。長州征伐にも従軍していませんしね。

左之助さんは小荷駄方ということですが、彼は通常編成でも10番隊を指揮していたり、
殿(しんがり)部隊としての役目を負っていたのでしょう。近藤さんや歳三さんの信頼が
いかに厚かったかがわかります。


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8月も終わりですが・・・

今月のはじめから持病の「群発頭痛」が始まりまして、なかなか仕事もブログも
思うようにいかないひと月でありました。
頭痛の発作が起きますとPCの画面はもちろん、本の活字など見るのも辛く
なってしまうので「里正日記」など古文書の類も、今月は全く読めておりません。
ていうか、本自体読めてない。

とはいうものの、発作が起きてないときは至って正常でいられるワケで、そこそこ
遊んではいられましたので、今回の記事は今年の夏を振り返って書いてみたいと
思います。

8月5、6日の土日に秋田へ行ってまいりました。
去年もこの時期に行きましたが、秋田在住の友人に誘われて竿灯祭りを見てきま
した。今年は仙台在住の友人も来て、大学のサークルのプチ同窓会でしたね。
ちなみにこの旅行中、頭痛は夜に小さいのが1回あるだけでした。

竿灯祭り2017b
今年は去年よりも多い竿灯が出て、しかも友人の案内でベストポジの場所に
陣取れたので、思う存分迫力のある竿灯が見られました。

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去年なかったんだけど、今年は我々のいた場所の前までお囃子の屋台トラックが
廻ってきてくれました。竿灯を挙げるのは男性ですが、鳴り物は女性が担当。
太鼓を打つ女の子ちゃん、カッコイイよね。

竿灯祭り2017a
祭りの終盤になると、棹を継ぎ足したり、それを肩やら額やらに乗せて無理を
しまくります。棹がグワングワンしなって観客も拍手喝采です。
で、グワングワンが行き過ぎると、突然バキッと音がして棹が真っ二つ。
折れるのを期待するワケじゃないが、ある種醍醐味ですな。

昼間は「涙を流した奇跡の聖母像」があるという教会、聖体奉仕会に行って
まいりました。

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なんか、すっごく純和風な建物の教会です。
秋田市内の中心から車で15分くらいの山の中にあります。
ココに教会が作られたのは戦後のことなので、そんなに古い時代ではないのにナゼに
こんな和風の外観なのか?そこだけでも一見の価値アリです。

1975年から1981年にかけて、教会の聖堂に安置されている木彫りの聖母像から涙が
流れるという出来事が起こり、それは7年間に101回も記録されたのだそうです。
案内してくれた友人の話によれば、その涙は人間の体液と同じ成分と確認され、バチカン
も聖母出現として認可したというのだから驚きです。
ワタクシ、クリスチャンではありませんが、幼少の頃より「11PM」と「水曜スペシャル」で
育った世代。こういう話は大好物です。
不謹慎でスミマセン・・・。

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聖母像は撮影禁止ですので、ポスターの写真でご勘弁。
等身大くらいあるのかなと思っていたのですが、全長70cmほどの小さな聖母像
でした。この小さな聖母さまから奇跡の涙が・・・何を訴えたかったのでしょうね?

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朝、ホテルの窓から見えた鳥海山
きれいに見えるのは珍しいんだそうで、確かにこの30分後には上の方に雲が
かかりました。
ちなみに、宿泊したホテルは秋田市内から車で小1時間ほど行った所。
祭りの時期は市内のホテルはどこもいっぱいなのでした。


19、20日の土日は、大学時代のサークルの後輩と千葉県富津へOB会旅行。

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コチラ、毎年お世話になっている新舞子浜海水浴場の民宿「錦海亭」さん。
今年は天気が良くなくて曇り空でしたが、晴れていればこのテラスから夕日が
キレイに見えるのです。
対岸は横須賀方面。夜7時半頃に花火が打ち上げられてましたな。
明け方に発作があったので、2時間くらいしか寝られなかったけど。


あと、歌舞伎座にも行きました。

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観たのは二部と三部。
二部の「歌舞伎座捕物帖」は、当代猿之助の新作歌舞伎「東海道中膝栗毛」の
外伝で、コメディー芝居。
三部の「野田版・桜の森の満開の下」は野田秀樹(夢の遊眠社)の舞台のリメイク
です。
ま、ハッキリ言いまして、どちらも伝統の歌舞伎ではないと言っていいでしょう。
歌舞伎の可能性を追求した舞台、といったお芝居ですかね。
ワタクシ、新作歌舞伎を応援すると宣言しておりますので、こういった(悪く言えば)
キワモノのお芝居はなるべく観にいくようにしております。
劇場に着いたら頭痛信号がきたので、すぐに市販の頭痛薬を飲んだら治まりまして
ラッキーでした!
頭痛信号が出たときすぐに薬を飲むと、6割くらいの確率で効いてくれるのです。
以前はバファリンを服用していましたが、今はイブクイックを飲んでます。

野田秀樹の台本で歌舞伎を始めたのは、亡くなった十八代目中村勘三郎からで、
「野田版・研辰の討たれ」「野田版・鼠小僧」「野田版・愛陀姫」に続き4作目になります。
官九郎・七之助兄弟が父親の遺志を継いだということでしょうね。
前2作は元々が時代劇ベースでしたが、「桜の森・・・」は夢の遊眠社の舞台をその
まま歌舞伎役者が演じるといった形で、かなりチャレンジしています。
元々、勘三郎がやりたかったようですね。

で、お芝居自体はどうだったかというと、小劇場演劇独特の、矢継ぎ早にセリフを早口
で重ねていく手法が歌舞伎にはあまりないせいか、ちょっと役者のセリフに聞き辛い
部分を感じたものの、違和感なく十分楽しめました。
主演の耳男・勘九郎、夜長姫・七之助、マナコ・猿弥が秀逸。
猿弥さん、大好きな役者さんです。この方もっと現代劇や映画、ドラマに出てもいい味
出せるのでは、と思うのですがどうでしょう?
歌舞伎としては「野田版・研辰の討たれ」の方が面白かったですが、小劇団出身作家
の歌舞伎としては、渡辺えりの「今昔桃太郎」や宮藤官九郎の「大江戸りびんぐでっど」
よりも上出来です。
野田版歌舞伎も、蜷川幸雄歌舞伎の「十二夜」(原作・シェークスピア)のように、再演
を重ねていって欲しいです。

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歌舞伎座裏の「歌舞伎そば」で食べた「かき揚げざるそば」。

ところで、歌舞伎座は10月には「日印友好交流年記念」で新作歌舞伎
「マハーバーラタ戦記」というお芝居を上演するそうです。
今度はインドですよ、インド。
シヴァ神を菊之助が演るんだって!
コレもまた、観に行かなきゃだなぁ・・・!

というわけで、頭痛の合間を縫って遊びに行ってたことは行ってました。
もう30年以上の長いつきあいですから、なんとなく対策を立てて・・・ですね。
群発期はまだ終わっていませんが、そろそろ終盤になってきた感覚はあります。
発作の時間が短くなっているのでね。
これで毎日の頭痛が1日おきになり、2日おきになり、9月の前半には終息して
くれると嬉しい。



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新選組漫画 186 夏の侵入者③

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先日福島県で、野外活動をしていた小学生の集団がハチに刺されたという
ニュースがテレビで流れました。
刺したのはアシナガバチ。

アシナガバチ
コイツですね。

「なーんだ、アシナガバチか。スズメバチじゃないのね。」
と軽く見るなかれ。
こやつ、確かにスズメバチよりは小型なれど、同じ種族のハチなのです。

実はワタクシ、30歳くらいの頃ですがこのアシナガバチに刺されたことが
ありまして、そのとき医者から
「アナフィラキシーショックを起こす可能性があるので、今後は刺されない
ように注意してね。死ぬから。」
と警告を受けた経験があります。
以来ワタクシ、極端にハチを避ける人生を送っております。
とはいうものの、ワタクシの住む東大和市、特にワタクシの家は狭山丘陵の
ド真ん中にあるもんですから、夏から秋にかけてはスズメもアシナガも
ガンガン飛び回っているのですがねwww

今回刺された小学生は、まったくかわいそうだと思いますが、ちょっと意外
だったのは「足にチクッと痛みが走った」と先生に言ったということ。
ワタクシは後頭部を刺されたせいでしょうか、鉄パイプでブン殴られたような
衝撃がありましたが・・・刺された箇所によってこうも違うものなのですね。

ちなみにワタクシの場合、自宅車庫の天井にハチが巣をつくっているのに全く
気付かず、原チャリで帰ってきてメットを脱いだトコロを刺されました。
エンジン音を警戒したハチが攻撃したんだろうと、後で駆除を頼んだ業者に
言われました。
アシナガバチは屋根の庇(ひさし)とか、そういう所にアッという間に巣を
つくってしまうので、みなさんも注意してくださいませ。


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「駄右衛門花御所異聞」で勸玄くんを観る

「里正日誌」も文久編が終わりまして、すでに元治、慶応、明治初年頃も見終わって
おります。さて、今後このブログの展開をどうしようかな、と考えているところです。

というわけで、今回はワンポイント継投記事です。

日本駄右衛門2

先月、歌舞伎座に行ってまいりました。
お目当ては夜の部、通し狂言の「駄右衛門花御所異聞」であります。
市川海老蔵が大盗賊の日本駄右衛門に扮して、お家騒動を利用して暗躍し、大詰め
では秘術を使って死者をよみがえらせ大望を果たそうとする、痛快娯楽時代劇です。

このお芝居がワイドショーなどでも度々取り上げられ話題となっていたのは、海老蔵の
ご長男堀越勸玄くんが出演し、歌舞伎史上最年少の4歳で宙乗りを務めるということに
ありました。
みなさんもご存知の通り、海老蔵の妻・小林麻央さんが闘病の末に亡くなられましたが、
勸玄くんの宙乗りはまだ闘病されていた麻央さんを勇気づけるために企画されたのは
想像に難くない所であります。
しかし、現実は悲しいものとなってしまいました。
その中で海老蔵と勸玄くんがどのように乗り切ってお芝居を魅せてくれるのか。
一歌舞伎ファンとして、どうしても見届けたいと思いました。

さて、もちろん身内を励ましたいからといって、子供に宙乗りをさせられるのは歌舞伎
役者といっても市川宗家だからできること。確かにそうではありましょう。
ある意味、わがままが通った結果とも言えます。
しかしですよ、みなさん。歌舞伎座の宙乗りってどのくらいの高さに上がるのかご存じ
でしょうか?

日本駄右衛門3

見えにくいでしょうが、矢印のところにワイヤーが花道に沿って張ってあり、そこを
吊るされて客席の方向に飛ぶがごとく移動してゆくのです。
ワタクシが高所恐怖症のせいだからでしょうか・・・尋常な心持ちでは務まらないと
思います。ほぼ同じ高さの3階席から真下を見下ろすと、頭がクラクラしますからね。
海老蔵のブログには「今日はカンカンがやりたくないと言っている、困った」などと
書き込みがあったそうですが、わかるよ!

勸玄くんが登場するのは2幕目の第3場。
駄右衛門の悪だくみを阻止しようと、家臣が秋葉大権現(海老蔵・二役)に祈念する
と、そのつかいの白狐として登場します。
「かんげんびゃっこ!」
とセリフを言いますので、勸玄くん用に用意された役であることは間違いありません。
そして秋葉大権現に抱かれて空高く舞い上がり、駄右衛門をやっつけに行くので
ありました。

勸玄くんの登場シーンはこれだけですが、劇場内割れんばかりの拍手喝采。
特に歌舞伎座はジジババが多いですからね、麻央さんとのストーリーもあって涙を
誘った場面でありました。
しかし、勸玄くん。「かわいいー」とか「がんばれー」の声援を受けると、海老蔵に抱か
れながらチラッとその方に顔を向け手を振っては(ホントはやっちゃいけないんだろう
けど)さらに拍手をもらうあたり、将来のスター役者への下地はすでにできているよう
に感じます。
その背中に背負う歌舞伎役者の責任は果てしなく大きいけれど、がんばれ勸玄くん。

日本駄右衛門1
こんなポスターだと、写楽の「大谷鬼次の江戸兵衛」と混同してしまいますが・・・

日本駄右衛門4コレね。別人です。

日本駄右衛門は、江戸時代半ばに実在した大盗賊の頭・日本左衛門こと
浜島庄兵衛をモデルにしています。
庄兵衛は尾張藩士の子として生まれるも、盗賊の道に入り東海地方を中心に
押し込みを働き、手下は200人もいたという大悪党です。
幕末に河竹黙阿弥が「白波五人男」を書いたときに、その五人男のリーダー
として庄兵衛をモデルにした日本駄右衛門をあて、このキャラクターが大ヒットします。
当時、大泥棒といえば鼠小僧次郎吉か日本駄右衛門か、と云われたくらいです。
現代に継承される日本駄右衛門のイメージは、この五人男の駄右衛門がそのまま
残っているといっていいでしょう。

しかし、黙阿弥が「白波五人男」を書く以前、すでに演劇界では日本駄右衛門が誕生
しておりました。
宝暦10年(1761)に、大坂で駄右衛門を主人公にした「秋葉権現廻船語」という話が
作られ(作者・竹田治蔵)、大ヒットしているのです。
今回の「駄右衛門花御所異聞」は、現在上演されることのなくなったそのお芝居を再構築
して、復活狂言の新作として作られたもののようです。

新作だけあって、娯楽性に富んだ演出がそこかしこに散りばめられています。
前半部分はお家騒動や家臣の忠義を、オーソドックスな演出で。
大詰では駄右衛門があやつるゾンビ武者と、権現のつかいの烏天狗が大バトルを演じ
ますが、ここではアクション俳優を使ってアクロバチックな演出も取り入れ、スーパー歌舞伎
に近い雰囲気が感じられました。
こういう、古典を題材としながら新しい演出と解釈を加えていくというのが、海老蔵の
目指す現代の歌舞伎なんでしょうね。

ワタクシは、歌舞伎も古典を守りつつも、どんどん新作を作っていくべきと考えます。
伝統や技術の継承にのみこだわっていけば、歌舞伎はどんどん古典化していってしまい
ます。
それは生きた演劇ではない。
元々、江戸時代の歌舞伎は実際に起きた心中事件、お家騒動、仇討ちなどのセンセー
シャナルな出来事を舞台化したものが多くありました。それは当時の世相や今を切り
取ったものであり、そこに魅力を感じた民衆に支えられて歌舞伎は大きくなっていったの
です。
技術的な伝統の継承にプラスして、新しいものを作るという精神が、今後歌舞伎が生きた
演劇として続いていくには絶対に必要だと思っております。

そんな期待も込めて。
ガンバレ、海老蔵、勸玄くん!

メガ92


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